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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Hail mary pass

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 そのとき渡された電話番号は、今でも財布の中にある。取り出すと、小さなメモ用紙の切れ端に書かれた番号は一切滲んでおらず、はっきりと読めた。弥生が短くクラクションを鳴らした。車の中で心配そうな顔をして『大丈夫?』と言っている。そう、根は性格がいい子なのだ。弥生は、付き合う相手が悪すぎる。清水は電話をかけた。しばらくして電話口に出た相手は無言だったが、清水が名乗ると、すぐに三年前の雰囲気を取り戻した。
「おー、久しぶりやないか。元気にやっとるか」
 岩村の声は、三年前と全く変わっていなかった。死体の胸に突き立った斧を思い出して、清水は思わず顔をしかめた。
「ええ、おかげさまで元気です。三年前のことなんですが、うちの妹の……」
 岩村は機械のような正確さで、全て覚えていた。顛末を話し終える頃には、頭の中に計画が浮かび上がっている様子だった。しばらく誰かと話していたが、それが高岡であることは明らかだった。
「よっしゃ分かった。お前、人探しは今でもできるか?」
「はい」
「ほな、五十ぐらいの奴でええから、ホームレス連れて来い。いっぺん心臓いわしとる奴がええ」
「分かりました」
 深く考えずに返事した後、清水は思わず言った。
「いつまでですか?」
「連れてこれるようになったら、この番号にかけてくれや」
 岩村は一方的に電話を切った。電話ボックスの中に満ちた冷たい空気を振り払うように、清水は表に出た。逃げるようにセリカの運転席に戻ると、弥生がじっと見つめていた。
「兄ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫や」
 一週間後、差し出したワンカップを美味しそうに飲むホームレスの男から、心臓が弱いからあまり酒は飲めないという話を聞きだした。『そりゃ毒ですよ。この辺にしないと』と清水が言うと、男は手を振りながら『いけるわこれぐらい』と強がって、余計にワンカップを煽った。ときどき表情に苦痛が浮かぶのを見て、それは心臓の痛みだろうと清水は思った。仕事を紹介してやると言い、その日に岩村に連絡した。
 そして、さらに二週間が経った日のお昼時に、いつもの喫茶店で時間を潰していると、マスターが言った。
「清水くん、電話だよ」
 和馬だと思って受話器を取ると、相手は岩村だった。
「おう、今からいけるか」
「えっ、どこにですか?」
 清水が言うと、岩村は声を上げて笑った。
「お前、自分の言うたことぐらいは、覚えとかんかいな。裏にいてる」
 喫茶店から出て裏に回ると、臙脂色のいすゞファーゴが停まっているのが見えた。サイドウィンドウはスモークで隠されていて、中の様子は伺えなかったが、運転席に座っているのは岩村だった。助手席のドアを開けてすぐに、中から漂う悪臭に清水は顔をしかめた。岩村は愛想笑いのような表情を向けると、言った。
「すまんな、堪忍してや」
 岩村はファーゴを西に向けて走らせた。一時間ぐらい走ったところで、清水は気づいた。真ん中に大きな川が流れる小さな町。そこは、和馬の勤める交番の近くだった。
「ええっと、灰野巡査やったかな。彼は今、チャリで走りまわっとる」
 警察官の基本であるパトロールだが、岩村の言い方はどこか間が抜けていた。清水が岩村の顔を見ると、岩村はハザードを焚いて、ファーゴを路肩に寄せた。
「聞いた話やと、あまり厚遇されとらんな。弟の出来が悪すぎるみたいや」
 それも、和馬が何かと清水家に当たる要因のひとつだろう。弟が捕まってばかりだから、和馬自身の出世にも大きく影響している。清水は大きく深呼吸したが、少しの間忘れていた悪臭を吸い込んでまた顔をしかめた。
「ああ、すまんな。こっからがおもろいぞ」
 岩村はファーゴから降りると、後ろに回ってリアハッチを開けた。少し遅れて岩村の隣に立った清水は、荷室に横たわっているのが、あの心臓の悪いホームレスであることに今さら気づいた。岩村は、荷室に転がっているほうきを手に取ると、柄でホームレスの頭を小突いた。がくんと跳ねてホームレスが飛び起き、目をぎょろぎょろと左右に向けた。その異様な様子に、清水は思わず目を逸らせた。
「……、何したんですか」
「ちょっと元気にしたったんや」
 岩村は薄笑いを浮かべると、男を掴んで引きずり下ろした。
「ええか、思い切りいけよ」
 ホームレスは体を震わせながらうなずいた。岩村はリアハッチを閉めると、ファーゴの運転席に戻った。清水が助手席に乗り込むと、少し離れた土手の方へ走らせて、トラックの横に停めた。
「さあ、どないなるか見物やな」
「あの、ほんまに何をしたんですか?」
 清水が言うと、岩村は面倒そうに顔をしかめた。
「シャブや。あの灰野巡査の顔を何べんも見せて、殺したらまた打ったるて言うといた。今は切れかかっとるからな、何でもしよるぞ」
「殺してくれなんて、言うてませんよ。待ってください」
「まあ、見とけ」
 清水がホームレスの方に視線を戻したとき、角から自転車に乗った和馬が現れた。警察官の制服に、制帽。まっすぐな姿勢。性格そのままに見えた。一瞬、中華料理屋で乾杯をしたときの記憶が蘇った。清水は首を横に振った。
「いや、あかんって。和馬!」
 思わず名前を呼んで降りようとしたとき、岩村が拳銃を抜いて、清水のわき腹に突きつけた。刺すような強い力だった。清水が思わず呻くと、岩村は呟いた。
「どこ行くんじゃ、よう見とけ」
 ふらふらと歩くホームレスに気づいた和馬は、自転車から降りて、スタンドを起こした。声は聞こえなかったが、ホームレスの視線に気づいたとき、身構えたのが清水にも分かった。そこから後は、早送りのように一瞬だった。ホームレスが飛び掛り、和馬はその力を使って反対側に投げ飛ばした後、体の上に馬乗りになって取り押さえた。和馬が勝ったことを確信して清水が胸をなでおろすと、岩村は拳銃を清水の体から離し、何度も小さくうなずきながら、言った。
「手際がええな」
「昔からあの兄弟は強かった」
 清水はそう言いながら、和馬の様子がおかしいことに気づいた。ホームレスから離れ、明らかにうろたえているように見えた。
「おー、心臓に来たか。しゃあないな」
 岩村はわざとらしく笑いながら、呟いた。清水はようやく岩村の目的に気づいて、シートに深くもたれた。体に、自分で起きているだけの力が残っていないように思えた。岩村は言った。
「これで灰野巡査は、問題児確定やな」
 和馬がうろたえている様子を初めて見た。いつも背筋を伸ばして、隙ひとつなかった灰野家の長男。その姿を目に焼き付けた清水は、岩村にも気づかれないように少し微笑んだ。
作品名:Hail mary pass 作家名:オオサカタロウ