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臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~

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 笑える結末ではないか。
 保育園で母の迎えを待っている時、早苗は保育士に背を向けていたけれど、ちゃんと物語は聞いていた。
 暗い園庭をガラス越しに見つめながら、早苗は懸命に父の顔を思いだそうとしていたのだ。けれど、父の顔は逢わなくなって二カ月ほどで、既にぼんやりとした靄のようなものに包まれてしまっていた。
 迎えにきた母に、早苗は言ったのだ。
―じっと外を見ていたら、少しは思い出せるような気がするから。
 それを聞いた母は一瞬、辛そうに顔を歪めて絶句した。
 けして母としても妻としても、良い人ではなかった。それでも、実父と別れたときには母なりに葛藤も哀しみもあったに違いない。幼い子を一人で育ててゆかねばならない労苦もあったはず。
 現実の話では、シンデレラはいつになっても幸せになれない。多分、自分は幸せにはなれない運命を背負っているのだろう。
 早苗は自嘲気味に考えたのだった。
 そう思うと余計に辛くて情けなくて、早苗は泣きながら携帯を取り出し、アドレス帳を出した。
 こんなときに頼れる人なんて、自分には誰もいない。
―お義父さんが元気だったら、電話するのに。
 心配性の義父は飛んで駆けつけてくれるだう。その義父も、もういないのだ。
―お義父さん、お義父さん。私もお義父さんのところに行きたいよ。一緒に連れていって。
 泣きじゃくりつつ、夢中で携帯のボタンを押しながら、早苗はいつしか気を失っていた。
 寒い、寒いよう、お義父さん。
 夢の中で、早苗はいつしか幼い頃に戻っていた。寒いと震える早苗に、大きな手が差し出される。見上げれば、大好きな義父の優しい笑顔が見下ろしている。
 その手を取ったら、お義父さんのところに逝ける。早苗が手を伸ばそうとしたまさにその時。
 別方向から伸びてきた手が早苗の手を素早く?んだ。
―誰、私をどこに連れてゆくの?
 もしや尚吾がまだ諦めず連れにきたのかと、怯えた。
―いや! 止めて。いやっ。
 声の限りに叫んで手足を振り回して暴れる。ふいに力尽きて、早苗の意識は再び暗い底なしの闇へと呑み込まれていった。

 覚醒は突如として訪れた。深い海の底からひたすら海上へと泳ぎ昇った人魚姫のように、早苗の意識は現実へと戻った。
―ここは、どこ?
 そこまで考え、ハッとする。自分は尚吾から電話を受け、愚かにも彼のマンションにのこのこと出向いていったのだ。あれほどの仕打ちを受けておきながら。
 本当に、私ったら馬鹿ね。こんなだから、あの卑劣で、どうしようもない男に足下を見られ、あっさりと騙されてしまうのだ。
 でも―。ここは、どこなのだろう。まさか、尚吾のマンションに連れ戻された?
 早苗は弾かれたように半身を起こす。刹那、クラリと視界が回った。そのまま倒れ込むようにして横になる。柔らかい布団に受け止められたからには、やはり、ここは意識を失ったあの公園ではないらしい。
 まさか本当に尚吾のマンションなの!?
 早苗が真っ青になった丁度その時、ドアが開く音がした。
「気が付いたんだ、良かった」
 聞き憶えのある声を間違うはずもなかった。祐が困ったような、怒ったような表情でこちらを見つめている。
「祐君?」
 思えば彼は出逢った瞬間から早苗の心に入り込み、今では面影を消そうとしても消せないほど存在感は増している。なのに、早苗は彼を名前で呼んだことは一度もないのだ。
 何という奇妙な関係だろう。
 正直、彼を何と呼べば良いのか判らなかった。十三歳も年下の男の子に?祐さん?はないだろう。
 だが、祐は少し拗ねたように眉を跳ね上げた。
「その祐君っていうのは止めてくれるかな?」
 意味が判らず眼をまたたかせる早苗に、彼は溜息をついた。
「その、俺も一応、男なんだしさ、祐君じゃく、祐さんとか」
 早苗は吹き出した。
「あ、笑ったな」
「だって、そんな呼び方なんて、どうでも良いでしょうに」
 早苗が笑いながら指摘すると、祐は今度は眉尻を下げた。
「それでなくても俺は早苗さんより年下だってことを気にしてるんだからな。祐君なんて、いかにも子ども扱いされるいるようで、いやなんだよ」
 祐の若さは紛れもない溌剌とした様子から判るけれど、ちょっと見には確かに高校生には見えない。若くして責任ある地位に就いたせいかどうかは定かではないが、二十代前半くらいには見える。
 外見は大人びた彼が精一杯背伸びしている姿は、年上の早苗から見れば微笑ましい以外の何ものでもない。
 早苗がまだ笑っているのを見て、祐が安心したような笑みを浮かべた。
「良かった。笑うだけの元気が出てきたんだ」
 早苗は気になっていたことを訊ねた。
「ここは?」
 早苗の物問いたげな視線を受け、祐が軽く頷いた。
「俺の部屋。正しく言うと、借りているマンションかな」
 早苗は軽い息を吐いた。
「十八歳なのに、もう家を出てるの?」
 祐がむくれる。
「また、そうやって子ども扱いする」
 それから室内をぐるりと見回した。
「この前も話しただろ。お袋の束縛が色々と窮屈なんで、高校一年の時、家を出たんだ」
「そうなんだ」
 早苗も彼に見倣うように、部屋を見回す。陽当たりの良い部屋は早苗のマンションと同じようにフローリングだ。カーペットは敷かず、部屋の隅に睡眠スペースがある。今、流行のワイヤーベッドで、短い階段を上った上部分がベッドに、階段を下りた下部分、つまりベッドの真下に広い空間があり、そこにデスクを配置しているスタイルだ。
 早苗は今、陽光が溢れている床に、マットレスを敷いた場所で寝かされていた。壁紙も家具もモノトーンで統一されていて、いかにも今時の高校生の男の子が好みそうなスタイリッシュな内装に仕上がっている。
 家具といってもテレビは見当たらず、オーディオのステレオ装置があるだけだ。チェストのようなものも一切ない。あまり生活感のない部屋ではあった。
「ここで暮らしてるの?」
「大体は。週一くらいで実家に顔見せしないと、逆にお袋がこっちに押しかけてくるからね。それだけは勘弁して欲しいから、ここにはいないときもあるよ」
 早苗はクスリと笑った。
「お母さまは祐君」
 言いかけて慌てて言い直す。
「祐さんが本当に可愛いのね」
「止してくれよ、もう高校生だぞ、結婚だって、できるんだ。いつまでも親に干渉されたくないや」
 口を尖らせて言うその表情も子どもっぽい。大体、?大人扱いして欲しい?と訴える行為そのものがまだ子どもなのだと彼は恐らく理解していないのだろう。
 だが、この場でそれを指摘し、折角の彼とのひとときを台無しにするつもりはない。
 早苗は本題に入った。
「私をここに連れてきてくれたのは祐さんよね?」
 うん、と、彼は深刻な顔になった。
「早苗さん、そのときのことを憶えてる?」
「ううん。H町の公園にいたところまでは憶えているけど」
 祐が溜息をついた。
「早苗さんから電話が来たんだよ。あの公園にいるって」
「そうなの、私が祐さんに電話を?」
「本当に何も憶えちゃいないんだね」