決闘! 幡ヶ谷駅!
再び間合いの外で対峙したが、今度は俺から仕掛けて行った。
俺が踏み込む動きを見せると桃子はさっと退く、その動きを繰り返すことで桃子の太刀筋を見極めようと考えたのだ。
だが、その考えも少しばかり甘かったようだ。
何度目かに少し大きく踏み込む動きで誘うと、桃子はすかさず傘を繰り出して来た、その速さは最初の突きよりも速く、しかも俺の顔を狙って来たのだ、すんでの所でかわしたが、もし本当に踏み込むつもりだったら危なかった。
俺の頬から一筋の血が流れた、桃子の得物は傘、その石突は細く長いものの、本来武器として作られた代物ではない、その傘を使ってすらこんな傷を作るとは……。
俺は流れ出した血を左の親指でぬぐうと、その指先をペロリと舐めた。
血の味と頬の痛みが、平凡なサラリーマン生活の中ここしばらく眠っていた俺の野生を呼び覚ました……頭はシンと冴え、身体には力がみなぎり、神経が研ぎ澄まされて行くのを感じる。
おそらくは俺の目から野生の光を読み取ったのだろう、桃子は少しばかり勝負を急いだ。
傘の先端が俺の鳩尾めがけて飛んで来る、しかし研ぎ澄まされた俺の神経はそれをいち早く察知して身体に命令を下した。
俺はマトリックスの一シーンのように大きく背中を反らして切っ先をやり過ごすと、右手の指を酔拳の型にしてそれを掴む、桃子もそれを察知したのだろう、素早く傘を引こうとしたが、俺の左手の方が早かった、両手で傘を掴んだならもう引かせはしない。
「アチャァァァァァァ!」
怪鳥のごとき雄たけびと共に俺は桃子の傘を奪い、それをZ型に曲げて肩越しに放り投げた。
「くっ……」
桃子の目に狼狽の色が浮かぶ、しかし、それで諦めようとはしなかった、傘は持っていないまでも突きの型で拳を突き出して来る、俺はそれを難なくかわした……はずだったが、桃子の狙いは単純な突きではなかった、拳は囮、本当の狙いは俺の左脚だった。
「ウガァァァ……」
激痛に俺は思わず唸った、ピンヒールでつま先を思い切り踏まれたのだ。
俺が怯んだ隙を見逃す桃子ではない、今度は本当に俺の眉間を目掛けて拳を突き出して来た、しかし、拳と拳の勝負なら俺に一日の長がある。
「アチョォォォォ」
激痛に半ば目が眩みながらも左腕で桃子の拳を跳ね上げ、その体の回転のまま右の拳を桃子の脇腹に打ち込んだ。
「ギャッ…………グゥゥゥゥゥ……」
桃子はギャラリーの壁まで吹っ飛び、そこで蹲ったまま立てなくなった……勝負は決まったのだ。
息を詰めるように勝負を見守っていたギャラリーから歓声が沸きあがった。
「見たかい? 強いねぇ、凄いカンフー使いだねぇ」
「そりゃそのはずさ」
「どうして?」
「彼の名は青井三男、つまりブルー・スリーだ」
「区切りが違ってる気もするが、なんにせよブルーの勝ちだ、俺ぁスカッとしたぜ」
歓喜に沸いているギャラリーを他所に、俺は桃子を見やった。
顔ではなく腹を狙ったのは一瞬の配慮だった、いかにメドゥーサと言えども女は女、顔を傷つけるのだけは避けたのだ、だが、拳に加減が出来るほどの余裕もなかったこともまた事実、桃子はそれほどの相手だった……。
「立てるか?」
俺は桃子に手を差し伸べた。
「ウゥゥゥゥ……敵に情けなどかけるな……」
桃子は脇腹を抱えたまま搾り出すように答えた。
「情けじゃないさ、良い勝負だった、俺も頬とつま先がズキズキと痛むよ」
「それで動けなくなるものでもない……あたしの負けだ……」
「ああ、俺の勝ちだ、だが、俺だって一歩間違えば顔を突かれて今頃は救急車の中だったかも知れん……紙一重だったな」
「……ふん、紙一重か……それは随分とぶ厚い紙のようだが……」
桃子は少しだけ頬を緩めて差し出した俺の手を握った……。