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オオサカタロウ
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Hail mary pass

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【3】


一九八五年 五月七日 夜

 夜十時、喫茶店で時間を潰している清水に、マスターが言った。
「清水くん、電話入ってるよ」
 急に電話で呼ばれると、今でも思い出す。初めて人が死ぬのを見た三年前。それ以来、近くにある建設会社で勤め始めてからは、あの二人とは関わっていない。ただ、向山を介して現状を耳にすることはあった。高岡と岩村は破格に金払いがいいらしく、向山は三年間の内に自分のアパートを借りて、人並みの暮らしを送るようになっていた。
「清水くーん」
 マスターの呆れたような呼びかけに、清水は頭を下げながら立ち上がり、電話を取った。
「もしもし、清水ですが」
「久しぶり」
 電話の相手は灰野和馬だった。幼馴染であり、堅物の警察官。
「どうした?」
 清水が尋ねると、和馬は馬鹿にしたように笑った。
「今日、勝馬が出所しよったんやけどな、例の中華の店で子分どつきよったんや。大騒ぎになっとるわ」
 一瞬、自分に何の関係があるのかと聞き返しそうになって、清水は口をつぐんだ。和馬は続けた。
「弥生も一緒や。近いやろお前。迎えに行ったれ」
「分かった」
 清水は短く答えて、電話を切った。和馬が自分に電話をかけてきた理由も、『例の中華の店』の場所も、清水には分かっていた。勝馬は、三年前の強盗致傷事件で実刑判決を受けた。そして弥生は、主犯ではないとして、執行猶予付きとはいえ自由の身になった。全て、あの警察官の証言がひっくり返したのだ。岩村の安請け合いに聞こえた『よう、ゆうとくわ』は、現実になった。『清水が妹を守る為に、裏で手を回した』。それが和馬の見解であり、清水家の人間はそういうことをしても不思議じゃないと、灰野家から思われていた。清水家と灰野家は、同じ集落に横並びに家を構える。冬になると行き来が困難になるぐらい険しい県道の、さらに奥にある。清水家は、灰野家より代が長く、金も土地も持っていた。灰野家はというと、家長は正直ろくでなしだ。つまり和馬と勝馬の父親だが、賭け事に目がなく、あの辺鄙な集落からしょっちゅう町に下りて行っては、生活費を飛ばして帰ってきていた。そしてそんなときは、清水家は必ず救いの手を差し伸べてきた。その恩は忘れないと、和馬は事あるごとに言っていた。特に勝馬は、小さい頃病弱で、手のかかる子供だったからだ。
 喫茶店から出て、外の道路に停めたセリカに乗り込むと、清水は大きく深呼吸した。今から行く先には、和馬もいるだろう。だからこそ、電話をかけてきたのだ。幼馴染なのは間違いないし、子供の頃はよく川で遊んだ。清水兄妹と和馬。三人の思い出は、それこそ人生の半分以上を占めている。その人間関係は、大人になった瞬間堰を切ったように崩れた。
 三十分ぐらい車を走らせた先に、パトカーが二台停まっているのが見えた。その店は和馬が警察官になって、初任給で中華料理をおごってくれた場所でもあった。少し前の年式のサニークーペが停まっているのを見て、清水はその後ろにセリカを寄せた。和馬の車。警察官たちが立ち話をしているのをやり過ごして店の中に入ると、鼻血をだらだら流しながら床に座っている男と、その仲間数人、そして弥生がいた。
「お前、何をふらふらしとるんや」
 清水が言うと、弥生は小さく舌を出して、すっかり冷めた料理が並ぶソファに座った。
「勝馬くん、急に怒るんやもん」
 肝心の勝馬がいないと思って清水が奥を覗き込むと、同じく顔から血を流した勝馬がトイレから帰ってくるところだった。
「あ、兄さん。どうもっす」
 その、飄々とした出で立ち。力は強いが一見細身で少し猫背気味なのは、最近になって特に強調されているように、清水は感じた。
「おう、和馬は?」
「ポリさんと話してます」
 その言葉に何人かの警察官が視線を寄越したが、勝馬は全く気にかけていない様子で、弥生の隣にどっかりと腰を下ろした。
「すまんな」
 その言葉は弥生に向いていた。その気安い話し方に、清水は拳を固めた。そもそも、強盗グループに誘ったのは、勝馬だったはずだ。証言をねじ曲げて正解だったと、清水は改めて思った。
「ううん、でも急に怒ったらあかんよ」
 小柄で華奢な弥生の、正気かどうかもはっきりしない、うつろな大きい目。清水が最も苛立ちを覚えるのは、今ソファにだらしなく座っている二人が、この上なくお似合いに見えるということだった。
「ゆうちゃん、悪いな」
 清水は、下の名前を裕也という。その名前で呼ぶのは、和馬だけだ。清水が声の方向に顔を向けると、和馬が立っていた。背丈も体格も、清水とそう変わらない。二人とも大柄なほうで、身長は百八十センチあった。しかし和馬からは、いつも冬の空気のような冷気が漂っていた。それを理解しているように、周りの警察官も少し距離を置いているように見えた。和馬は、勝馬に殴られた男の顔を覗きこんで、言った。
「あんなんにやられよって。しょーもない」
 仲間の一人が抗議しようとしたのを無視して、和馬は、勝馬の胸倉を掴んで持ち上げると、その顔を拳で殴った。顔が後ろにのけぞり、壁にかかった鏡が粉々に砕けた。弥生が悲鳴を上げてソファから転げ落ち、勝馬は和馬が手を離すのに合わせて、人形のようにソファに崩れた。
「これぐらいやらんかい」
 和馬はテーブルに丸められたおしぼりを拾い上げると、手を拭いた。清水は、弥生がまたソファに座りなおすのを見ながら言った。
「弥生、いこか。車乗っとき」
 弥生は少し肩を震わせながらうなずいた。青い顔でよろけながら立ち上がると、清水をやりすごして表に出て行った。清水がそれに続いて外に出ようとすると、和馬が肩を掴んで止めた。
「脇田って名前、聞き覚えあるか?」
 清水は、心臓を掴まれたように感じて、その手を振り払った。それは、証言を翻した警察官の名前だった。平静を装って首を横に振ると、和馬は笑った。
「そいつと、こないだ話してな。もう警官は辞めとるけど、おもろいこと言うとったぞ」
「そうか」
 清水は和馬の視線を振り切るようにして、店から出た。セリカに乗り込んでエンジンをかけたところで、隣に座る弥生が言った。
「大丈夫なん?」
「大丈夫や」
 清水はオウム返しに返事をすると、集落まで車を走らせた。その間、ほとんど言葉を交わすことはなかった。和馬は、自分の弟が実刑判決を受けた理由を、三年間調べていたのだ。そして、脇田元巡査に行きついた。和馬は、常に上手に立とうとする。灰野家の長男だし、親の借金という引け目があるからだろう。清水は途中、電話ボックスを見つけてセリカを停めた。
「ちょっと待っとって」
 電話ボックスに入り、考える。頭の中で巡る考えに逆らうように、手が動かなかった。三年前、夜が明けて、朝飯を食べるのに寄ったラーメン屋。そこで岩村が最後に言った言葉。
『困ったらいつでも電話せえよ』
作品名:Hail mary pass 作家名:オオサカタロウ