臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~
「お義父さん、憶えてる? 私が初めてカレーを作ったときのこと。ルーを入れる分量を間違えたでしょ」
「おお、憶えてるぞ。あの激辛カレーだろ」
小学校四年の冬、早苗が生まれて初めて作ったカレーは何とルーを定量の二倍入れてしまった。それでもキャバクラから勤めを終えて帰ってきた圭輔は?世界一、美味しいぞ?と歓んで食べてくれたのだ。
真冬だというのに汗をかきながら、水を何度もおかわりしながら。
そのときも、母は妹を連れてオーディションに九州まで出かけており、義父と継娘は二人だけだった。
「私ね、初めて、お義父さんが父親参観日に来てくれたのがとても嬉しかったのよ」
母と圭輔が結婚してほどなく、父親参観日が小学校であった。当時、早苗は二年生で、圭輔は二十二歳。随分と若い父親というよりは、誰が見ても兄にしか見えなかった。
クラスメートの女の子たちは
―早苗ちゃんのお父さん、カッコ良い。
と、しきりに羨ましがってくれた。圭輔は若いだけでなく、モデル並みにルックスも良かったから、他のお父さんたちの間でも目立っていた。
「お義父さん、凄くイケメンだったし。クラスの女の子たちにしっかり自慢したんだから」
早苗が笑いながら言うと、圭輔も笑った。
「そいつは嬉しいね。だが、今はもう、すっかり冴えないオヤジだよ」
「あら、そんなことはないわよ。お義父さんは、今でも十分素敵だわ。お義父さんこそ、自信を持って」
「こいつは、やられた」
圭輔は声を立てて笑い、眩しげに眼を細めた。
「時々、お前に言いたくなるよ。何もかも棄てて、二人だけでどこか遠くに行って暮らしたいってな」
「え?」
早苗が眼をまたたかせると、圭輔は笑い飛ばした。
「冗談、冗談」
早苗は圭輔の眼を真っすぐ見つめた。
「世の中には、私やお母さんを棄てた実の父や尚吾さんみたいな卑劣な男もいるけど、お義父さんみたいな誠実で信頼できる男もいるのよね。さっき、私がお義父さんの自慢の娘だって言ってくれたでしょ。でも、私も同じなの。お義父さんは私の自慢のお父さん。小学生のときから今でもね」
「早苗、お前」
圭輔の瞳が揺れた。
「俺は、義父ちゃんは、お前が思ってくれてるほど、立派な男じゃない。口では悟ったようなことを言いながら、腹では何を考えてるか知れねえような男だ。だが、俺も男だ。せいぜい早苗の信頼を裏切らないようにしないとな」
それから一時間後、早苗は実家を後にした。既に終電も終わっているので、義父が車でE町のマンションまで送ってくれた。
「今夜は久しぶりだから、このまま泊まって、翌朝はここから出勤しようかな」
カレーを食べ終えた後、言ったのだけれど、何故か義父はその夜に限って承知しなかった。
「今夜は俺も疲れた。早苗もマンションに帰りなさい」
まるで早苗が側にいるのを拒絶するような言い方に、少し傷ついた。
いつもの圭輔なら、
―遅いから、今夜は泊まれ。
と言ってくれるのに。今夜は二人の間にずっと居座り続けた見えない壁が崩れ、やっと本当の父娘になれたと思ったのだが、それは所詮、早苗だけが感じたものだったのだろうか。
圭輔はマンションの前で早苗を降ろした後、運転席の窓を開けた。
「じゃあ、また。今度こそ、?モン・パリ?のケーキを買って帰るからね」
「ああ、期待しないで待ってる」
義父はにこやかに言い、手を振った。
「またな」
「おやすみなさい」
圭輔の白い軽自動車は、早苗の姿がマンションに吸い込まれて後もしばらく同じ場所に停まっていた。
だから、早苗は知らなかった。圭輔が煙草を吹かしながら泣いていたことも、その涙の理由も。
偶然という名の必然
そのサイトを見つけたのは、本当に偶然だった。早苗はその夜、ケータイ小説サイトを覗いていた。そこで連載している小説の一つに更新を楽しみにしている作品があるのだ。
江戸時代を舞台にした歴史ファンタジー風で、幕末に生きた新撰組の沖田総司と町娘の悲恋を描いたものだ。
「あー、今日は作者さんが忙しかったのかな。残念」
早苗は声にして言い、溜息をつきながらサイトのページを閉じた。こういうサイトは基本、すべて無料で読める小説ばかりである。作者はプロもいれば、プロではないが、プロはだしのアマチュアもいる。また、初めて小説を書くという初心者から様々だ。
つまり、普通に仕事を持っている人が殆どというわけで、小説家というわけではないのである。そのため、仕事や私生活が多忙で、更新が滞る場合も往々にしてある。
こういうサイトを見ていると、何だか自分にも書けそうだと小説を書いてみようとするけれど、早苗は一度だけ挑戦しかけ、最初の数行で挫折した。
―やっぱり、誰でも書けば良いというわけでもないのね。
と、一人で納得して、以後はやはり読む側専門に徹している。
どうやら、楽しみにしている小説の作者は、今夜はお休みらしい。がっかりしつつサイトを閉じた後は、適当にネットサーフィンをした。次々と興味のあるサイトをクリックしていく中に、?女のコのお仕事情報サイト?というのが出てきた。
「えー、なになに」
興味を引かれてクリックすると、画面が大きくパソコンに映し出される。
背景は鮮やかなピンク色で、黒字でサイトの概要が記されている。まず、その説明文を読む。その中、早苗の面に苦笑めいた笑いが上った。
「なに、これ、よくある系のいかがわしいサイト?」
大体、「女の子」ではなく「女のコ」と表記することからも、このサイトが一般的な求人サイトではないことが判る。早苗は俄に興味を失い、別のサイトに飛ぼうとした。
その時。動いた手がうっかりマウスに当たり、予期せず画面が下へスクロールした。早苗の眼に大きな文字が飛び込んでくる。
―お昼寝メイト。
首を傾げて、更に下へと動かせば、説明文が続いていた。
―疲れたお客様を貴女が癒して上げて下さいね。
ふと興味を引かれて、ゆっくりと最初から読んでゆく。?お昼寝メイト?は、どうやら男性客に女性が添い寝するサービスらしい。これが仕事といえるのがどうか、正直、早苗には極めて怪しいと思うけれど、とにかく、このサイトでは男性客に一定時間だけ添い寝すれば、高額報酬が得られるという。
何時間かは書いてないが、日当が二万というのは、かなりの高収入といえる。女性はパジャマか、寛げるラフな格好で店内にあるベッドで男性客に寄り添って眠る。
ただ、本当に?添い寝?だけで済むのかどうかは疑問だ。客は殆どが男性であり、中高年のサラリーマンが中心、中には会社役員などもいて、身元はきちんとしている。けして貴女の同意なしに身体に触れたりはしないし、いわゆる風俗の仕事ではない。
心配な点はぬかりなく明記されていたものの、そこは人寄せのために応募女性の不安を取り除くようには書くだろう。問題は、それが真実かどうかだ。
その瞬間、義父圭輔の顔が咄嗟に浮かんだのは何故なのか。整った面輪に濃い人生の疲労を滲ませた義父。圭輔のような男たちが束の間の癒しを求めて、ここに来るのかもしれない。
作品名:臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~ 作家名:東 めぐみ