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臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~

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 早苗は眼を疑った。義父は台所から包丁を?んできたらしい。その辺り、見かけは穏やかで善良そうな中年だけれど、やはり夜の世界の水に馴染んできた男だけはある。バーテンは、時にはキャバクラでしこたま呑んで暴れ出す酔客を力尽くで追い出すこともある。
 義父の勤める店には用心棒とかは置いていないので、必然的にバーテンたちがその役目もこなさなければならないのだ。
 数年前にはヤクザが乗り込んてきたこともあると義父から聞いた。何でもヤクザの女が素性を隠してキャバ嬢として勤務していたらしい。その娘が若いバーテンの一人と付き合っていると内縁の夫であるヤクザが怒鳴り込んだのだ。
 丁度、店のオーナーも出てくる日ではなく、学生バイトで雇った若いバーテン二人と圭輔がいるだけだった。その一人が件(くだん)のヤクザの内縁の妻を寝取ったというバーテンだった。
 圭輔は入り口で揉めているヤクザの口上を聞くなり、すぐに当の若いバーテンを裏口から逃れさせた。店の近くの下宿ではなく、彼の両親のいる自宅に帰るように言った。相手のキャバ嬢はその日に限って休みだったが、どうやら、夫にバレてしまい一人だけ雲隠れしたのだと後に判明した。
 一方で他の女の子たちにすぐに警察に通報するように指示し、自分は入り口に出てヤクザと応対した。
―お腹立ちの由は判りますが、うちの若い者はどうやら、お宅の奥さんに遊ばれていただけのようで。
 その時、相手の女が早々に逃げ出したとまだ圭輔は知らなかったが、玄人女が若いバーテンダーに本気で入れ込むとは考えられなかった。どれだヤクザが激高していたとしても、圭輔は終始落ち着いて相対した。
 最後にはヤクザも落ち着き
―あんた、堅気しておくのは惜しいねえ。
 と、圭輔の肩を叩き、大人しく帰っていったという。そのヤクザは以来、時折、新しい女を連れて店に呑みにくるという話だった。
 早苗は義父の普段の顔しか知らない。しかし、圭輔は二十歳のときから三十年近く、水商売、夜の世界に生きてきた男だ。そして、このときの圭輔の変貌は、まさに圭輔の?夜の顔?を露わにしていた。
「お義父さん、落ち着いて」
 早苗は泣きながら言った。
「彼と私の間には、何もなかったんだから」
「そう、なのか」
 圭輔がホウッと大きな息を吐き出した。早苗はまだかすかに震える義父の手から包丁をそっと引き抜いた。
「お前もお前だ。どうして、その男のことをさっさと俺に話してくれなかった? 男と付き合うようになったら、うちに連れてこいと言っていただろうに」
 義父が恨み言のように言うのに、早苗は小さく笑った。義父が包丁なんて持ち出したものだから、愕きのあまり、涙も引っ込んだ。
「だって、恥ずかしいじゃない。年頃って―まあ、年頃とはもう言えないかもしれないけど、私だって一応、適齢期の女なのよ? 交際宣言なんて、お義父さんにできるわけがないでしょ」
「何を言うか。お前はまだ十分、年頃だ。これから幸せにならなくて、どうする」
 圭輔もいつもの落ち着きを取り戻したように笑っている。その笑顔を見て、早苗は胸を撫で下ろした。先ほどの怒りようでは、本当に包丁を持って尚吾のマンションまで飛び出しそうな勢いだったからだ。
 けれど、一方で嬉しくもあったのは確かだ。実の父親でさえ、ここまで怒りはしないだろうのに、娘を傷物にしたと圭輔は憤ったのだ。
