小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~

INDEX|7ページ/33ページ|

次のページ前のページ
 

 金曜の夜だったので、
―今夜は泊まる?
 と、彼は当然のように訊いてきた。けれど、早苗は首を振った。
 尚吾の顔には明らかに落胆が走ったのは判った。
―良いじゃん、もう付き合って半年だぜ、俺たち。
 彼はなおも誘ってきたが、早苗はきっぱりと断った。
―そういうのは結婚してからでも良いでしょ。
 その後で、これでは身体の関係を条件に結婚を迫っているようで、我ながら嫌だなと思った。なので、言い直した。
―一生に一度のことだから、結婚するまでは大切にしたいの。
―早苗はロマンチストだな。今時、女子高生でも、そんなことは言わないよ。
 尚吾のぼやきに、どこかあざ笑うような響きがあったのは気のせいだったのか。
 その一瞬後にはもう、いつもの穏やかで優しい彼に戻っていたため、早苗には判らなかったのだけれど。
 早苗は眼を開け、首をかすかに振った。
 止そう、今夜は尚吾の生まれた日をお祝いするために訪ねるのだ。思い出しても面白くないことをわざわざ思い出して不愉快になる必要はない。
 電車が停まった。H駅に降り立った早苗は深呼吸をする。バッグを握る手に少しだけ力を込め、早苗はプラットフォームから続く階段を降り、精算機で乗り越し分の券を買い、改札口を出た。
 マンションはH駅出口から伸びる横断歩道を渡ればすぐ先である。その大通りはH町の中心を走る目抜き通りでもあった。
 高層マンションはどこぞのホテルかと見紛うほどの立派な作りで、COCONEのエリート社員だからこそ、月々の破格な家賃も払えるのだろう。もっとも、早苗が尚吾を好もしく思うのは何も彼の今風の端正な容姿だとか、有名企業のエリートだからという付帯条件ではない。 
 ちょっと我が儘で俺様なところはあっても、今時、根が珍しいほど真面目で―どことなく義父の若い頃を思い出させるような純朴そうなところが好きなのだ。
 尚吾の住まいは確か最上階の十二階だった。随分と見晴らしが良かったことを記憶している。
 ドア前に佇み、早苗はもう一度、深く息を吸った。エルメスのネクタイは深いダークグリーンに中央だけ臙脂の筋が幾本か入っている。シンプルだし、尚吾の年齢を思えば少し地味かもしれない。だが、彼は若くして大きなプロジェクトを任されるだけあり、年齢以上の落ち着きがある。
 普段のスーツの好みもオシャレでいながら、洗練された落ち着いたデザインが多い。この程度、落ち着いたネクタイの方が彼がいつも着ているスーツに合うのではないかと選んだ。ネクタイ一本に数万円かけるなんて、我ながら浅はかすぎるかと思ったのだが、今夜、早苗は一大決心をしていた。
 それは、何も突然、閃いたわけではない。思い切って尚吾に逆プロポーズしてみようと思うのだ。
 ひと昔ならともかく、最近は女性側から告白するのもありなのは知っている。尚吾は見かけによらず古風な男だと早苗は信じ切っている。だから、このプロポーズが吉と出るかどうかまでは判らないが、少なくとも付き合って一年、そろそろ結婚の話を出しても良い頃合いなのではないか。
 以前、彼は雑談の合間に早苗の料理の腕を褒めたことがあった。それは二人で花見に出かけたときで、早苗が持参した手作り弁当を尚吾は瞬く間に平らげ
―早苗のように料理が上手な嫁さんを貰ったら、幸せだろうな。
 と、眼を細めていた。似たような場面で、何度か?早苗と結婚したら?という未来像を語ったことのある彼だ。
