⑧残念王子と闇のマル
拒絶
「おつかれ。」
空が白み始めた頃、ようやく合流地点の宿にたどり着くと、空が腕組みをして待っていた。
「ここは…?」
カレンが、建物を見回しながら訊ねる。
「星一族の隠れ宿。」
隠れ宿というにはあまりにも立派で、高級感あふれるその佇まいに、カレンは目を白黒させた。
「あえて高級感を出して、一般の旅人が利用しないようにしています。」
麻流の説明に、カレンはようやく納得する。
「なるほどね~。」
素直な反応を見せるカレンに、カレンと初めて会う忍達も頬を緩めた。
「温泉もありますので、ごゆっくりされてください。」
「この一帯は星一族の領地ですので、ご安心を。」
宿駐在の忍たちが、カレンに積極的に声をかけていく。
「そうなんだ!ありがとう。」
にこにこと愛想良く返すカレンに、忍達の心は浄化されるようで、皆一様に笑顔になった。
「ソラ様、ご無事で何よりです。」
怪我ひとつ負っていない空に、カレンが笑顔で頭を下げる。
「なめてんの?」
喉の奥で笑いながら、空がカレンの頭を小突いた。
「とんでもない!だって爆発音が聞こえましたし!」
カレンが慌てて頭を上げると、空は借りていたカレンの服と襟巻きを渡す。
「あんなので怪我してたら、頭領引退だわ。」
言いながら、麻流を見る空。
「すっかり覚醒したね。」
微笑む空に、麻流は首を傾げる。
「?」
忍として各国の情勢に深く関わっていた全盛期までの記憶しかない麻流は、空の言葉の意味がわからなかった。
そんな麻流にもう一度ほほえみかけると、空はカレンの手に鍵を渡す。
「ゆっくり休みな。」
すると、麻流が自然にカレンの荷物を担いで歩き出した。
「!…あ、ではソラ様、失礼致します。」
カレンは頭を下げると、慌てて麻流の後を追う。
そんな二人の背中を見送りながら、空が呟く。
「やっぱ惚れるわけね。」
空の言葉に、理巧が頷いた。
「合流した時も、眠るカレン様を手放そうとしませんでした。」
空は切れ長の黒水晶の瞳を細めると、やわらかな表情で天を仰ぐ。
「運命と縁、今度こそ重なるといいな。」
そんな空の願いを知らない麻流は、カレンの手から鍵を取ると扉を開けた。
「すぐに食事を用意させますので、その間、温泉に行かれますか。」
カレンが部屋に入ると扉を閉め、慣れた様子でお茶の用意を始める。
「ん~…ちょっと疲れたから、ゆっくり座っときたい。」
欠伸をしながらソファーに深く沈み込むカレンに、麻流はお茶を出した。
「エゾウコギティーです。独特な風味ですが、心身の疲労回復を助けますので、頑張って飲んでください。」
カレンは身を起こすと、カップをジッと見つめる。
ハーブティーを見つめたままのカレンに、麻流は軽くため息を吐いて、懐からチョコレートを取り出した。
「頑張って飲んだら、これお口直しにあげますから。」
お皿に乗せたチョコレートをカレンの前に置こうと膝をついて、麻流はギョッとする。
「…王子?」
小さく呼びかけられ、ハッと我に返ったカレンは、慌てて涙を拭った。
「ご…ごめ…久しぶりの麻流のハーブティーだったから、懐かしくって…。」
何度も涙を拭うけれど、エメラルドグリーンから溢れる涙は止まらない。
麻流はそんなカレンを無言で見つめていたけれど、音もなく立ち上がり距離を取った。
「どんな関係だったか覚えていませんが、今の私とあなたの思い出の中の私は、別人だと思って頂きたい。」
冷ややかな麻流の言葉にカレンの瞳が大きく見開かれ、明らかに傷ついた様子が見える。
(!)
その表情に、麻流の胸は突き刺されたように痛んだけれど、ふりきるように身を翻し、逃げるように部屋を出ていった。
扉が小さな音を立てて閉まる様子を、カレンは黙って見つめる。
そして扉が閉まると同時に、顔を歪め、テーブルに拳を打ち付けた。
ガシャン!
カップが浮き上がり、ソーサーとぶつかる音が室内に響く。
カレンは歯をくいしばり、頭を抱え込んだ。
「う~…っ!!」
呻き声をあげながら、嗚咽するカレン。
なんとか前向きに頑張ろうとしてきたけれど、やはり拒絶され続けるのは精神的に堪える。
近づきそうになるたびに無意識に期待してしまうので、拒絶されるとそのぶん傷つく。
カレンは身を縮め、声を上げて思い切り泣いた。
暫く泣き続けていると、そのうち少しずつ辛さが和らいでくる。
カレンは再び顔を上げて、テーブルに置かれたハーブティーとチョコレートを見た。
久しぶりの、麻流のハーブティー。
カレンは震える手を伸ばし、そっとカップを包み込む。
少し冷めたけれど、やわらかな温かさがまるで麻流の優しさのように感じ、再び瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。
けれどそれは先ほどの涙とは違い、その表情は綻んでいる。
「…いただきます…。」
静かな部屋に響く涙声。
カレンは自嘲的に笑うと、そっとカップに口をつけた。
「…まず…。」
独特な風味に加え、後味に妙な甘さが残り、カレンは思わず顔をしかめる。
『頑張って飲んでください。』
麻流の言葉を思い出したカレンは、一気にそれを煽った。
「ぅわっ!」
あまりの不味さに顔を歪めながらカップを置くカレンの耳に、再び麻流の言葉が聞こえる。
『お口直しに、これあげますから。』
カレンはお皿のチョコレートを口に入れると、すぐにその顔を輝かせた。
「美味しい♡」
カレンはソファーに深く沈みこむと、ゆっくりと口の中のチョコレートを溶かす。
「ありがとう、マル。」
麻流の代わりに、クッションを抱きしめるカレン。
その様子を、二人の影が天井裏からジッと見つめていた。
食い入るように見つめる小柄な影の肩を、銀髪の影がそっと掴む。
促され、小柄な影も銀髪の影について、無言のまま静かにその場から去った。
理巧の部屋へ降り立った二人を、空がソファーへ横たわった姿で出迎える。
「だから、廃人になるってば。」
理巧を諌めるように言いながらも、その表情はどこか試すように笑っていた。
「…お気づきでしたか。」
理巧が空の前に跪くと、空はその瞳を三日月に細める。
「なめてんの?」
その言葉に深々と頭を下げる理巧の頭を、空はガシガシと荒っぽく撫でながら、麻流を見た。
「で、どう?」
麻流は、感情の読めない冷ややかな表情で空を見つめ返す。
「どう、とは?」
頑なに心を閉ざそうとしている麻流に、空は喉の奥で笑いながら起き上がった。
「惚れた?」
からかうように言う空に、麻流は冷ややかな笑顔で答える。
「任務対象者に私情を抱くほど、落ちぶれていません。」
麻流の言葉に、空は目を丸くした。
そして、声を上げて笑う。
「じゃ、俺は落ちぶれた忍ってことか!頭領失格だな!」
空の言葉で、麻流は自分の失言に気づいた。
冷ややかな仮面を剥ぎ取られた麻流は、手で口を覆いながら膝をつく。
そして、深々と頭を下げた。
「も…申し訳ありません!」
全身から、汗が噴き出す。
「俺、任務対象者の女に惚れて、結婚しちまったからさ。
作品名:⑧残念王子と闇のマル 作家名:しずか