なんとなく歪んだ未来
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
不老不死への思い
昔から人間は、不老不死を願い、
「肉体は滅んでも、魂は生き残る」
と考えられてきた。
古代エジプトに見られるように、ピラミッドのような大きな陵墓の中には、ミイラと呼ばれる遺体が保管されている。ピラミッドのように権力者がその力を示すために作られたものが墓だというのも、「よみがえり」という意味で重要な役目を果たすと考えられていたこともあり、幾何学的なその建造物は、実に精密に作られていた。
世界各国の学者が古代エジプトに赴き、ピラミッドやミイラの研究に勤しんでいる。古代の人はどうしてそんなに「よみがえり」を信じるだけの根拠を持っていたのか、そして、ピラミッドやスフィンクス、そしてミイラに一体どういう意味があるというのか、どこまで分かっているのか、一般の人には想像もつくことではなかった。
杉原修という人物も、ピラミッドやミイラに興味を持っているようで、高校時代には古代史の先生に、授業が終わってもいろいろ聞いていたくらいだった。元々興味を持つようになったのは、子供の頃に見た特撮テレビでのミイラ怪人だったということは、さすがに恥ずかしくて誰にも言えなかったが、何かに興味を持っている人が、いつ興味を持ち始めたのかというきっかけを知らない時は、案外恥ずかしくて人に話せないと思っている人が多いのかも知れない。
戦隊ヒーロー物の子供番組というと、結構ギャグを盛り込んだものが多く、それほど子供に印象を深く持たせるものはないのだろうが、その時のミイラ怪人に関しては、ストーリー的にも結構シビアで、恐怖心を抱く子供も少なくなかったようだが、その分、印象に深く残った子供も多かったようだ。修もその一人で、何が怖かったと言って、
「汚い包帯が取れかかっているところがリアルで怖かった」
という印象が深かったからのようだ。
さらに、中学時代の修学旅行で東京に行った時、観光コースに含まれていた国立博物館見学というのがあったのだが、ちょうどその時展覧していたのが、
「古代エジプト博」
だったのだ。
ミイラ自体は偽者だったのだが、それに関連した棺や出土品が展示してあり、修は偽者と分かっていてもミイラのレプリカを見ながら、展示品より妄想することで、ミイラをより不気味に想像していた。目の前の展示品に集中するあまり、後ろから背中を叩かれて不用意に振り向くと、そこには今にも襲い掛からんとするミイラの化け物が迫ってきているという妄想すら思い浮かべているほどだった。
そういう意味で、
「ミイラというのは、怖いものだ」
として頭にこびりついてしまった印象が、いつの間に忘れられないほどの興味深い印象に変わってしまったのか、最初は自分でもよく分からなかった。しかし、古代史の勉強を重ねるうちに、古代のファラオと呼ばれる支配者が、死後の世界にいかに思いを馳せているのかということを思い図らんとすれば、そこに恐怖というものは一線を越えることで、興味に変わってしまうことを孕んでいるのを思い知らされた気がした。それだけ古代への思いは、何も知らない我々の時代から見た支配者が、どれほど偉大だったのかということを考えてしまうことを裏付けているように思えるのだった。
修は、どちらかというと、子供の頃から怖いもの知らずの方だった。毛虫などのような気持ち悪いものは嫌いだったが、怖いものと言うのは意識がなかった。
「怖いと思っているのは、気持ち悪いものと頭の中で混同してしまうから、怖いと思ってしまうんだよ」
と子供の頃から言っていたが、その思いは大人になっても変わっていない。むしろ大人になってからの方がその思いが強くなったように思える。
包帯から見えているのは真っ黒い肌だ。普通に見る包帯であれば、真っ赤な血の色が想像できるのに、真っ黒い色が見え隠れしているのを感じると、
――元々の血の色こそが、真っ黒だったのではないか――
と、思えるほどだった。
死んだ当初は真っ白だったはずの肌が、数千年の時を経て、真っ黒に変わってしまったとすれば、その変色の手品の種がどこにあるのか、探ってみたくなってくる。
数千年の歴史というのは、どんな些細な違いであっても、そこに少なからずの秘密が隠されているのではないかと思わざるおえないと考えるのは、奇抜な考えなのであろうか。
古代に思いを馳せるということが、未来への架け橋になるということに気が付いたのは、高校生の頃だった。
