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アテルマ国の真実

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「だから、ここを出て行った人は記憶が一部欠落しているんですね?」
「ええ、その通り」
 今度は、この男性、自分の記憶が失われているという意識ではなく、最初から欠落しているのだという意識を持っているようだ。
 時と場合によって、この施設を出ていった人は、記憶の欠落を迎える。
 ただ、それは、この場所と表の世界だけの話ではない。ここのように閉鎖、あるいは隔離された施設で育った人間が表の世界に何を求めるかによって違ってくるのだが、自由を求める人もいれば、出て行ったことで、不安だけが募ってしまい、期待と不安の両方があったくせに、不安のために、期待を忘れてしまう。
 つまりは、期待していたという記憶をなくしてしまうということだ。
 この場合は、欠落ではなく、喪失になる。自分の思っていることをなくすのは、喪失であり、自分の中にある潜在意識や無意識の行動などをなくしてしまうのは、欠落になるのだ。
 すると、ここにいた人は皆欠落になるので、期待や不安といった感情をなくしてしまったわけではない。
 まったくなくしていないわけではないが。なくしてしまった潜在意識のい印象が強すぎるので、彼らは欠落となるのだ。
 今ここで三人が、同じシチュエーションを繰り返しているが、最初は欠落を思い出そうとする時、そして、次には喪失を思い出そうとする場合である。
 欠落を思い出しただけでは、すべてを思い出したことにはならない。もう一度、思い出すシチュエーションに戻って、喪失するはずだった意識を再認識する必要があるのだ。そうでなければ欠落した記憶を取り戻したとしても、それを活性化することはできないのである。
 それは、一種の「副作用」のようなもの。それを一番分かっているのは、この場では、この男性に違いない。
 男性とシスターが話をしているところにやってきたしおり、
「あら? あなたは?」
 と言って、しおりは男性の顔を見る。懐かしそうに微笑んでいるが、その表情には、
「やっと会えた」
 という気持ちが込み上がってきているようだった。
 三年ぶりの再会。それは、しおりにとっての予期せぬできごとであったが、顔を見た瞬間、
「会えると思っていた」
 という思いに変わっていた。
 予期していなかったのは、確かに事実だったが、会えると思った気持ちは真実だった。こんなところでも、事実と真実の違いがあるのだと、しおりは感じていた。
「君は確か、ハンカチを落とした時の?」
「ええ、あの時の私のことを覚えていていただけたんですか?」
「はい、またお会いしたいと思っていました」
 二人の会話は、三年前の瞬間のことではなく、お互いの相手のことに言及していた。だからこそ、再会を素直に喜べるのだし、しおりにとっても、真実と事実の違いを感じることができたのだ。
「今やっている研究がほぼほぼ完成したので、気分転換にやってきました」
 と、更科はホッとした様子で話した。
 普段の更科しか知らない人は、彼が自分の今の仕事のことを口にすることも、安心したような表情をしていることも、想像がつかないに違いない。だが、しおりは、そんな更科を見て、
――やっぱりこの人はこの笑顔が似合う――
 と感じ、シスターも、
――本当に懐かしいわ――
 と思わせるものだった。
 しおりはここにいた時の更科のことを知るはずもないのに、彼がここにいてすっかりまわりに溶け込んでいることを感じていた。いくら以前、ここにいた人だとしても、その頃のその人を知らないのに、ここまでまわりに馴染んでいるのを見るなど、信じられるものではなかった。特に、しおり自身もこの施設にいたのだ。同じ場所にいても、その場面を見たことがなければ、より遠い存在に感じられるものだと思うのだった。
――どちらが本当のことなのかしら?
 先にしおりが訪ねてきた方なのか、それとも更科が現れたことなのか、どちらもシスターには分かっていた。
 そして、シスターは本当は二人が顔見知りであることも分かっていた。ここで一緒になったことはなかったが、更科がここを卒業後に何度か顔を出した時、しおりと話をしているのを何度も目撃していた。
 しかし、どうやら、更科はここを卒業してから、ここに来るのが初めてのように思っているようだ。それも、記憶の欠落が招いたことなのかも知れない。
――いえ、この場合の記憶は、欠落ではなく、喪失なのよ。欠落というのは、更科君側に立って見た場合のこと。彼の意識するところではなく、潜在意識として秘められている記憶は、喪失なんだわ――
 更科は、自分が記憶を欠落させることを担っているのだと分かっていることで、余計に潜在意識の中でよもや記憶の喪失が隠されていることに気づくはずもなかった。彼にとって潜在意識は、まったくの死角になるからだ。
 更科は、自分がこのアテルマ国を担うための研究をしていることで、まわりの誰よりも何でも知っていると思い込んでいる。あからさまに感じているわけではないが、それは潜在意識のなせる業だった。
 だが、実際にはシスターの感じていることは、すべて更科の中にある感情を支配している。ある意味で、
――凌駕している――
 と言ってもいいかも知れない。
 だから、最初にしおりが見えていなかった時、この施設を見た時、シスターの存在を認めようとはしなかった。実際に見えていなかったのかも知れない。それは更科が、
「事実だけを見ようとして、真実を見ようとはしなかったからではないか」
 と言えるのではないだろうか。
 シスターというのも、本当に存在しているのだろうか?
 考えてみれば、訪ねたシスターは、二人とも知っている人であった。二人が卒業して何年も経っているというのに、更科から見ても、しおりから見ても、自分の知っているシスターとまったく変わっていない。
 ということは、更科が見ているシスターと、しおりが見ているシスターとでは、
「違う人を見ている」
 と言ってもいいくらいに、年齢差があるはずだった。
 更科は自分がこの世界を動かしているかのように思っていたが、それはまるで、
――釈迦の掌の上で踊らされている孫悟空――
 のようであった。
 アテルマ国は、元々、
「どの宗教にも属さない無宗教の国」
 として有名で、信仰の自由を唱っていながら、アテルマ国に特定の宗教を信仰している人はいなかった。
 それは、六角国の支配下にあった頃からのことで、六角国がこの地域に目をつけて、自国の属国にしようと企んだ理由の一番が、そこにあったのだ。
 六角国から独立して、他の国との混血を極端に嫌っているのは、信仰の自由でありながら、信仰する宗教を持たないという独自の民族性を継続させるためのものだったのだ。
 しかし、それを大っぴらの理由として表に出すわけにもいかない。とりあえず研究チームを形だけでも作り、実際には違う研究をさせる。そのためには、研究員の洗脳が急務だった。
 そこには、信仰していないにも関わらず、あたかも信仰心を植え付けるようなシスターを配置することによって、研究員を洗脳する。記憶の欠落であったり、喪失も、そうした策略の中の一つでしかない。
作品名:アテルマ国の真実 作家名:森本晃次