短編集10(過去作品)
噂話が好きそうな女性であれば、理由が分からないまでも、真相に近い話が聞けるに違いないと思ったからだ。
案の定、これだけの話が聞けた。この話から推測するに、やはり彼が「風の囁き」をいまだに信じていたことは間違いないようだ。
そういえば私が「風の囁き」を真実として認識した日、今から考えればおかしな日であった。
電車から降りてホームにいる時と、駅舎を出てからとでは、明らかに違う世界だった。今まで「風の囁き」にばかり気を取られていたが、違う世界だったことがまるで昨日のようにはっきり思い出すことができるのも、「風の囁き」を聞いたという思いが強いせいだったからに違いない。
電車を降りてホームにいた時に見た夕日。まぶしい限りの西日を見た時、私は母親のことを考えていた。
少年時代に行った浜辺で母と一緒にいたおにいさん、あれは母にとって大切な人ではなかったのか。
今まで恋人はおろか彼女すらできなかった私に気付くはずないと思っていただけで、心の底では気が付いていたのではないかと……。
駅のホームでいつも、おにいさんとおねえさんは私たち家族がやってくるのを待っていた。父はすでに途中の駅で降りており、母と弟と私の三人を乗せた電車がホームに滑り込んでくる。
父親が夜釣りを楽しみたい関係で、駅に降り立つ頃は眩しい西日を背にした二人が、私たちを待っているのだ。
眩しさに目がくらみそうになる。
ほっとした嬉しそうな笑顔を浮かべるおねえさんとは対照的に、母のほっとした顔を見て微笑みかけたくなる衝動を必死でこらえようとしているおにいさんの表情は、子供心にも分かるような気がしていた。
そんな二人の表情が私は好きだった。何となく家の中で感じる父と母のぎこちなさを忘れてくれるからである。
普段家で絶対に見ることのなかった表情、それが西日を受けた母の顔に浮かんでいる。
優梨子にも同じ表情を感じた。
あれはいつだったか覚えていないが、西日に向かって二人で話しながら歩いている時に思わず垣間見た表情だった。
「おねえさん」
思わず呟いてしまった。
その呟きが優梨子に聞こえるはずもなく、ほっとしたが、次の瞬間に私を見た優梨子が頷いているように感じたのは、気のせいであろうか?
いや、気のせいではないだろう。明らかに私を意識し、微笑んでいる気がして仕方がない。
私はいつものように駅を降り、西日を浴びた。
駅を出るとそこからは、駅舎の中と違い、暗闇が街を包んでいる。
いつものように角を曲がる。そこでは「風の囁き」が聞けるはずだった。かくいう今日の私は「風の囁き」を聞きにきたようなものだった。
その声は時には、母であり、浜辺のおねえさんであり、優梨子だったりする。
ある日優梨子が自分のことを話してくれた。
父親が、自分の小さい頃不倫をしていたこと。そのために家庭がバラバラになってしまったこと。そして優しいおねえさんがそばにいてくれたこと。すべてが私の浜辺での記憶と一致していた。
そして、自分にも「風の囁き」が聞こえるのだという。どうやら、その声はおねえさんに違いない。
私にとって「風の囁き」とは都合のいいことだったのだろうか?
次の日から、優梨子が私の前に現れることはなかった。
しかし私は優梨子を待ち続ける。
角を曲がって聞こえる「風の囁き」を感じながら……。
そして、駅を降りた時にシルエットとなって優梨子が現れることを期待しながら……。
( 完 )
作品名:短編集10(過去作品) 作家名:森本晃次