修には好きな女の子がいた。その子の名前は鈴木愛梨と言った。
愛梨とは、同じ中学からの進学だったが、高校二年生になることまでは意識することもなかった。愛梨は目立つことのない女の子で、修はなるべくまわりを意識しないようにしていたのだから、お互いに視線が合うこともなかった。愛梨も修も二人ともいつも下ばかりを見て歩いているので、視線を合わせることはないのだ。
しかし、そんな二人が視線を合わせたのは、出会いがしらというべきか、お互いにまったく意識していない中で目と目が合ってしまったのだ。愛梨はともかく、修の方はそこから視線を逸らすのは不自然で、ただ目のやり場に困ってしまったことで、どうしていいのか分からない様子がおかしかったのか、修を見ていた愛梨は、思わず笑ってしまっていた。
「ごめんなさい」
すぐに恥ずかしそうに身体を竦めたその姿に、修は萌えてしまった。
――この子は、こんな表情ができるんだ――
という思いが、たった今愛梨に対して感じた恥ずかしさを払拭させてくれた。そして、今なら愛梨に対してこれからの自分が優位に立つことができるのではないかと感じたのだった。
話をしてみると、二人の間の共通点は意外にも多いのに気が付いた。何といっても二人がまわりを今まで意識していなかったのは、自分という人間が、
「自分の考えていることが、あまりにも独創的なので、他の人には分かってもらえるはずはない」
という思いが強いということに、お互いが気づいた。
話をしているうちに、相手の気持ちが手に取るように分かることで、お互いに自分たちだけは、他の人とは違うということに気づいたのだろう。
「孤独こそ、独創性の母だ」
とずっと思っていたというのも、同じだった。
「ここで仲良くなると、お互いに独創性がなくなるかも知れないね」
と修がいうと、
「それでもいいかも知れない。でも、私はあなたと仲良くなっても独創性がなくなることはないと思っているの」
と、愛梨が言った、
「どうしてだい?」
と、修が訊ねると、
「だって今まで同じ考えの人がいないことで仕方なく孤独でいただけなのよ。同じ考えの人が現れたからと言ってなくなるようなら、私の独創性というのも、その程度のものなのかも知れないと思うの」
と愛梨がいうと、
「何とも潔い考えなんだね」
「そうかしら? ありがとうと言っておくわ」
不老不死への思い
昔から人間は、不老不死を願い、
「肉体は滅んでも、魂は生き残る」
と考えられてきた。
古代エジプトに見られるように、ピラミッドのような大きな陵墓の中には、ミイラと呼ばれる遺体が保管されている。ピラミッドのように権力者がその力を示すために作られたものが墓だというのも、「よみがえり」という意味で重要な役目を果たすと考えられていたこともあり、幾何学的なその建造物は、実に精密に作られていた。
世界各国の学者が古代エジプトに赴き、ピラミッドやミイラの研究に勤しんでいる。古代の人はどうしてそんなに「よみがえり」を信じるだけの根拠を持っていたのか、そして、ピラミッドやスフィンクス、そしてミイラに一体どういう意味があるというのか、どこまで分かっているのか、一般の人には想像もつくことではなかった。
杉原修という人物も、ピラミッドやミイラに興味を持っているようで、高校時代には古代史の先生に、授業が終わってもいろいろ聞いていたくらいだった。元々興味を持つようになったのは、子供の頃に見た特撮テレビでのミイラ怪人だったということは、さすがに恥ずかしくて誰にも言えなかったが、何かに興味を持っている人が、いつ興味を持ち始めたのかというきっかけを知らない時は、案外恥ずかしくて人に話せないと思っている人が多いのかも知れない。
戦隊ヒーロー物の子供番組というと、結構ギャグを盛り込んだものが多く、それほど子供に印象を深く持たせるものはないのだろうが、その時のミイラ怪人に関しては、ストーリー的にも結構シビアで、恐怖心を抱く子供も少なくなかったようだが、その分、印象に深く残った子供も多かったようだ。修もその一人で、何が怖かったと言って、
「汚い包帯が取れかかっているところがリアルで怖かった」
という印象が深かったからのようだ。
さらに、中学時代の修学旅行で東京に行った時、観光コースに含まれていた国立博物館見学というのがあったのだが、ちょうどその時展覧していたのが、
「古代エジプト博」
だったのだ。
