短編集14(過去作品)
そう感じたのは以前からだったが、それを認めたくない彼女の態度を露骨に見てしまうと、ついつい目を背けてしまう。
誇大妄想というのは誰にでもありがちで、かくゆう私にもある。それだけに一旦誇大妄想の気を感じてしまうと、彼女に対してさらなる親近感が沸いてくるのだった。
メールでもいいのに、わざわざリダイアルさせることに違和感があったが、そこが彼女独特の考え方なのかも知れない。電話を一度掛けることで、自分から掛けたような気になりたいと考えると、健気で可愛いところのある女性だということを、今さらながらに思い知った。順子の気持ちが垣間見れる瞬間でもあったのだ。
この日の目覚めは最悪だった。何となく胃がもたれる気がしてあまり寝付けなかったこともあってか、午前二時過ぎくらいまでウトウトしていて、眠りも浅かった。胃薬を飲むことで何とか落ち着いたのか、どうやらやっと寝付けたようである。
疲れていたのだろう。最初の浅い眠りとは打って変わって夢を見ていたようだ。起きてからそのことに気がついたのだが、目覚めの時に気が付かなかったのは、目覚め自体が突然だったからだ。
――金縛りにあったみたいだ――
起きて最初に感じたことだ。身体を動かそうとしても痺れて動かせない。力が入らないのだ。入らないというより脳からの命令がどこかで途切れているのだ。
――きっとどこかが痛いのだろうが、どこなのか分からない――
たまに金縛りのような状態になる時があるが、たいていはこむら返りのような、身体を動かすことが急にはできない症状の時に多かった。その日もいつものように太股の裏の筋肉が硬直していて、触るだけで熱く火照っているのが分かるくらいだった。
こむら返りの間は呼吸が止まったようで、声を出そうとしても出るものではない。ましてや、誰かに気付かれでもして触られることを思えば、声が出ないことは不幸中の幸いなのかも知れない。
「うわ、誰も触らないで」
こむら返りを起こした時は、そう叫びたい。硬直しているのでほぐせば楽になるというが、あの状況でできるはずもない。そっとしておいてくれればすぐに収まることを知っているからだ。
しかもこむら返りが起こる時というのは予感がある。
――来るぞ――
と、思うと必ず起こる。しかも起きるのが寝ている時に圧倒的に多いことから、夢を見ていて、
――やばい――
と、思うのだろう。
そういえば今までも一度にいくつかの身体の変調が起こると、何か嫌なことの前触れではないかと思えることがあった。
学生の頃に付き合っていた女性と別れた時に初めて感じたことだったが、それだけに鮮明に覚えている。付き合っていたといってもそれほど長い期間ではなく、数ヶ月ほどのものだったと記憶している。しかも初めて女性と付き合った時で、有頂天になっていたからだ。それまでは女性に興味はあったが、自分は「もてない」という勝手なコンプレックスに縛られていたのだ。
私が異性に興味を持ち始めたのは、友達に比べると遅い方だった。中学三年の冬頃だったと記憶していて、ちょうどクリスマス前だったので、寂しさも倍増していた。
――付き合う女性がいないということは、寂しいことなんだ――
それが最初のきっかけだったような気がする。
それまでは、女性と付き合うということがどういうことか分からなかったことに加え、友達からは女性の身体についてや、セックスについての話など、聞きたくもないのに聞かされたことで、「耳年魔」になっていたのだ。
潔癖を重んじる教育を受けてきた私にとってその話は「汚らわしい」たぐいのものだった。しかし、そう考えれば考えるほど、自分の中から湧き出る興奮を抑えることができない。
――若さゆえ――
といえばそれまでなのだが、無意識に抑えてきたものを解き放とうとする力が自分の中にあることを、それも無意識の中で悟っていたのかも知れない。
そんな私だったので、女性の神秘というものが自分の中で大きくなるのが怖かった面もあってか、自分から避けていたし、あえて話に乗ろうという気にもならなかった。
だが、一番の親友とおぼしき友達に彼女ができて、それまで完璧だと思ってきた友情にヒビが入りかけたことを私は敏感に感じ取っていた。友達はそんな素振りはまったく見せなかったが、私との時間がだんだん少なくなっていき、今まで相談してくれていた悩み事なども、一切私に話してくれなくなった。
私は友達を恨んだ。
――かわいさ余って憎さ百倍――
という言葉もあるが、それに近い感情なのかも知れない。その友人は私にとって、親友であり、兄であり、弟であり、時として先生だったり弟子だったりと、その時々でさまざまだったのだ。
彼は最初、彼女ができたことを私に隠していた。それも実は憎さの中に入っている。彼からすれば、私に気を遣って、余計な考えをさせないようにと思っていたのかも知れないが、私には、それこそ「水臭い」としか思えなかったのだ。隠せば隠すほどぎこちなくなり、余計な心配を掛けるのではないかということに気付かない彼の考えが浅はかに見えたのだ。
しかし私は彼を問い詰めるようなことはしなかった。じっと知らないふりをして見つめていたが、その実、時々彼の行動を遠くから観察するようなストーカーまがいのことまでしたこともあった。そんな自分が情けなくもあり、何度やめようと思ったか知れない。
彼の行動を見ているうちに感じたことは、
――自分が寂しい人間だということだ――
最初は自分の浅ましい行動に寂しさを感じてきたが、彼の楽しそうな表情を見ているうちに、
――女性と付き合うことが、男の顔をあれほどまでに変えるものなのだ――
と考えるようになった。
彼の顔は、私といる時では絶対に見ることのできないほどの楽しそうな顔をしている。男友達相手と顔が違うのは当たり前なのだが、もちろんそんなことは分からない。実際に当事者になったとしても、きっと分からない気がする。友達の表情だから分かるのであって、
――もしあれが自分なら――
と考えると、自ずと寂しさがこみ上げてくるのだった。
――彼女が欲しい――
と思ったのは、女性に魅力を感じ始めたからではなく、むしろ親友に自分の顔を照らし合わせてみた、この瞬間だったに違いない。
女性に対して抱いていた誇大妄想、いろいろな悪友からもたらされた数々の話が私の頭の中で輻輳し、それが妄想へと変化していったのだ。青春時代まっさかりと言われる年頃なので、何度夢に見て、下着を汚したことだろう。その都度自己嫌悪に陥り、自分が男であることを恥じたことだろう。いや、それよりもこの世に男と女というものがあることへの言い知れぬ不安のような想いがあったのだ。
――女性というものを否定したい自分がいる反面、夢を見て下着を汚す自分がいる――
作品名:短編集14(過去作品) 作家名:森本晃次