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星の流れに(第一部・東京大空襲)

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「だってじゃない! あたしはお母さんにあんたを託されたのよ! あんたを死なせたらお母さんに顔向けできない!」
「だって! だって!」
 そう叫ぶ静枝を強引に引っ張り、静子は隅田川を目指した。
 どこもかしこも火の海、この火の勢いは街を全て焼き尽くすまで衰えるとは思えない、静枝を助ける道があるとすればそれは隅田川しかない、普段から水に親しんでいる静子にとってそれは自然な発想だった。
 逃げ惑う人々の群れにもまれながらようやく隅田川に到着したが……静子は体中の力が抜けてしまうような絶望を覚えた。
 両国橋は人で溢れて身動きできない状態、その両側のたもとから火は迫っていて、到着したばかりの人は衣服に火がついてしまい、踊るかのように悶えて倒れて行く。
 橋はだめだ、となれば……水面に目を移すと、そこにさえ人が溢れている、既にこと切れてしまったのだろう、うつぶせに浮かんでいる人の姿も……。
 そして、水面に浮かぶ無数の遺体は橋脚に引っかかって流れを堰き止め始めている、水に飛び込んだとしても流れに身を任せたら次々に流れて来る遺体で身動きが取れなくなってしまうだろう。
(どうすればいいの?)
 泣きじゃくっている妹を見やった。
 自分ひとりなら泳ぎには自信がある、流れに逆らって上流を目指せば助かる道があるかもしれない、しかし妹には無理だ。
 しかも今は三月、川の水は身を切るように冷たいはず、たとえ泳げるとしても長いこと水に浸かっていたら命はないかも……だが、今、ここで焼け死にたくなければ他に道はない。
「お姉ちゃんにしっかり掴まってなさい」
「どうするの?」
「飛び込む」
「えっ!?」
 逡巡している間はない、泳ぎがそう得意ではない妹はこの冷たい水の中を流れに逆らって泳ぐなどと言う事は考えられないに違いない、説明していたら手遅れになる。
「ブラウスを脱ぎなさい!」
「え? だって」
 静枝はためらったが、姉が先にブラウスを脱いでいるのを見て、それに倣った。
 静子は二枚のブラウスの袖をしっかりと結びつけると、一方を静枝の胸に巻き、一方を自分の腰に巻きつけた。
「行くわよ!」
 静子は妹を抱きかかえるようにして水面に跳んだ。

 どれ位泳いだのだろうか……冷たい、体が痺れるようだ。
 腰に巻いたブラウスは妹の状態を伝えてくれる、妹も懸命に泳いでいるならばそんなに重さは感じない、しかし、妹が力尽きそうになるとブラウスは腰に食い込んで来る。
 その都度肩を揺さぶり、励まして、共に泳いで来たが……。
「静枝! しっかり泳ぐのよ! 静枝! 静枝!」
 反応がない……十も年上で身体も大きく、泳ぎは人一倍得意な自分でも、この冷たい水の中を流れに逆らって泳ぐのはもう限界に近い、妹はもう限界に来てしまっているのは明らかだ。
 吾妻橋のたもとで川から上がり、意識も定かでない静枝を抱えるようにして土手を登ったが、火の手は吾妻橋の東側と雷門方向、どちらからも迫っている。
(これまでか……)
 静子は全身から力が抜けて行くのを感じた。
 最後に見た母の目、最後に聴いた母の言葉が脳裏に浮かぶ。
(お母さん、ごめんね、無理だった……)
 そのままへたり込んだ静子の目に、人々を飲み込んで行く建物が飛び込んで来た。
 地下鉄浅草駅……地下に長い空間があるはず、助かるとすればあそこしかない。
 静子は最後の力を振り絞って静枝を抱き上げ、浅草駅になだれ込む人々の波に身を任せた……。

▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽    ▽

「あたしは泳いでる途中で気を失っちゃったんだけど、後で静子姉から聞いたのよ、吾妻橋まで泳いで、地下鉄に逃げ込んで何とか助かったって」
「そうだったんだ……」
 和貴はようやく声を振り絞った。
 七十二年前、和貴にとっては遠い昔のようでもあるが、目の前の祖母は、正にその時代に生き、その惨劇を生き延びて、今ここにいるのだ。
 そして第二次世界大戦……祖母は大東亜戦争と呼ぶが……は教科書やドラマの中の出来事ではなく、今の自分に繋がっている事を実感した。
 もしその時祖母が亡くなっていたなら母はこの世に生まれず、当然自分も生まれていなかったのだから。
『静子姉』には会った事はない、写真すら残っていないのだ。
 しかし、その時大伯母がいなかったら、その判断を誤っていたなら、曽祖母の覚悟がなかったら、その時この祖母が命を落としていた事は間違いない。

「静子姉にはその時命を救ってもらっただけじゃないのよ、戦争はまだ半年近く続いたし、戦後の混乱期を、のほほんと育った十二歳の子供が一人生きて行けるはずもなかったからね……」

 祖母の話はなおも続いた。