ミイラ自体は偽者だったのだが、それに関連した棺や出土品が展示してあり、修は偽者と分かっていてもミイラのレプリカを見ながら、展示品より妄想することで、ミイラをより不気味に想像していた。目の前の展示品に集中するあまり、後ろから背中を叩かれて不用意に振り向くと、そこには今にも襲い掛からんとするミイラの化け物が迫ってきているという妄想すら思い浮かべているほどだった。
そういう意味で、
「ミイラというのは、怖いものだ」
として頭にこびりついてしまった印象が、いつの間に忘れられないほどの興味深い印象に変わってしまったのか、最初は自分でもよく分からなかった。しかし、古代史の勉強を重ねるうちに、古代のファラオと呼ばれる支配者が、死後の世界にいかに思いを馳せているのかということを思い図らんとすれば、そこに恐怖というものは一線を越えることで、興味に変わってしまうことを孕んでいるのを思い知らされた気がした。それだけ古代への思いは、何も知らない我々の時代から見た支配者が、どれほど偉大だったのかということを考えてしまうことを裏付けているように思えるのだった。
修は、どちらかというと、子供の頃から怖いもの知らずの方だった。毛虫などのような気持ち悪いものは嫌いだったが、怖いものと言うのは意識がなかった。
「怖いと思っているのは、気持ち悪いものと頭の中で混同してしまうから、怖いと思ってしまうんだよ」
と子供の頃から言っていたが、その思いは大人になっても変わっていない。むしろ大人になってからの方がその思いが強くなったように思える。
包帯から見えているのは真っ黒い肌だ。普通に見る包帯であれば、真っ赤な血の色が想像できるのに、真っ黒い色が見え隠れしているのを感じると、
――元々の血の色こそが、真っ黒だったのではないか――
と、思えるほどだった。
死んだ当初は真っ白だったはずの肌が、数千年の時を経て、真っ黒に変わってしまったとすれば、その変色の手品の種がどこにあるのか、探ってみたくなってくる。
数千年の歴史というのは、どんな些細な違いであっても、そこに少なからずの秘密が隠されているのではないかと思わざるおえないと考えるのは、奇抜な考えなのであろうか。
古代に思いを馳せるということが、未来への架け橋になるということに気が付いたのは、高校生の頃だった。
修には好きな女の子がいた。その子の名前は鈴木愛梨と言った。
愛梨とは、同じ中学からの進学だったが、高校二年生になることまでは意識することもなかった。愛梨は目立つことのない女の子で、修はなるべくまわりを意識しないようにしていたのだから、お互いに視線が合うこともなかった。愛梨も修も二人ともいつも下ばかりを見て歩いているので、視線を合わせることはないのだ。
しかし、そんな二人が視線を合わせたのは、出会いがしらというべきか、お互いにまったく意識していない中で目と目が合ってしまったのだ。愛梨はともかく、修の方はそこから視線を逸らすのは不自然で、ただ目のやり場に困ってしまったことで、どうしていいのか分からない様子がおかしかったのか、修を見ていた愛梨は、思わず笑ってしまっていた。
「ごめんなさい」
すぐに恥ずかしそうに身体を竦めたその姿に、修は萌えてしまった。
――この子は、こんな表情ができるんだ――
という思いが、たった今愛梨に対して感じた恥ずかしさを払拭させてくれた。そして、今なら愛梨に対してこれからの自分が優位に立つことができるのではないかと感じたのだった。
話をしてみると、二人の間の共通点は意外にも多いのに気が付いた。何といっても二人がまわりを今まで意識していなかったのは、自分という人間が、
「自分の考えていることが、あまりにも独創的なので、他の人には分かってもらえるはずはない」
という思いが強いということに、お互いが気づいた。
話をしているうちに、相手の気持ちが手に取るように分かることで、お互いに自分たちだけは、他の人とは違うということに気づいたのだろう。
「孤独こそ、独創性の母だ」
とずっと思っていたというのも、同じだった。
「ここで仲良くなると、お互いに独創性がなくなるかも知れないね」
と修がいうと、
「それでもいいかも知れない。でも、私はあなたと仲良くなっても独創性がなくなることはないと思っているの」
と、愛梨が言った、
「どうしてだい?」
と、修が訊ねると、
「だって今まで同じ考えの人がいないことで仕方なく孤独でいただけなのよ。同じ考えの人が現れたからと言ってなくなるようなら、私の独創性というのも、その程度のものなのかも知れないと思うの」
と愛梨がいうと、
「何とも潔い考えなんだね」
「そうかしら? ありがとうと言っておくわ」
作品名:なんとなく歪んだ未来 作家名:森本晃次