 三十一歳、微妙な年頃である。早苗の母くらいの歳には女の適齢期は二十四歳だという定説があったという。クリスマスケーキはイブが過ぎれば値下げして大安売りされる。女性をケーキにたとえ、女の価値も二十四歳を過ぎれば落ちるから、二十四歳までに結婚すべきだ。
 早苗の世代では到底、考えられないというか、女の尊厳を無視した侮蔑的な言葉だが、母より前に若い時期を過ごした女性たちというのは、皆、こんな風潮であったらしい。
 今は流石にこんな馬鹿げたことを言う人はいない。こんなことを男性が広言すれば、それこそ新進気鋭の女性議員に
―あなたは女を何だと思っているのか!
 と、真っ向から滅多切りにされるのが落ちだ。
 早苗は勇気をかき集め、眼前のインターフォンを押した。
 早苗にしてみれば、たかだか誕生日プレゼントにこれだけお金を掛けたのも、いわば婚約指輪代わりの贈り物のつもりだった。
 しばらく間があり、カチャリと内側から施錠が外れる音が聞こえた。まもなくドアが細く開いた。
「―どちらさま」
 言いかけた尚吾に、早苗は精一杯の笑顔を浮かべた。
「お誕生日、おめでとう、尚吾さん」
 白い紙袋に入ったプレゼントを両手で差し出す。早苗は図々しいタイプではないが、今夜は当然ながら、上がっていくことを勧められるのだと信じて疑っていなかった。
 ところが。尚吾は何故か、少し焦っているように見えた。
「お、サンキュ。上がって貰ったら良いんだけど、今夜はお袋が来てるんだ」
 早苗は息を呑んだ。誕生日なら、母親が来ていても、不思議はない。もしかして紹介してくれるのかなと一瞬期待したが、今夜の彼の様子ではなさそうである。
 期待外れで落胆は大きかったが、急に押しかけてきたのは早苗の方なのだから、仕方ない。
 早苗は無理に笑顔をこしらえた。
「ごめんね。急に来たりして。迷惑そうだし、帰る」
 言い終える前に、尚吾の背後から甲高い声がした。
「誰がお袋ですって? 私、尚吾のママだったの〜」
 間延びした声に、早苗はハッと我に返った。
 何と形容したら良いのだろう。妖艶な美女が尚吾の側に立っていた。腰まで届く漆黒の髪は緩くウエーブして流れ、細く形の良い眉、アーモンドのような双眸は生き生きと輝いている。恐らく化粧気はないのだろうが、ノーメー―クでこれだけ美しいのなら、相当の美女だ。
 早苗は見たくないものを見た。ゴージャスな美女は白いガウンを素肌に纏い、長い髪は濡れていた。尚吾もまたおそろいのガウンで、長めの前髪から滴が落ちている。
 二人が今まで密室で何をしていたのか。これだけの状況が揃えば、流石に奥手の早苗でも判るというものだ。
「尚ちゃん。今度はこんな初心(うぶ)な子を騙してたの」
 女が平然と言い、尚吾の開いたガウンから覗く胸板を人差し指でツウーとなぞる。
「良い加減に本当のことを教えてあげないと」
 それだけで、二人がどんな関係かは自ずと知れる。早苗は二人が素肌を絡ませているシーンまで見てしまったようで、狼狽えて眼を逸らせた。
「わ、私、尚吾さんに恋人がいるなんて知らなくて」
 恐らく恋人気取りだったのは早苗だけだったのだろう。涙を滲ませた早苗に、美女が笑い出した。何がおかしいのか白い喉をのけぞらせて笑っている。
「あなた、つくづく罪作りな男ね」
 美女は尚吾に言い、早苗に顔を近づけた。そこだけルージュを塗ったような赤い唇が動くのを、早苗はぼんやりと見つめる。
「私は尚吾のママでも、恋人でもないのよ」
 こういえば、鈍い女でも判るかしら。
 女は、どこか嘲るような勝ち誇ったような口調で言った。
「主人がいつもお世話になっております。私は、尚吾の家内ですの」
「え―」