臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~
時折、痛みに眉を寄せる早苗を見て、祐が早苗を不安げに見下ろして言う。
「本当に良いのか? 初めてなんだから、無理をするなよ」
早苗は既に応えるだけの気力も体力もなく、ただ彼を真下から見上げるばかりだ。
応えの代わりに、ただ淡い微笑を送っただけだった。
「早苗」
もう、離せない。その時、早苗に祐の心の叫びが届いたとしたら、そんな声が聞こえたに違いない。
祐の動きが烈しくなる。次第に烈しくなってゆく男の愛撫に翻弄されるながら、早苗はただ声もなく祐にしがみついていた。
痛みが走る度に、早苗の心が呟く。
止めて、止めないで。
冬の嵐がはんなりと色づいた花びらを散らす。祐に抱かれながら、早苗の瞼の向こう側では、咲き誇る大輪の花がはらはらと花びらを散り零していた。
睫を震わせ、早苗は眼を開いた。室内の温度が少し下がったのか、被っていた上掛けから出た途端、寒気が一挙に全身を包んだ。思わず身を震わせ、背後を振り返る。
祐は早苗がたった今まで横たわっていた場所に身を寄せるようにして眠っていた。
「とうとう、お別れが来ちゃったんだ」
早苗は声を震わせ、手を伸ばした。躊躇いがちに伸ばした手は、祐の少し乱れた前髪に触れ、力なく落ちた。
裸の肩が剥きだしになっていたので、上掛けを寒くないようにと肩まで引き上げてやる。
こんなことをしてあげられるのも、これが最初で最後。そう思えば、自分で決めたことなのに余計に泣けてきた。
早苗は左手の薬指から指輪を外した。祐が贈ってくれたプロポーズの証を彼に抱かれている間中、ずっと填めていた。
だけど、これは私のものではないから、ここに置いてゆくね。
さよなら、あなたは好きになってはいけない男だから、私はあなたの前からいなくなります。
ベッドから降りた瞬間、下半身に激痛が走り、思わずくずおれそうになった。痛む身体を引きずるようにしてシャワールームに行く間も、秘所からはトロリとした白い液が太腿をつたい落ちる。それが恐らくは祐が早苗の中で放ったものであろうことは想像がついた。
白いものは淡くピンクがかっていたから、これは早苗の血が混じったせいだろう。純潔を喪った日に烈しい交わりを重ねたせいか、身体は悲鳴を上げていた。
それでも、後悔はなかった。ずっと守ってきたものを大好きな男に捧げられた。
下半身の汚れだけを簡単に落とし、早苗は身体をタオルで拭いて服を着た。
シャワー室の鏡が湯気で曇っている。早苗は曇った小さな鏡を手で無造作にぬぐい、化粧ポーチから口紅を出した。ローズピンクの口紅で鏡に書いた文字は―。
部屋を出る間際、最後にもう一度だけ、振り返って祐の寝顔を見た。
「さよなら」
ドアを閉めた瞬間、これで終わったのだと思った。?フローラ?の事務所にも寄らなかった。祐に抱かれて報酬を貰うなんて、到底耐えられなかった。
私は彼に身体を売ったわけじゃない。だから、お金なんて要らない。
今日に限って、木内が?契約時間?の二時間を過ぎても迎えにこなかったことも、このときの早苗には気づくゆとりはなかった。
事務所の前を通り過ぎ、後は一目散に走った。
後悔なんかしない。自分で決めたことだから。なのに、何で、こんなに哀しくてやりきれないのだろう。涙が止まらないの?
シンデレラは舞踏会の夜、お城の階段にガラスの靴を置き去りにしていった。物語では、彼女は慌てていたために靴が脱げても逃げるように走り去ったのだというけれど、果たして本当なのだろうか。
もしかしたら、シンデレラは愛の証として靴を残したのではないのかしら。それなら、私は彼に何を残したのだろう。
彼がプロポーズの記念として贈ってくれた指輪?
いいえ、そうではない。私が彼に残したのは眼に見えないもの、心だ。
でも、心を置いてゆくのは、きっと彼には負担になる。だから、置いてゆこうと思ったけれど、やっぱり心も持っていこう。いつか彼にふさわしい女性が現れた時、彼が困らないように。
祐が眼を覚ましたのは、それから一時間ほど後になる。
「早苗? 早苗さん?」
手を伸ばした先には、やわらかで温かな女の身体はなかった。
「―っ」
祐は眼を瞠り、信じられない想いで隣を見た。慌てて部屋中を探したが、早苗はかき消すようにいなくなっており、もぬけの殻だった。
シャワー室は少し前に使った形跡があり、床が濡れていた。壁に備えつけてある小さな鏡を見た刹那、祐は絶句した。
―GOOD BY.
鏡には鮮やかなピンク色で殴り書きされていた。
力ない足取りで部屋に戻ると、彼はやるせない想いでベッドを見つめた。
大きなダブルサイズのベッドは、先刻の二人の烈しい情事を物語るかのように寝乱れている。ベッドの上にきちんと折りたたまれたシーツが乗せてあった。
祐は畳まれているシーツをひろげた。真っ白なシーツに鮮やかな紅い花が咲いている。
破瓜の血を人目に触れさせないようにと、急いでいてもシーツを片付けてゆくところは早苗らしい。
祐は元どおりにシーツを折りたたみ、脇に置いた。
早苗を諦めるつもりはなかった。
責任を取るとかではない。それを言うなら、過去に付き合った同じ歳、或いは二つ上の彼女たちの中にもバージンはいた。お互いに納得済みのことだから、相手も祐も別れることになっても、身体の関係があったかどうかを問題にしたことはない。
何故、十三も年上の女なのか? 他人はそう言うだろう。けれど、祐にとって、早苗との年齢差など問題ではないし、第一、彼女との間に年の差など感じたことはなかった。
外見が若く見えるせいもあるかもしれないが、早苗は現代女性には珍しく古風で気遣いもできる反面、酷く危なげで、放っておけないようなところがある。自分が側にいて守ってやりたい―男心をくすぐるのだ。
早苗自身は年の差を随分と気にしているようだが、先日もテレビのワイドショーで三十三歳の女優と二十二歳の俳優が電撃結婚をしたと賑々しく報道されていた。
今日日、十歳程度の年の差夫婦、しかも女の方が年上など、ごまんといるというのに、何故、早苗がそこまで気にするのか、正直、祐には理解できない。
だが、それも恐らくは早苗の美点なのだろうと思う。
祐はナイトテーブルにひっそりと置き去りにされた指輪を取り上げた。彼が贈ったその婚約指輪は十万余りで、今日の契約料を払ってしまえば、なけなしの貯金はいよいよ残高は三桁代になる。
高校生社長などと女性週刊誌に取り上げられ、通学している私立高校にまで取材に押しかけられ、大迷惑を被ったこともある。
―実業界の新たなイケメン貴公子。
などと、タレント扱いで制服姿の大きな写真を掲載されたものだから、祐は校長室に呼び出され、校長から直々に訓戒を受ける羽目になったのだ。
おまけに笑えることに、本当に芸能事務所からスカウトが来た。もちろん、それはきっぱりと断った。冗談じゃない。
俺は歌って踊るつもりも、俳優になるつもりもないんだ。
作品名:臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~ 作家名:東 めぐみ