新しい世界への輪廻
と思えるようになったからで、以前のように、自分の書いた文章を、恥ずかしくて直視できなかった頃ではなくなっていたからだ。本当にそんな頃があったなんて、今からでは信じられないほどだった。
孤独の間にすることを何か見つけるという趣旨で、日記をつけるようになったが、日記を継続することが楽しくなった頃になって、私のことを意識している男の子がいることに気が付いた。
相変わらず、まわりには漠然とした態度を取っていたが、日記を書くようになったからといって、まわりに与える雰囲気が変わったとは思えなかった。
雰囲気が変わったとすれば、それは年齢的にまわりに対して魅力というフェロモンを発散させているからなのか、それとも日記をつけることで、自分の中にある自信に満ちたような態度が表に出ているからなのか分からなかった。しかし、まわりから自分を意識しているその視線を感じることができるのは、その人一人だけなので、まわりにフェロモンを発散させているからだというよりも、たまたまこの時期に、自分の元から持っていた魅力に反応してくれた人が現れただけだと思う方が自然ではないかと思えた。
人には、一生のうちに、自分と相性の合う人に何人かは出会うものではないかと私は思っていた。それが、いわゆる、
――モテキ――
という言葉で表されるものではないかとも考えたことがある。
一生のうちにまわりからウソのようにモテる時期というのがあるのだという。それはすべての人に言えることなのか分からないが、私にはなぜか、
――そんな時期が訪れるのではないか――
とずっと思っていた。
それが今だとは思えない。モテるというのは、相手が一人では成立しない。相思相愛の相手と巡り合うのはモテるということよりも大切なことなのかも知れないが、私にはその時、自分を意識している男の子に対してどのように対応していいのか分からないでいた。
相手の視線を浴びせてはくるが、それ以上距離を縮めてこようとはしない。彼の視線は露骨なもので、隠そうという意志はまったくない。
本人は隠そうという意志を持っているのかどうか分からないが、浴びせられている本人には、隠そうとしていない意識に思えてならなかった。
――ひょっとすると、二人にだけしか分からない波長というものがあって、誰にも分かるものではないかも知れない――
と思っていたが、当たらずとも遠からじ、他の人の様子を見て、私にもその男性にも意識を持って見ている人を感じたことはなかった。
その相手というのは、大学の後輩だった。
その時、私は大学の二年生になっていて、別にサークル活動をしているわけでもなく、アルバイトに勤しむのが日課だった。もちろん、講義には支障のないようにアルバイトをしていたが、その時、ある講義で一緒になった後輩が、彼だったのだ。
彼の存在は、二年生になっての最初の講義から分かっていた。
――あれだけの視線なんだから、分からない方がおかしいわー―
と思うほどだったのに、普段は意識しないように振舞っていたが、たまに彼の様子を凝視しようと、視線を向けると、慌てて視線を逸らしてしまう。
普段は意識しないようにしている相手が急に視線を浴びせたことで慌てた態度が反射的に目線を逸らせることになったのか、それとも、私が意識していないと思っていたので、急に意識した態度になったことで、うろたえてしまったのか、私には分からなかった。だが、私が視線を元に戻した瞬間に、また同じように私に対しての視線を向けてくることで、後者だったのではないかと思うようになっていた。
そんな彼が声を掛けてきたのは春も終わりかけの、ある蒸し暑い夕方だった。
講義以外では会うことのなかった彼と、キャンパスを歩いていて遭った時だった。その日は普段ならアルバイトの日だったのだが、アルバイト先が店内改装っを行うとかで、一週間の休みが入ってしまった。アルバイトと学業を両立させていたので、ほとんど講義の時間以外、大学にいることはなかったので、何となく違和感があった。
しかし、大学というところは、学生で溢れているところ、一人の学生が普段いないのに、急にいたとしても誰も気にするはずもない。特に毎日を淡々と漠然と過ごしている私は特にそうであった。
キャンパスですれ違った時、どちらが最初に気づいたのだろう。私が気づいた時には、彼の表情には驚きと喜びの両方があったような気がする。驚きの表情にはそれほどビックリしなかったが、その時に感じた喜びの表情の意味が分からなかったので、私は一瞬戸惑った。
彼もすぐには声を掛けてこなかったが、それはきっと私が一瞬だとはいえ、戸惑った表情を見せたことで、躊躇いがあったのかも知れない。
それでも、二人同時に振り向いた時、しどろもどろに見えた彼だったが、すぐに気を取り直して、
「中田さんですよね。同じ講義に出ている」
と声を掛けられた。
私も彼が向けてくれた水に乗っかることで、うろたえを抑えることができ、
「え、ええ、臨床心理学の時間ですよね」
「はい、僕のことを覚えてくれていたんですか?」
「ええ、普段は人を意識するということはないんですけど、あなたのことは意識してしまっていました」
本当なら失礼になりかねない言い方だが、彼なら失礼に思うはずないと思い、口から躊躇いもなく、出てきた言葉だった。
「それは嬉しいな。僕も普段は誰も意識なんかしないんですが、中田さんを見てから何となく気になってしまっていたんですよ。ひょっとすると、中田さんの雰囲気が、自分の昔の思い出に引っかかったのかも知れません」
この言葉も、聞きようによっては、相手に失礼になる言い回しなのかも知れない。しかし、私はそんな意識はなかった。嬉しいという言葉が最初に浮かんでくると、それ以上でもそれ以下でもない感覚に陥って、素直に今の気持ちを大切にしたいと思うのだった。
もちろん、これが彼からの告白ではないだろう。男の人から好かれることなどないと思っていた私だったので、
「好きです」
と言われても、ピンとはこないだろうと思っていた。それよりも、そんな言葉を覚悟を持って言ってくれた相手にどのように失礼のないような態度を取るべきなのかということの方が気になっていた。普段から漠然とした態度を取っているくせに、いざとなった時、相手に対してどのような態度を取るかということは、頭の中を巡ってしまう。それが習性というものなのかと思うと、どのようにそれ以降を解釈していいのか、考えものだった。
ただ、彼の雰囲気は、何かを覚悟したり、思い詰めているような様子はない。ただ、顔見知りの相手に会って、喜んでいるという態度が前面に出ていて、その様子が自分で感じいていたイメージよりも大げさに感じられたことと、自分の中でも彼のことを少なからず意識していたということを証明しているようで、少しむず痒い気分にさせられたのだ。
「あなたは確か、氷室君だったかしら?」
いまさら、名前を確認するというのも滑稽な気がしたが、それを聞いて彼は嬉々とした雰囲気で、興奮していたようだ。
「覚えてくれていたんですね。感激だな」