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ライブとリサイタル

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 3日後、ピアノリサイタルを聴きに行った。若干遅刻して最初から演奏を聴けなかったが、壁の向こうから響いてくる音は、身ぶるいするほど荘厳で、ただただ聴き入っていた。
 2曲くらい終わって、ホールに入れた。
俺はもともとS席、すなわち「一番いい席」の券を買ったのだが、演奏中ということもあり後ろの隅に座らせられた。
 特に問題はなかった。クラシックを聴くのはあまりにも久しぶりのことで、初めて聴くと言ってもよい感覚だった。全身に音が降り注いでいた。
 作曲者はメシアンで、恥ずかしながらその名を知ったのはこのリサイタルがきっかけである。不協和音が空間を不可思議で広大、なおかつ複雑で多彩な場を構成していた。
『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』という題がついている曲で、その題の通り20曲が演奏されたが、どこが境界なのかよく分からなかった。10番だと思って聞いていたものが実際には12番とかだったかもしれない。
 だが、音は俺の全身に降り注ぎ続けた。その音の集合体は俺の身体表面を透過して内部に到達し、俺の精神をかき混ぜて音楽となった。なぜそう言えるかというと、確かに「すげぇ…」と思っていた自分がおり、確かに自分の想像していることがピアノの音が創り上げていく目に見えない世界だったからだ。本当は宗教的な部分が強くてそれを念頭に置いておくべきなのかもしれないが、そのときはただ、音が俺に注いでいた。その意味で題名は俺にとってふさわしくなかった。幼子イエスではなく、俺に注いでいた。まなざしなのか何なのか知らないが、何かが確かに注いでいた。単に音が注いでいたならなぜ俺は精神をかき混ぜられたのか。都会の喧騒も音なのに、それは特に感情をもたらさない。音の要素を含んだ何かであることはほぼ間違いないが、音と決めつけられない自分がいた。
 決まった体積を持つはずのホール内の空間は、俺が感じた限り変化した。それは、音の強弱や音色が原因かもしれないが、それだけなのだろうか。

 途中、一人のおばあさんがホールを出ようとして席を外した。俺は一番後ろに座っていたため、おばあさんは近づいてくる形になった。
 それをあえて無視し、演奏者の周辺を見るようにしてみた。
 そしたら、近づいてくるおばあさんが異様に怖く感じた。見ようとしなくとも視界には入る。その間も不協和音が連続的に俺に注がれ、意味のない存在に意味を与えていた。それは俺から見たときの話である。

 当たり前だが、みんな静かに聴いていた。しゃべる人など皆無に見えた。今何番を演奏しているかも伝えられはしなかった。団子のようにみんな座っていた。
 ライブとはあまりにも対照的である。
 しかし、聴衆の精神状態はいかなるものだったのだろうか。やはり揺さぶられていたと思う。かき乱されていたかもしれない。
 それを証明するかのように、演奏終了後、聴衆は拍手喝采した。演奏者は、舞台と舞台袖を数回往復した。俺が「長すぎだろ」と思っても拍手は鳴りやまなかった。そして演奏者がいよいよ「もういいよ」的な風に見えたときも、まだ鳴りやまなかった。それほど、感情を抱いていたのだろう。内側に。まるでそれを外側に放出するかのように、彼らは拍手を送った。俺も。

 終演後、CD販売があった。そこで非常に違和感がした。列が作られなかったのだ。普通何か買う時は列ができるものだと思っていたし、そうあるべきだと思っている。 それはライブの影響も強いが、元来そうであるべきだと思う。しかしそのとき列は作られなかった。ライブ参加者よりも平均年齢は高かったはずで、なんとなくインテリです的な雰囲気を漂わせていた(ように見えた)彼らは、列を作ることを知らなかったようだった。おかげでCDを買うのに思いのほか時間がかかった。
 俺がCDを買ったのは、リサイタルでは各曲の境界がよく分からなかったのが主な理由だが、購入した人は演奏者のサインをもらえるらしかったので迷わずもらった。このサインを得るのにも時間を要した。列ができていたからだ。
 俺はひそかに、彼らはどれほど音楽を聴きたいのかと、疑問を抱いた。音楽と演奏者のサインを比較したとき、そのレアさゆえに音楽は低位になっていると思えた。もしかしてCDは音楽じゃないのか?そんなことはないと思うのだが。もしかしてサインをもらうために購入したのだろうか。なんとなくそういうのは嫌である。悪いといえばそうではない。後に聴くのなら。「聴く」のなら。感情を抱くことがあるのなら。ただ、やはり嫌であった。
 しかし、問題はなかった。演奏の余韻が残りすぎていて、心が満たされていたからだ。素晴らしい経験をしたのでは…?とか思っていた。
作品名:ライブとリサイタル 作家名:島尾