⑧残念王子と闇のマル
記憶の欠片
理巧は麻流の部屋に入ると、寝室へ向かう。
そして麻流の体をベッドに下ろし、布団をかけた。
「姉上、カレン様の様子を見て参ります。」
意識のない麻流に理巧は頭を下げると、静かに部屋を出る。
「カレン様。」
扉をノックすると、中から数秒間が空いて返事があった。
「…どうぞ?」
理巧は扉を開けて、室内へ入る。
「失礼します。」
すると、カレンが戸惑った様子で理巧を見た。
「…いっつも急に部屋に現れるのに、どうしたの?」
カレンの反応に理巧はふっと頬をゆるませながら、それには答えずテーブルを見る。
「お食事、召し上がられたんですね。」
理巧は、手早く食器を重ねて片付けた。
「温泉のご用意を致しましょうか。」
緑茶を淹れながら訊ねる理巧の顔を、カレンはジッと見る。
「…マルは?」
理巧はお皿を持つと、扉へ向かった。
「お休みになってます。」
そして扉を開けて一礼し、部屋を出て行った。
「…。」
カレンは理巧の淹れてくれた緑茶を口に含むと、小さくため息を吐く。
その様子を天井裏から見つめていた空は、口を引き結んだ。
「ごめんな、カレン。…頑張ってくれよ。」
理巧は温泉の手配をしカレンを案内した後、再び麻流の部屋へ戻る。
寝室に入ると、麻流は眠ったままだった。
「ちょうど20分。」
理巧は時計を確認すると、空の術を解く。
ゆっくりと持ち上がった瞼に、理巧はホッと息を吐いた。
「…ここは…?」
軽く頭をふりながら、麻流が部屋を見回す。
「姉上の部屋です。」
理巧の言葉に、麻流が眉間に皺を寄せた。
「は?なに言ってんの。ここ第一地点の宿でしょ?城にいたのに、なんでいきなりこんなとこにいんのよ。」
「…。」
無言になった理巧を、麻流が鋭く睨む。
「ていうか、なんでおまえここにいるの。カレンの護衛はどうした。」
「!」
大きく息を吸い込んで珍しく驚いた表情を見せる理巧を、麻流は怪訝そうに見つめた。
「…。」
戸惑う理巧は、ただただ麻流を見つめ返す。
そんな理巧に、明らかに警戒した様子の麻流は、ベッドから飛び降り、間合いを取った。
「理巧、何を企んでる?また頭領に隠れて」
「呼んだ?」
麻流の言葉を遮るように、空が天井裏から降りてくる。
「!父上…。」
空は麻流をジッと見つめると、眉を下げた。
「なーんか、おかしなことになってるね。」
そんな空と理巧を交互に見つめて、麻流は表情を険しくする。
「どういうことですか。」
麻流に訊ねられた空は、一瞬遠くを見つめた後、その瞳を三日月にした。
「まぁ、とりあえず…温泉でゆっくりしてきな。」
「!」
驚いて理巧が空を見ると同時に、空の姿は消える。
少し戸惑った理巧だったけれど、空の意図を理巧なりに汲み取り、麻流へ頭を下げた。
「詳しい話は、のちほど。」
そして、理巧も姿を消す。
麻流は表情を歪め、額をおさえながら首を傾げる。
「あたま…痛…。」
とても温泉に入る気分ではないけれど、空の指示に異議を唱えることはできない。
とりあえず、懐の薬袋から鎮痛剤を取り出すと口に含んだ。
そして着替えを持って、温泉へ向かった。
脱衣場で服を脱ぐと、麻流は露天風呂へ続く扉を開ける。
冬の冷たい空気に一瞬息を詰めながら、体を洗い、湯船へ向かった。
露天風呂は広く、暗い中では湯気で見通しがきかない。
湯船に爪先をいれたその時。
「お先にお邪魔してま~す。」
澄んだ声で話しかけられた。
でも、この声の主がこんな隠れ宿にいるはずがない。
いや、そもそも別れたはずのこの人が、なぜここにいるのか。
(父上と理巧が…なぜ?)
麻流の思考は完全に停止し、激しく打ち付ける鼓動に呼吸が乱れてくる。
その時、強い風が吹いて、湯気が消えた。
いきなり視界が開けたところに、お互いの姿を視認する。
「マ…マル!」
「…カレン…。」
同時にお互いの名前を呼んだけれど、カレンは更に驚いた。
「え!?」
カレンの異様な驚きように、麻流がビクリと体をふるわせる。
「今っ…今、なんて!?」
カレンは立ち上がると、湯船の中を走るように麻流へ向かってきた。
「もう一回言って!?」
カレンの勢いに戸惑った麻流は、後ずさる。
けれど一段高い湯船の縁に立っていた麻流はそのことを忘れて足を踏み外し、体勢を崩した。
「!」
麻流が倒れかけた瞬間、逞しい腕に抱きしめられる。
「マル、危ない!」
温泉で温まったカレンの体は体温が高く、冷えた麻流の体を暖かに包み込んだ。
「…カレン…どうして、ここに?」
カレンにきつく抱きしめられた麻流は、自然とその背中に腕をまわす。
「…もう一回、呼んで?」
カレンの熱い吐息が、麻流の首筋にかかった。
「…カレン…。」
懐かしい厚い胸板に顔を埋めながら、麻流は大きな背中を抱きしめる。
「マル…体つめたいな…。」
そう言うなり、カレンはマルを横抱きにして湯船に戻った。
そしてゆっくりと腰を下ろす。
熱い湯に浸かり、麻流は一瞬息を詰めた後、ふーっとため息をついた。
そんな麻流を膝に抱いたカレンは、麻流の瞳を覗き込む。
「マール♡」
とろけるような笑顔で名前を呼ばれた麻流は、一気にカッと体が熱くなった。
羞恥で思わず目を逸らすと、カレンは逃がさないというように顎を掴み強引に視線を絡めてくる。
「思い出したの?マル♡」
思いがけない言葉に、麻流は目を丸くした。
「何をですか?」
その様子にカレンも違和感を感じ、目を丸くする。
「え…?何を、って…僕のこと…。」
だんだんと声が小さくなるカレンは、うかがうように麻流の瞳を見つめた。
「…あなたのこと忘れるほど、年老いていません。」
カレンより年上であることを気にしている麻流は、不機嫌そうにカレンを睨む。
「まぁ…年老いても、忘れないですけど…。」
ごにょごにょと言いながら、麻流は目を伏せた。
カレンはいまいち状況が理解できないものの、目の前の麻流は確かに自分のことを思い出している。
カレンの胸は嬉しさでいっぱいになり、熱い想いが溢れ落ちた。
「!カレン、どうしました?」
驚いた麻流は、カレンの頬へ手を添える。
「マル…嬉しいよ…マル…。」
大粒の涙をこぼしながらカレンの顔が近づいてきた。
自然と重なった唇は、触れただけですぐに離れる。
「カレン、また会えて…私も嬉しいです。」
麻流の瞳からも涙が溢れた。
至近距離で見つめ合った後、再び唇が重なる。
先程よりもしっかりと重なったけれど、またすぐ離れた。
「僕の名前、たくさん呼んで、マル。」
カレンの可愛いおねだりに、麻流の心は甘くときめく。
「…カレン。」
「ん。」
呼ぶと、返事をしながら唇が重なった。
「カレン。」
「ん。」
麻流が呼ぶ度に、カレンは返事をするように唇を重ねてくる。
唇を啄むだけの口づけに、麻流はだんだん物足りなくなり、自らカレンの後頭部を引き寄せた。
「カレン。」
「ん…!」
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか