天国に咲く花
こうして四年が経ったある日、六年生になった桃に潤を預け、冴子は美容院へ行った。潤も今年から幼稚園に入るので、そろそろ薬局に復帰しようかと考えながら、何気なく手にした週刊誌をぺらぺらとめくっていた。と突然、その手がピタッと止まった。そのページに見覚えのある顔が載っていたからだ。そして食い入るように記事を読み進むうち、冴子の顔からみるみる血の気が引いていった。
その写真の顔は紛れもなく別れた夫、文雄だった。アメリカで成功した日本人の一人として特集が組まれていた。記事によると、新薬の開発に成功を収め、権威ある賞も受賞するという。本人の弁として、この成功を別れた妻に伝え、ともに喜びを分かち合いたい。そして出来ることなら一緒にアメリカへ連れて帰りたい…… と書かれてあった。
呆然とした冴子は雑誌を落としてしまった。それに気づいた美容師が拾って片付けようとした。
「あっ、それ、もう一度見せてください」
冴子はその雑誌の発行時期を確かめた。すると、なんと半年も前の雑誌だった。片田舎の美容院は都会の店とは違い、必ずしも最新の雑誌だけを置いているわけではなかった。
記事の中の日付を見ると、もう文雄は凱旋帰国を終えアメリカに帰っている頃だった。文雄は冴子を探し出せなかったのだ。両親の移住も功を奏したのだろう。そして何より「個人情報保護法」に心から感謝した。もし、冴子が再婚して子どもまで儲けていることを文雄が知ったら…… 文雄にはもう自分のことは忘れてほしかった。
中学を卒業すると、桃は通信制の高校へ進んだ。普段は老婆の元で暮らし、たまの登校日には町の親元から学校へ通った。小学校に上がったばかりの潤は淋しがったが、じきに親子三人での暮らしに慣れていった。
武井家の週末の別荘通いは続いていて、潤は桃に会えるのを楽しみにしていた。
ただひとつ、どうしても気になることがあった。それは、桃は毎朝裏の小道へ降りていくのだが、その後を絶対についてきてはいけないと厳しく言われていたことだった。何事にも好奇心旺盛の潤は、桃がどこへ行くのか知りたくてたまらなかった。
ある朝、とうとう我慢できずにそっと桃の後をつけていった。しかし、獣道まで来ると草をかき分けなければならず、桃に気づかれてしまうと思い、潤は時間をおいてから歩き始め、桃を見失ってしまった。
それでも何とか進んで行くと沢に着いた。潤は渡ろうか、ここで隠れて桃を待とうか迷った。しばらく待っていたが、桃が戻る気配がないので、渡ってみようと思い近くの石に乗った途端、足を滑らせて沢に落ちてしまった。
沢は浅く流れも緩やかなので、溺れることはなかったが、その音を聞きつけて桃が駆けつけてきた。
「潤ちゃん!」
「ごめんなさい、ぼく……」
潤は素直に謝るしかなかった。濡れた服から滴を落としながら、とぼとぼと姉の後をついて家に戻った。潤の着替えを手伝いながら、桃は言った。
「潤ちゃん、姉さんはいじわるで連れて行かないんじゃないのよ。世の中にはどうしてもだめなことがあるの。もしまたついてきても、きっと同じことになると思うわ」
「わかった、もう行かない」
桃は、不思議な花の力を見せつけられた気がした。あの場所はこれからも、誰にも見つかることはないだろう。