臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~
父が自分を女として見ていた―。それは圭輔を父として尊敬し慕ってきた早苗には、かなり衝撃ではあった。けれど、何故か少しも嫌悪感は感じなかった。
封筒を逆さにした瞬間、パサリと音がして、真新しい一万円札がすりきれた畳に落ちた。
早苗は慌てて五枚目の便せんの最後に眼を通した。?愛する娘早苗?と記された数行後に?追伸?とあった。
追伸
香奈子がお前から借りた金には到底、及ばないが、せめてこれくらいは俺にさせて欲しい。お前の嫁入り支度の少しでも足しにしてくれたら嬉しいよ。
良いか、絶対、幸せなれ。悪い男や、どうしようもないヤツには引っかかるなよ。
数えたら、一万円札は十五枚あった。どれも新札で、わざわざ用意したものであろうと推察された。
「お義父さん、馬鹿ね」
あれから主治医にも改めてお礼に行き、更に詳しい事情を早苗は聞いた。
圭輔の死因は心不全であり、もう十年ほど前から、N病院に通院していたという。医師の説明によれば、手術をしなければ根治は難しく、このままでは余命は数年と主治医は圭輔本人に告げたそうだ。
だが、圭輔は手術はしないと断り、家族にも言わず、キャバクラで働き続けた。結果、養生すればあと数年は生きられる可能性があるにも拘わらず、かえって寿命を縮めることになってしまった。いわば、?過労死?ともいえた。
手術して、きちんとした治療をすれば、今の時代だから天寿をまっとうもできるだろうにと告げた医師に、義父は笑って言ったという。
―先生、俺は少しでも頑張って稼がなきゃいけないんです。手術をして治っても、もう無理はできないし、働くこともできないんでしょう? だったら、俺は最後まで稼ぎますよ。
医師は穏やかな口調で言った。
―お義父さんは覚悟をなさっていたようでした。
この手紙を見れば、早苗にも判る。圭輔は医師の言うように、覚悟を決めていたのだ。手術をして治療すれば、また高額な費用がかかる。更に、その先、一生療養生活が続くことを考えれば、寿命を引き延ばすよりは最後まで自分らしくバーテンダーとしての仕事をまっとうしようと考えたのだろう。
「働き過ぎて死ぬなんて、お義父さん、馬鹿ね」
早苗は涙声で呟き、圭輔を見つめる。写真の中の圭輔が更に笑みを深めたように早苗には見えた。
そのメールが届いたのは、暦が師走に入った最初の日だった。
会社の給湯室で備え付けのコーヒーメーカーから自分用のカップに熱いコーヒーを淹れた直後、メールの着信音が聞こえ、早苗はパンツスーツのポケットをまさぐった。
「いけない、マナーモードにしておくのを忘れてた」
祥子は、こういう部分においては極めて厳しく容赦ない。着信があったのが給湯室で良かったと肩を竦めた。
新着メールの表示をクリックすると、メールが携帯の画面に表示される。早苗はいまだにスマホではなく、ガラケー派だ。今の世の流れは間違いなくスマホに流れていっているけれど、ガラケーだって棄てがたいと思っている。
と、皆には拘りがあるようなことを言っているが、内実は高いスマホ代を払うゆとりがないのだ。
それにしても、と、早苗は彼―祐のことを思い出す。?お昼寝メイト?などという中高年が歓びそうなものに弱冠十七歳の高校生が申し込んだというのだけでも愕きものだが、彼が何故、二時間三万円という馬鹿高いサービスを頻繁に利用できるのか。漸く理由が判った。
S電器の社長―たとえ名目だけとはいえ―なら、豪勢な大人の遊びもできるということか。S電器といえば、電器業界には疎い早苗ですら、名前を知っている知る人ぞ知る有名企業なのだ。
「そういえば、S電器の創業者って、うちの県出身だったんだ」
祐がどこに住んでいるのかは知らないがH駅近くの雑居ビルを訪れるほどなのだから、そこまで遠くに住んでいるとは考えにくい。すぐ近くとはいかずとも、高校生が通える距離ではあるのだろう。
S電器の支店は日本全国に展開している。もちろん、本社は創業者の生家があるというこのH市だ。
十一月の第三日曜日に共に過ごしてからというもの、祐とは逢っていないし、連絡も取り合っていない。幾ら告白めいたことを言われたといっても、相手は高校生なのだ。雰囲気に流されて告白したものの、今になって後悔している可能性は大ありだ。
祐のあのときの表情は、どこまでも真剣だった。あの言葉にも嘘はないと思いたいが、アラサー女が十八歳の男の子に一度好きだと言われただけで、良い気になれるはずもない。
祐のことは良い想い出ができたと思い、忘れた方が良いのだと自分に言い聞かせている。祐にもいつか、彼にお似合いの若い女の子が現れる。タレント並みのルックスを持ち、あまつさえ天下のS電器の社長という肩書きを持つ彼なら、わざわざ薹の立った早苗を選ばずとも、よりどりみどりだろう。
その一方で、早苗の心の中心には、祐がどっかり居座ってしまっていた。忘れよう、忘れたいと思えば思うほど、祐の存在が日ごとに大きく育ってゆく。それは植物の種が芽吹き、日々、目覚ましい成長を遂げていくのも似ていた。恋という名の花は幾ら摘もうとしても、早苗本人すら摘み取ることはできなかった。
開いた着信メールを何気なく見て、早苗は硬直した。あろうことか、差出人は尚吾だったのだ!
よほどそのまま削除してしまおうかと思ったが、つい画面を見てしまったのが運の尽きだった。
―逢いたい。やっぱり、お前じゃないと駄目なんだ。 尚吾
「なに、これ。寝言は寝てから言えっつうの」
嬉しいはずがなかった。二カ月も前に結婚していながら、ひと言も告げず、早苗を良いように玩具にしようとした情けも節操もない男に今更、未練はない。
早苗はメールを即消して、携帯を元どおりパンツのポケットに放り込んだ。
金曜の午後は何事もなく過ぎた。金曜はプレミアム・フライデーで、全員五時退社である。祥子は週末には夫が帰ってくるというので、すごぶる機嫌が良い。
同じ営業部の五つ下の後輩山崎彩花が早苗の袖を引っ張った。
「ねえねえ、津森先輩。三村のお局、何か良いことがあるのかな」
つまりは、それほど浮かれ様が出ていたということでもある。
「部長と別れて、新しい男でもできたとか?」
まあ、確かに夫と久しぶりに逢うというのは男絡みには違いないだろうが、祥子にアメリカ人の夫がいるというのは社内では内密にと約束している手前、話すわけにはゆかない。
「さあね。彩花ちゃんも今夜は高校時代から付き合ってる彼氏と逢うんでしょ」
「そうなんです、彼、今夜、大阪から夜行バスで帰ってくるの」
「遠距離恋愛も大変ね」
「離れてるから余計に燃えるっていうのもあると思います、先輩」
「はいはい、ごちそうさま」
早苗は笑いながら言った。
無邪気に言う彩花はまだ二十六歳だ。ふわふわした茶褐色の毛が愛らしく、性格も見かけどおり素直で指導のし甲斐がある子だ。
「じゃあ、気をつけて。大阪の彼氏によろしく」
「はあい、先輩も気をつけて」
作品名:臆病なシンデレラ~アラサー女子。私の彼氏は17歳~ 作家名:東 めぐみ