短編集14(過去作品)
いや、考えない人などいるだろうか? 定年を迎えようとしているサラリーマンにしても、まだ成人式を迎えていない学生にしても、皆それぞれ一度は考えることである。特に多感な思春期を生きている十代の人には、今まさに思っている人も多いかも知れない。
かくゆう私も学生時代はよく考えたものだ。多感であるがゆえに夢があり、漠然とした夢であるからこそ不安も付きまとう。
――言い知れぬ不安――
に苛まれることもしばしばで、未だに夢を見たりするのである。
実際に覚えている夢というのはなかなか少ないもので、よほど印象深い夢で、今までにも何度も同じようなシチュエーションの夢を見ていない限り、それほど記憶していないものだ。そんな夢で一番多いのは学生時代であった。
まだまだ夢が確立しておらず、無限にたくさんの夢を見ることができた学生時代。しかも漠然としていて、ハッキリと見えていないことだけに、不安もあるのだ。
――完璧であっても、付きまとう不安――
そんなものが学生時代にはあったかも知れない。
完璧という言葉がどこまでを意味するのか分からないし、形になって見えるものなのかも分からない。
例えばテストで百点を採ってもそれが完璧か、というとそんなことはない。逆に一回頂点に登りつめてしまうと頂点を継続することはできても、テストに関してはそれ以上を望めない。継続がどれほど大変かということは、そこから起こってくるプレッシャーを考えれば分かることだが、それが次第に強くなっていくなど、考えてもみなかった。
一つのことに集中するとまわりのことがおろそかになりがちな私は、集中することに使うエネルギーがプレッシャーに変わり、やがてストレスとなって自分にのしかかってくることを分かっていなかったのかも知れない。
プレッシャーを感じるということは分かっていた。まわりが見えなくなる自分の性格も分かっていた。それだけに、見えないまわりが恐ろしいのだ。人の仕草や私を見る目がとても気になり始め、次第に自分に閉じこもってしまう。
――孤独感というのは、こんなものなのか――
最初はあまり気にならなかった孤独感を一旦感じてしまうと、自覚症状から抜けられなくなってしまう。孤独というのは私には無縁だと思っていた時点で、すでに私は孤独と背中合わせの生活をしていたに違いない。
――ちょっと後ろを振り向けば、そこには孤独という二文字があった――
友達と話をしていても集中できない。友達は私のことを、
「お前はいつも冷静で羨ましいよ。俺なんかすぐ感情が出ちまって、恋愛には向いていないのかも知れないな」
そう言っていたが、羨ましいのはこっちである。
言いたいことが口からどんどん出てくる性格は羨ましく感じ、下手をすると妬みに変わるものかも知れない。特に「羨ましい」などと言われると、
「それはこっちのセリフだ」
と言い返したくなる。自分から作った性格ではあったが、持って生まれた性格も手伝わなければ、これほど完璧を求めようなどと考えないだろう。
――完璧を求めないと不安が表に出てこないので、脳天気に暮らせるだろう――
という考えも浅はかだったことを、今さらながらに考える。きっと心の中で羨ましいと思いながらも、自分の中にある優越感に浸っていたことは事実で、それが夢の中で出てくるのだ。羨ましさを感じている自分と、優越感を感じている自分、二人の自分が夢の中に存在し、さらにそれを夢として見ている自分も存在しているのだ。
実に不思議なトライアングルである。しかし起きてから印象に深く残っているのは、二人の自分なのだ。
二人の自分が存在していることは、我ながら気がついていたのかも知れない。
――私は二重人格かも知れない――
と思うことがあり、友人にそれを打ち明けると、
「いやいや、みんな似たようなものだよ」
「するとお前も感じるのか?」
「ああ、心の中ではもう一人の自分がいるのさ」
そう言って苦笑しているが、話しながらいろいろ思い出しているのが分かる。私のように、その時々に兆候が現れていたに違いない。
「多重人格かも知れないぞ?」
「多重人格?」
「そうさ、まったく正反対の性格だと思っていて、表に出ている性格の正反対を思い浮かべて、それが自分の中にあるもう一つの性格であったとしても、今度は、その正反対の性格を思い浮かべて、果たして表に出ている性格に戻って来れるか、疑問に感じたことがあるくらいだよ」
「そうかも知れない。自分が二重人格かも知れないと思った時に最初感じたのは、自分の中にもう一人の自分がいることを知ったからかも知れないからな」
「自分の横にそれぞれ右と左に鏡を置いたとしよう」
「鏡を?」
たまに突発的な話を始める友人だが、知らず知らずに集中して聞き入ってしまうのは、彼の話術と発想に長けているからであろう。
「右の鏡には、左の鏡に写った私が写し出され、左の鏡には、右に写った私が写し出される。それが延々と繋がり、画像が小さくなりながらではあるが、半永久的に写し出されていくのだ」
「それぞれの自分は同じであっても違うと言いたいのかい?」
「そうだ、しかも最初にどちらを見るかということも、その時の気分で偶然ではないか。
と、いうことは、右が最初なのか、左が最初なのかということも、ハッキリとは分からないはずだよね」
確かに彼の言うとおりである。自分の性格がどちらに変わりつつあるかということも、まるで鏡の右を見るか、左を見るかによって変わってくると考えれば、それ以降の自分の性格の移り変わりに多大な影響を与える。見る人によっては、それが多重人格のように思えるのではないだろうか。
そう考えて他人を見ると実に楽しい。不謹慎なのかも知れないが、今まで付き合ってきた人たちの謎の部分がだんだん開けてくるような気がして、非常に面白い。
特に女性は人を好きになるときれいになるという。確かに相手に好かれたいと思っているから化粧も意識してするようになるだろうし、表情にも微妙ながら変化が現れる。
――人を好きになることで、心に余裕ができるからだ――
という考え方一色だった。しかし友人と多重人格について話すようになって、それを理解し始めている自分としては、この考え方をベースにしてまたもう一つの考え方が芽生えてきたのを感じた。
――もう一人の自分が表に出てきていると考える方が、よほど自然なのかも知れない――
もう一人の自分は今まで認めようとしなかった違う世界を認めているのかも知れない。
時々感じることとして、
――何もかもリセットしてみたい――
と考えることがある。
その時々の小さな事件であったり、人生そのものだったりと、その時々でバラバラではある。しかしそれも、
――もう一人の自分が考えていることだ――
と考えると、気持ちになぜか余裕ができる。
――もう一人の自分は、自分であって自分ではないのだ――
そう、まるで鏡に写った自分のような気がしてくるのだ。だから気がつくまでに時間が掛かるのかも知れない。
私は今最悪のことを考えている。いや、これが真実だと考えればすべての辻褄が合う気がするのだ。
作品名:短編集14(過去作品) 作家名:森本晃次