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慈雨と甘雨 7

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 このままいても音の正体はわからないと、本能的に悟り、次男蟻は黄色いものから離れ、四角い枠に阻まれた草に向かった。近づくと、四角い枠の集合体の大きさ、そして未知な質感に目を奪われ、背中の痛みは一瞬にして薄れ、代わりに目の前に反り返るように聳える草の壁が作った影に癒されていた。
 


また、大きな音がした。その音はあまりに大きく、次男蟻の小さな耳では許容できないほどのもので、詳しく聞き分け、口で表現できるほどのものではなかったので、代わりに表現しておく。

 カンカンカンカンカンカンカンカン
 カンカン
 カンカン
 カンカン

 その音の微妙な変化も次男蟻には気づけないだろう。それは体の小ささ故のもので、どうしようもないことなのだ。

 音は大きかったが、その方向はよくわかった。草の壁の向こう側。次男蟻は一番下にあった四角い枠から草の壁に入り込み、いつかの赤い花の下をくぐった景色をもう一度見た。頭上に広がる草の重なりが太陽を遮り、夏の木洩れ日のようなものに見えた。赤い花の時は月明りだったが、今は日明かり。日明かりという言葉があるかは、定かではない。

 草の下には確かな道はなかったが、草の生え際がいい具合にばらけていたため、進むのは容易だった。大勢の蟻の間をすり抜け、食堂を抜けることよりも容易だった。もちろん赤い花を潜り抜けるよりも。
 
 目に強い日明かりを感じると、本能的に体が進行を拒んだ。固まった体からゆっくり目を動かすと、一歩先に大地はなく、同じ土が落下するような形で続いていた。そばにあった小さな砂粒を触るとその力を受け、砂粒がゆっくり前に進んだかと思うと一気に加速し、次男蟻の視界から消えた。落下したのだ。
 目の前の草をゆっくり掻き分けると目の前にこれまた知らない景色が広がっていた。
眼下には黒い大地の上で妄想した崖が確かに存在し、崖の斜面にも草は生えているが、その生え方は生き残りをかけた競争に負けた負け草のように力ないものだった。
 次男蟻は地面に体のできるだけ多くの面積を接着させるため、うつぶせになり、左の草を強く握った。相当強い風が来ない限り、この草から離れることはないだろう。
 その体勢で崖を見ると、崖の下に何か、何かがあった。これまで見たことのない、硬そうな表面をした二つの長い棒のようなものがでんっと地面に押し付けられるように敷かれていた。その二本の棒は平行に並べられ、次男蟻の視界の隅まで伸びるようにずっと直線に伸びており、崖と、下の平地との境界線は明らかに材質が違う物質でできていた。
 その棒の表面は、おうのむらで見た硬いものによく似ていて、形は全く違うが、その表面の太陽の反射具合だとか、草とはかけ離れた様子だとか、そういうところが似ていた。
 次男蟻はどうにか崖を降りられないか、と考えたが、崖の高さはかなりのもので、おそらく、ゆっくり降りることは不可能であり、一度進めば転がるように落下し、枯れ落ちた草の残骸を体に付着させながらあの何かにぶつかるだろう。そして体は粉々に粉砕されるか、背中の火傷よりもひどい傷を残すだろう。記憶に残る火傷の痛みは遅延的にやってきたが、落下による衝撃は瞬間的なもので、その衝突の瞬間の風景は痛みに負け記憶に残らないだろう。それほどの衝撃が残りそうな崖だった。

 また大きな音がした。波となって伝わってきた音が草を揺らす。風のように強くはないが、微振動をもって伝わってくるため、草を持つ手がしびれ始めた。
 音は左の方から聞こえる。音の方を見ると直線的に伸びるあの何かの先に黄色いものが見えた。あそこへは崖を下りずとも行けそうだと次男蟻は握っていた草を頼りに一歩下がり、安全な草の中に身を戻し、左に向かって進んだ。


草の種類が変わったのか、葉っぱよりも枝が増えていき、次男蟻の体に突き刺さるかのような鋭いものも現れ始めた。変わって現れた草、というよりも低い木の集まりは水分が枯れた大地に生えている。水の欠乏した大地に立つ木にしてはかなり元気に生えていて、葉っぱも冬であるのに、力強く張っている。
 草は一年中枯れることなく生えていることはよく知っている。それを食べる虫が冬になってもかろうじて生き延びるのも知っている。
 
「ちょっと待つんだ」
枝をどけながら強引に道を作りながら進んでいた次男蟻の後ろから声がして、次男蟻は枝が背中の火傷に触れないようにゆっくり振り向いた。透明なあれが刺さったところは今でも痛い。
「誰ですか」
次男蟻はこの世界に知り合いはそういないのに、そう聞いた。名前を知っている生き物はたった一匹しか知らない。
「ここらに住んでるもんだ」
そう言って器用に枝をすり抜けながらやってきたのはおうだった。姿かたちは似ているが、どこか次男蟻が知っているおうとは似ていない。むらが違うのかもしれない。
「あんたは、この前のやつじゃないな。こんな危ない所で何してんだ」
「色々あってある蟻を探している」
「そいつはまた変なところを探してるもんだ。こんなところに来るやつなんてはぐれ者か、変な頭したやつか、落下してきた鳥ぐらいだ。そもそもこの辺りには蟻は住んでいないが」
「この辺りがどのあたりか知りませんが、住んでいるんじゃないです」
「ほっほう、ということは旅蟻さんか。この先は危ないぞ。電車が走ってる」
「デンシャ?」
次男蟻の疑問そうな顔を見て、おうは電車について話し始めた。色は、形は、そんで速いんだ。次々と説明するおうを枝につかまりながら聞いていたのだが、微かな違和感に気づいた。なぜおうは普通に話している。
「ちょっと聞きたいんですけど」
「おう、何でも聞いてくれ。何せ滅多にいない話し相手だからな」
「なぜあなたは僕と同じ言葉を話せるんです?」
「ああ、この言葉な、不思議だろ?おれもあいつに会うまではこんな言葉知らなかったんだけどな、何とも話しやすいのなんの…」
「あいつ…、僕に似た大きな蟻のことですか」
そうだ、と答えたおうはまた電車というものについて話し始めた。枝に囲まれ、狭い空間で二人が話しているという風景の中で次男蟻は驚いた。彼がどこに行ったのか、彼を求めて黒い大地や白い大地を歩いてきて、時には風に飛ばされ、自分がどこに向かって居るのかわからなくなり、目先の好奇心を頼りに進んだ先に彼の足跡が言葉となって残っていた。
「彼がどこに行ったのか知りませんか」
自分の話を中断されたためおうは一瞬怪訝な顔をしたが、一呼吸おいてあんたと同じ方向に歩いて行ったよ、と言った。
「あいつとは昼ぐらいにあって次の日の太陽が沈み始めるかってくらいまで、一緒にいたかな。いやー色々面白い話を聞いたよ。ここからだいぶ遠い場所から来たみたいでね、道路のことを黒い崖のようだったとか話すし、そりゃあ、もう貴重な出会いだったさ。そんであいつは何か探しているようでね、高い所に行きたいとかいうから、ここはすでに高いだろう、ほれ、そこに崖があったろう?だから危ないと言ったのさ。そしたら、あいつもっと高い所だとか言ってな。おれはそんなところなーんにも知らんと言ったら礼だけ残して勝手に行きやがったよ」
作品名:慈雨と甘雨 7 作家名:晴(ハル)