「ねえ、お義父さん。私、こんなことを言われちゃったの」
 早苗は、尚吾とあの女に投げつけられた台詞を義父にそのまま伝えた。
―バージンは一生に一度だから、大切にしたいんだってさ。
―まあ、道徳の教科書に載せたいわね。でも、気持ち悪い。
 思い出しただけで、また涙がわき上がる。涙を堪える早苗を、圭輔は自分まで辛そうに見ていた。
「お義父さんもそう思う? 今時、三十過ぎてまだ経験がないなんて、おかしいのかな」
 圭輔はしばらく考え込んでいる様子だったが、やがて言った。
「そんなことはない」
 義父は言葉を探しているようで、しばらく眼を瞑っていた。
「俺が勤めている店の女の子たちの話だがな」
 眼を開いた義父がゆっくりと話し出す。
「水商売の女だからって、誰もが客と寝てるわけじゃない。キャバ嬢っていったら、客とすぐにそういう仲になるんだと思い込んでいるヤツも多いようだが」
 義父は小さく息を継ぎ、また続ける。
「意外に身持ちの堅い子が多いのさ。それに、皆それぞれ彼氏だったり、中には結婚して子どもまでいる子もいる。決まった男がいるから、そうそう誰とでも寝るわけじゃない」
 圭輔は首を振った。
「世間は偏見を持って彼女たちを見るが、俺に言わせりゃ、その何つったか―」
「尚吾さん」
「その阿呆男の尚吾やそいつの女のような堅気の奴らの方がよほど薄汚い、嫌らしい野郎だったりする。平気で他人を騙したり陥れたりするんだ」
 確かに、圭輔の言うとおりだ。良識があって、真面目に生きているとアピールしている人間ほど実は裏で、どんなあくどいことをしているか知れたものではない。義父の言うように、キャバ嬢たちは彼女たちなりに夜の世で一生懸命生きているに違いない。
 圭輔はまた言葉を選ぶように視線をさまよわせ、口を開いた。
「お前は何も間違っちゃいないよ」
「そうなのかしら」
 早苗の自信なさげな呟きに、義父は今度は即座に反応した。
「そうさ」
「お前がその男と深間にならなかったのは、どこかで、お前がそいつを信用しきれていなかったからじゃないか? お前は自分を安売りしなくて正解だっただろう。もっと自信を持てよ。これからも早苗がこの男なら人生預けて大丈夫と思う男が現れるまでは、何も焦る必要なんかないんだ」 
「お義父さん―」
 義父の言葉が温かく心に染みこんでゆく。凍えていた心がその言葉で見る間にやわらかく解(ほぐ)れていった。
「何か恥ずかしいな、お義父さんとこういう話をするのって」
「馬鹿。義理とはいえ、親父と娘じゃないか。それに、大切なことだぞ、早苗。残念ながら、香奈子とはこんな話をする前に、さっさと子どもまで作っちまいやがったが、早苗とは、ゆっくりと話ができて良かったよ。なっ、もっと自信を持て。お前は誰よりも綺麗で、心根も優しくて真っすぐな義父(とう)ちゃん自慢の娘だぞ。きっと、遠くない将来、早苗の前に良い男が現れるさ」
 それでも圭輔は娘と面と向かってこんな話をするのが恥ずかしかったのか、照れくさそうに笑い、立ち上がった。
「話をしていたら、腹が空いた。カレーでも食うか?」
「あ、うん。私がやるから、お義父さんは座ってて」
「まあ、そう言うな。今夜くらいは俺がやるよ。お前はじっとしてろ」
 圭輔は水道の水を汲み、薬缶をレンジにかけた。小さな冷蔵庫からレトルトのカレーを二つ取り出している。
 ややあって、百均の皿にカレーライスが盛りつけられて運ばれてきた。小さなテーブルに慣れた手つきで皿を置き、義父は早苗の向かいに座る。
「義父ちゃんは、やっぱりカレーは早苗のがいちばん好きだ」
「本当?」
 早苗は眼を輝かせた。
「いただきます」
 きちんと手を合わせて食べ始めた早苗を圭輔は眼を細めて見つめた。
「良い娘に育った」