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短編集10(過去作品)

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 これが付き合った女性の最後の言葉だった。何人とも付き合ったが、必ず最後は同じような言葉で終わってしまう。それは試行錯誤が原因であることは何となく分かっていた。しかし簡単に拭い去れるものでないから試行錯誤するのであって、不安は私にとってどうすることのできないものである。それが社会人となり、任された仕事を一心不乱にこなすことで解消されるなど、こんな簡単なことだったのか、と思ったくらいだ。
 プロジェクトという会社の重要機関を任されたことで、そこに身を置くことが今の自分のすべてであった。しかし、そのプロジェクトも終われば後は普通の事務処理が待っているだけだった。不景気のこの時期、なかなか新しいプロジェクトなど頻繁にあるものではなく、ここ一ヶ月ほど淡々とした毎日が続いていたのだ。
「刺激が足りないなあ」
 ことあるごとにそう呟いては、ため息を漏らしていた。一日で三日が過ぎたような物足りなさがある。
 今まで明るいうちに会社を出るなど信じられず、今から呑み会という同僚を尻目に、帰宅する毎日が続いた。
「たまにはいいじゃないですか」
「いや、酒は苦手でね」
 そう言って苦笑してみたが、本当は酒が苦手なわけではない。呑み会に行っても、自分の居場所がそこにあるわけではなく惨めな思いをするくらいなら、と思ってしまうのは卑屈になっているからであろうか。
 一度会社の帰り、家の近くの居酒屋へ立ち寄ったことがあったが、酔いが深まるにしたがって、そこが自分の居場所ではないことを今さらながら思い知らされるだけだった。
 学生時代から一人で呑むのはきらいな方ではなかった。大学時代などコンパをするより一人でゆっくり呑んでいる方が落ち着くタイプで、それなりに馴染みの店もあった。常連同士で会話が弾むこともあったが、店に入りゆっくり一人で呑むことも多く、そんな時は一言も話さずにただ飲んでいた。暖簾をくぐるとそこは私にとって普段と違う世界が開けるのだ。
 そういえば会社の帰りに寄った居酒屋で面白い話を小耳に挟んだ。中年の男女が私から二つほど離れた席で呑んでいた。
「最近、一日があっという間に過ぎる気がするんだよ」
 男の人が先にそう切り出した。すでにジョッキーは空になりかけていて、新しいのを注文した後だったようだ。
「それ、私も感じる時があるわ」
「でも寝る前にその日の朝のことを考えると、まるで何日か前だったような気がするんだよね」
 そう言って、男は泡が溢れそうなジョッキーを口元へと運んだ。中年女性はそれを聞くと頷いている。実は私も心の中で頷いていた。
「うんうん、確かにそれは言えるわ」
 女性も同じようにジョッキーを口に運び、おいしそうに喉を鳴らしていた。この二人すでにかなりの量を飲んでいるのかも知れない。
「でもそれって、精神的なことなのかしらね?」
 女性が聞き返す。男性はニヤリと微笑んだように思えたが、
「いやいや、それこそその人の運命じゃないのかな?」
 何のことを言ってるのか、私にはよく分からなかったが、女性に対して見せた笑みを考えると、言いたいことはどうやらそのあたりのことのようだ。
「精神的なことのように思うのは、無意識のうちに運命を信じたくないと思う意識が働くからだよ」
「え? それってどういうこと?」
「たぶん、皆一日の長さについて同じような思いをしたことがあると思うんだけど、それが運命であることは分かってるはずなんだよね。そこで自衛本能が働く……」
「自衛本能か……、何となく分かる気もするわ」
 この二人、こういう話が好きなのかも知れない。日頃からしている会話なら、お互いの気持ちが分かっても然るべきで、あうんの呼吸がそこにあっても不思議ではない。
 しかしその時の私にはこの男の言わんとしたことがおぼろげながらに分かる気がしていた。私にも一日の長さに関して当てはまるところがあるからで、それについて何度か自分なりに考えたこともあった。
 一時間、一日、一週間、一ヶ月……、単位を分けていくとその時々は短く思えても、終わってみて過去のある一点を思い出そうとすると、かなり前だったような気になる。
 躁鬱症の自覚がある私は、躁状態、鬱状態の転機が分かるのだが、その時にふと過去を思い出すが、それはごく自然な感覚である。「あれ?」と感じることも少なくなく、どこからそんな思いが出るのか考えた時にはすでに頭は違うことを考えていて、その瞬間に戻ることはできないでいる。
 今の男性の話はつくづく尤もで、私の疑問を解きほぐしてくれるような気がしてならない。「目からうろこが落ちる」とは、まさしくその通りだ。
 その日の私は少し呑みすぎたかも知れない。記憶があるのはそこまでで、後の記憶は自分の部屋のベッドで目が覚めた後のことだった。その時入れたモーニングコーヒーがやたらとおいしかったことを覚えている。
「自衛本能……」
 その言葉が頭に引っかかっていて、何かというと思い出すようになった。特に仕事を始めとする生活のリズムに余裕ができたことに始まり、元々いつも何かを考えないではいられない性分であることが災いしているからだ。しかしおぼろげながらに分かっても、それが自分に直接関係あることかどうかは疑問であり、そこまで深く考える必要はないと思いながらも、気になってしまう。
 それから時々会社の帰りに例の居酒屋に寄ってみた。あの時の男女がまたいるかも知れないという期待の元であるが、結局一度も会うことはなかった。しかしおかげで最近はこの店の常連の仲間入りすることになったのは皮肉なことだ。
 店までの徒歩、いつも私は空を見上げている。ここは都会という都会ではないが、少なくともベッドタウンとして有名な住宅街である。にもかかわらずこのあたりから見る天体はみごとに星が散りばめられ、月も手を伸ばせば掴めるのではと思えるほど、きれいに見えている。私が知っている中でこれ以上きれいに天体を拝めるところはここ以外にはないのだ。
 そう、その日は弓なりになった三日月だった。お盆のようにきれいな満月も結構だが、たまには攻撃的なブーメランのような三日月もいいものだ。しばしその鋭角な黄色が目の奥に焼きついて離れない気がしていた。
「マスター、そういえばこの間ここにいた中年の男女は夫婦ですか?」
 常連ともなれば、マスターにも気軽に話しかけられる。
「中年の男女?」
「ええ、自分が最初来た時、ちょうどそこに座っていた男女ですよ」
「ああ、あの二人ですか。そういえば最近見ませんね。ええ、確か夫婦だったと思いますよ」
 私が差した指の先をマスターはじっと見つめた。口調は平静を装っているが、マスター自身明らかに私の質問にびっくりしているかのようである。
――ひょっとして、心当たりがないのでは?
 という疑問が頭を掠めた。そういえば私も会話で気になった部分以外のことはおぼろげな記憶しかない。中年の男女であったことの記憶以外は、表情の明暗もさることながら、どんな顔をしていたのかすら思い出せない。思い出そうとすると何か余計なことを考えてしまい、記憶をさかのぼらせるのを邪魔しているかのようだ。
作品名:短編集10(過去作品) 作家名:森本晃次