⑧残念王子と闇のマル
返事をしながら唇を重ねようとしたカレンの唇を、麻流はぺろりと舐める。
カレンは思いがけない麻流の行動に、目を丸くした。
そんなカレンを見つめると、麻流は首を傾けてカレンを甘く誘う。
「カレン…。」
カレンの鼓動が一気に高まると同時に、体の芯が熱くなり想いが一気に膨らんだ。
「マル!」
二人はお互いの後頭部を引き寄せると、荒々しく口づけを交わす。
決して離れまいとするように、二人はきつく抱きしめ合いながら、深く口づけ合った。
たまに吹く寒風の音と、源泉が沸き上がる音以外なんの音も聞こえない静かな露天風呂に、二人が抱きしめ合う水音と、吐息混じりの甘い声、深い口づけを交わす音が響く。
カレンは麻流の素肌に手を滑らせ、愛撫し始めた。
麻流も甘い声を上げてそれに応え、カレンは麻流に覆い被さりながらその大腿の奥へ手を滑らせる。
愛撫に堪らず麻流は嬌声を上げたけれど、次の瞬間、カレンの腕の中からその姿を消した。
「何するんですか、王子!」
驚いたカレンは、麻流の姿を探す。
「お…王子?」
混乱する中、脱衣場のほうから物音が聞こえた。
慌ててカレンも湯船から上がり脱衣場へ向かうと、黒い小柄な影が扉を閉めて走り去ったのが見える。
「…マル…。」
カレンは、その場に呆然と立ち尽くした。
そんなカレンの前に、理巧が現れる。
けれど、カレンは困惑し激しく動揺していて、理巧の存在にも反応しない。
「お風邪を召されますので、とりあえず衣服を。」
理巧が声をかけるものの、呆然と扉を見つめたままだ。
理巧は哀しそうに目を伏せたけれど、その気持ちを押し込め、いつもの冷ややかな表情でカレンの体を丁寧に拭き服を着せる。
「…。」
そして、必死で麻流を探すカレンの背中を押して、理巧は部屋へ連れ帰った。
「湯冷めしますので、こちらを召し上がってください。」
理巧が用意したホットミルクに、カレンがようやく反応する。
「マルが」
言いながら、熱いカップを両手で包み込む。
「マルがいつも作ってくれてたよ、これ。」
カレンはそっとカップに口をつけて、一口ごくりと飲み込んだ。
「甘い…。」
表情を和らげてごくごくと飲み干すカレンに、理巧は胸を撫で下ろす。
全て飲み干したカレンは、テーブルに置いたカップを見つめながら理巧へ訊ねた。
「マルは…大丈夫なの?」
『廃人』
暗にカレンが心配していることに理巧は気づくけれど、正直なんとも答えようがない。
理巧にも、わからないのだ。
「…。」
黙り込む理巧を、カレンがようやく見た。
「だよね。ごめん、変なこと訊いて。」
「今ぐだぐだ悩んだって、始まらねぇよ。」
突然部屋に艶やかな声が響くと同時に、空が音もなく降り立つ。
「国に帰ったら調べてみるからさ。紗那もいるし。」
言いながら、理巧の肩を抱いた。
「考えてもわかんねーことは、考えるだけ無駄。」
そして、カレンの髪の毛をかき混ぜる。
「明日から千針山越えがあるんだから、とりあえず今日はゆっくり休みな。」
銀のマスクを外している素顔の空に微笑まれると、カレンの心に不思議と安堵感が広がった。
「おやすみ、カレン。」
空に挨拶をされた途端、急に眠気を感じる。
欠伸を噛み殺しながら、カレンは空へ挨拶を返した。
「はい。おやすみなさい、ソラ様。」
目を擦るカレンの前で、扉が静かに閉まる。
カレンはそのままベッドへ倒れ込むと、瞼を閉じた。
カレンの部屋を出た二人は、廊下を歩く。
「なんか飲ませた?」
空の問いに、理巧が頷いた。
「ホットミルクを。」
その答えに、空がおかしそうに笑う。
「王道じゃん。珍しく術にかかったなーと思ったら。」
理巧は、笑う空から無表情で目を逸らした。
「父上が…いらっしゃると思いませんでしたから。」
そんな理巧の肩を、空が抱く。
「…おまえが背負う必要ないんだよ。」
空の言葉に、理巧が俯いた。
「俺の過ちだ。」
理巧が唇をぎゅっと噛みしめる。
「至恩に、きっついこと言われちまったよ。」
空は理巧の肩を撫でながら、自嘲的に笑った。
「『諦める前に、姉上のために何かできたんじゃないですか』って。」
理巧は、空を見る。
「『忍に憧れてたけど、忍だから不幸になった姉上を見て忍になりたくなくなりました』ってさ…。」
空の黒水晶の瞳を、理巧はジッと見つめた。
「たしかに、完全に、俺の判断ミスだよな。」
瞳の奥にひどく傷ついた様子が見え、理巧は戸惑う。
「ちょっと考えたら、わかることだった。
俺だって、聖華と引き離されたら…正気を保てねーよ。」
そこまで言うと、空は頭をガシガシ掻いて、深いため息を吐く。
「それをさー、勘違いしてたんだよな、俺。…親の愛情で補えるって…。」
(自分が、親からの愛情に飢えてたから…。)
心の中で呟きながら、空はふっと微笑んだ。
「親の愛と恋愛の愛情は、別物なのにな。」
あまりに悲しげな空の様子に、理巧は声を掛けようと思うけれど、まだ親の経験も恋愛の経験もないので言葉が見つからない。
「10歳の息子に言われて、初めてあがいてみようと思ったし」
言いながら、理巧の後頭部に手を添えて、空は顔を覗きこんだ。
「おまえが既にあがいてるのを見て、自分が情けなくなってさ。」
空は立ち止まると、理巧の両肩に手を置く。
「解けない術をかけちまったのは、俺だ。」
理巧は、空の顔をまっすぐに見つめ返した。
「だから、それに伴って起こることは全て俺の責任。」
空は理巧から離れると、銀のマスクをつける。
「麻流のことは、俺に任せな。」
そして理巧に背中を向け、扉をノックした。
けれど、中から返事がない。
空は斜めに理巧をふり返ると、小声で呟いた。
「カレンにも眠術かけたし、おまえも久しぶりにゆっくりしな。」
暗に『この場を去れ』と指示されたことに気づいた理巧は、頭を下げて立ち去る。
空はその背中を見届けて、ドアノブに手をかけた。
「麻流。入るよ。」
扉には鍵がかかっておらず、簡単に開く。
「…。」
室内は灯りもついておらず、真っ暗だった。
けれど、よく見ると、窓辺に小柄な影が座っている。
空は無言で入ると、灯りをつけた。
突然明るくなって目がくらんだのか、麻流が目を細めながらふり返る。
「冷えるな。」
空はベッドから毛布を持ってきて、麻流の体を包み込んだ。
麻流は黙ったまま、空に身を預ける。
空はその体をぎゅっと抱きしめながら、窓の外へ目を向けた。
「雪、降ってきたな。」
低く艶やかな声はとても穏やかで、麻流は甘えるように空の胸に頬を寄せ、小さく息を吐く。
「明日の千針山…今の私に越えられるでしょうか。」
麻流の言葉に、空は麻流へ視線を移した。
「王子を…守れるでしょうか。」
麻流の不安がどこにあるのか知ろうと、空は無言で麻流を見つめる。
すると、麻流が胸から顔を上げた。
「王子といると…綺麗でいたくなるんです。」
至近距離で見つめ合えない空は、麻流の頭に顎を乗せる。
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか