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始まりの終わり

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 しかし、同年代の子供から見ればどうだろう? 大人に媚びを売っているように見えないだろうか。その頃の洋一はそんな意識はなかった。それなのに、中学生になってから、クラスの女の子に先生に明らかに媚びを売っている女の子がいるのに気が付くと、闘争反応を示すようになっていた。
 彼女の方から見れば、
「何よ。あなたには関係ないじゃない」
 と言いたいだろう。
 その証拠に、他の友達は何も言わない。
 もちろん、分かっていないわけはないだろう。あからさまな時もあり、皆の顔を見れば、苦虫を噛み潰したような何とも言えない表情をしているように見える。それでも、なぜ誰も何も言わないのか、不思議だった。
 そういう自分も何も言わないのだから、人のことを言える筋合いではないのだが、洋一には、
――彼女の気持ちは、僕が一番よく分かる。だから、余計にイライラするし、本当は言いたいことが山ほどあるんだ――
 と思っていた。
 人の心がよく分かると思うようになったのは、その頃だった。
 本当は自分と似た気持ちの人のことしか分からないのに、他の人の気持ちまで分かるような気がしてきたのは、傲慢だったからなのだろうか?
 いや、傲慢というよりも、
「人のことを少しでも分かってあげよう」
 という気持ちの裏返しだったのかも知れない。
 だが、人の気持ちを分かってあげようと思った時、自分のことが傲慢だと感じたのだ。その思いを簡単に打ち消すことはできない。いい方に考えればよかったのだろうが、中学のその頃というと、どうしても悪い方にばかり考えてしまう時代だった。自分の中では、
――余計なことは覚えないようにしよう――
 と思っていた時代だったと解釈している。
 余計なことを覚えてしまうと、必要なことを覚えられない。当たり前のことなのに、その当たり前のことをするのがどれほど難しいことなのか、それが分かったのはずっと後になってから、そう、もう気が付いても遅い時期になってからだった。
「いつも、俺はそうなんだ。気が付いた時には、もう遅いことばかりだ」
 誰かに相談したり、助言を受ければよかったのかも知れないが、どうしても、人の意見を取り入れることに戸惑いを感じる。
「自分が人のことを心配するなど、それだけ自分のことを自分の目で見ていない証拠なのかも知れない」
 と思うようになった。
 自分のことを他人事のように見てしまうから、人のことを心配する自分が他人に思えてくる。
「しょせん、自分だって他人なんだ」
 他人のように思わないと、どうしても先に進めないことがあるように思え、一度自分を他人に思ってしまうと、なかなか自分を主観的になど見ることができない。それが洋一にとって、自分の一番悪いところだと思うのだった。
 洋一は、三十歳くらいの頃、馴染みの店を持っていた。
 会社の近くにあるスナックだったが、しばらくは通っていた。三年くらいは通っただろうか。通い始めて数回で、すでに常連としての指定席もでき、他の常連さんとも話ができるようになると、それまでの自分とは違う自分を発見したような気がしていた。
 週に二回くらいは通っていただろう。
 結婚しているわけでもない一人暮らしなので、部屋に帰っても、待っている人がいるわけでもなければ、することがあるわけでもない。暗くて冷たい部屋が、いつも変わりなくそこにあるだけだ。
 それなら、酔っぱらって気持ちよくなって帰った方がいい。寝るだけの部屋なのだから、たまには着替えをすることもなく、布団の上にぐったりとなってもいいだろう。その頃は布団を畳むこともなく、万年床にしていたものだ。
 とはいっても、さすがに前後不覚になるほど酔っぱらうこともない。適当に気持ちよいところで切り上げて、部屋に帰るだけだった。最初はそれでよかったのだ。
 スナックに通うようになって、洋一はその店の女の子が気になり始めた。もちろん、口説くなどできるはずもないくせに、彼女と話をしているだけで、
「これからデートしようか?」
 と言いたくなる衝動をグッとこらえ、彼女の一挙手一投足を眺めている。
 彼女もその視線を分かっているのだろうが、スナックで働く女の子には、それをいなすくらいのことは、さほど難しいことではないのだろう。思わせぶりな態度を取ることもなく、淡々とカウンター作業をこなしている。
 店は、それほど流行っているということもなく、何度かに一度は他に客はおらず、貸し切り状態になることもあるが、そんな時の方が少し辛い。何を話していいのか困ってしまうし、何しろ気になっている女の子と面と向かってしまうのだから、始末に悪い。
 それでも、ゆったりとした時間が流れていて、緊張していても、心地よいこともあったりする。
 会話の内容がなければ、彼女の方から話しかけてくれる。それを待ち望んでいる洋一だったが、話しかけられると、話に乗っかるのは、自分としては苦手だとは思っていないので、結構ありがたい。却って相手がそう思ってくれる方が、こちらとしてもありがたいというものだ。
 話しかける方も、会話に乗っかってくれる方がありがたい。何を話していいのか困ってしまっても、相手がちゃんと返してくれる人であれば、少々の的外れでも何とかなるものだ。
 ただ、相手は常連さんなので、会話の内容で困ることはあまりなかった。彼女も客の趣味や、会話の反応をいちいち覚えていたりして、何を話していいのか、少し時間があれば、結構思いついたりするものだろう。そんな彼女との会話に洋一は、いつの間にか楽しみになっている自分がいることに気が付いた。
 そんな彼女が店を辞めてから、洋一はその店に行かなくなった。
 行っても話をする相手もいないし、最初は一人でもよかったはずなのに、話をする人ができてしまうと、その人がいなくなったことで、行きにくくなってしまう。
 そんな自分を想像したことなどそれまではなかった。やっと話ができるまでになったのに、相手がいなくなると、それまでの自分が何だったのか、我に返ってしまう。
 しかし、それは彼女と話ができるようになったのが無駄だったという考えではない。むしろ、自分にとって大切な時間であり、貴重でもあった。それだけに、彼女のいない店に行くことは自分を否定するような気分になってきた。
 決して自分を否定するようなことはないはずであり、そんなに思い詰める必要もない。それでも、一度行かなくなると、自分の気持ちはすでにそこにはない気がして、一人になりたいと思うのだった。
 一人になりたいという思いは、一人でいる自分を正当化したいからだった。
 そんなことは分かっているつもりだったので、その時一番感じてはいけないという思いは、
「寂しい」
 という思いであった。
 寂しいと思ってしまうと、心のどこかで寂しさを埋めようという思いがどこかに生まれてくるはずだ。それを洋一は怖がったのである。
「寂しいという思いを埋めようとするくらいなら、自分を否定してしまった方が気が楽だ」
 と感じるようになっていたのだ。
 そんなことを考えていると、今度は、
「自分が女々しい男」
 に思えて仕方がなくなっていた。
作品名:始まりの終わり 作家名:森本晃次