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短編集7(過去作品)

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 ゆっくり歩いてはいたが、胸の鼓動は感じることができた。途中の児童公園にあるトイレに寄って用を足すと、そばにあるベンチに腰掛けた。すると今まで暑いと感じなかった身体から、一気に噴出してくる汗を感じるのだった。
――少し休んでいくか――
 さすがに陽が暮れていたので、遊んでいる子供もいない。街灯が薄っすらとベンチを照らしているだけで、公園の反対側にあるベンチにもスポットライトが当たっていた。
 暗闇に浮かび上がるように正面のベンチから長い影が差してくるのが分かった。そこには誰かが座っているようだが、最初は分からなかった。
 女性?
 少し吹いている風に髪がなびいているように見える。
 かなりのロングヘアーなのだろうが、想像するに痩せ方の女性のような気がする。ここからまったく確認できない顔であったが、なぜか顔の輪郭から雰囲気まで、ある程度想像することができた。
 今まで私は遠くから見ていて女性の顔を想像したことなどなかった。どうせ贔屓目に見てしまって、実際に拝めば幻滅してしまうことが怖かったのかも知れない。意識して顔を思い浮かべなるなど相手に失礼だと自分に言い聞かせていた。
 しかしさすがに自然に思い浮かんでくるものを否定することはできない。今まで想像しなかったのは、思い浮かぶことがなかったからなのだ。
 私が見つめ始めてすぐ、彼女は立ち上がると、そそくさと公園をあとにした。最初こそ私の視線に気付いて立ち上がったのかとも思ったが、立ち上がってすぐに時計に目をやったことから、予定の行動だったことが見て取れる。
 彼女を追いかけようという衝動に駆られたのは事実だった。しかし金縛りのようなものが私を襲い、どうしても追いかけることができなかった。それだけに彼女の風に揺れた髪がシルエットとなって記憶に残っている。
 その時浮かんだ顔は忘れてしまっていた。それだけ風に揺れる髪のシルエットの印象が深かったからである。
 私に気付いたのだろうか?
 思わずベンチから立ち上がり見失わないようにしながら彼女を追いかけた。女性にしては足早で、息を切らしながら歩いているにもかかわらず、一向に近づく気配がない。
 駅へと向かう彼女だったが、駅が近づいてくると途中の角で曲がるのが見えた。そこは小さな路地で、私の知る限り飲み屋街への入り口だった。
 焼き鳥屋、炉端焼き、小さなスナックなどが横丁を作っているところで、以前に会社の同僚に連れられて行ったことを思い出した。
――スナックに勤めているのかな――
 思い浮かんだ女性の表情を再度思い出してみたが、想像通りの女性ならきっとスナックでも人気があると思えた。まだあどけなさが残る表情が思い浮かんだのは、私の願望が少なからず入っているからに違いない。
 やはり。
 角を曲がった彼女を追いかけるように小走りで角までやってきたが、すでにそこには彼女の後ろ姿を見ることはできなかった。
 行ってみるかな?
 心の中でそう思っただけで、足を踏み入れることはなかった。
――また近いうちに会えるような気がする――
 第六感かも知れない。何の根拠もない。しかし、路地に足を踏み入れることをしなかったのは、その時自分の考えに自信があったからだろう。
 ゴーゴーと降り続く雨に打たれながら、ゆっくりとしかし確実に帰途についている私の頭は昨日に戻っていた。
 会社の同僚と呑みに行ったのは、くしくもその横丁だった。
 実は横丁に足を踏み入れるまで、公園で見た女性がこの角に入って行ったことをすっかり忘れていた。角を曲がって横丁を見た途端、その時の記憶がよみがえってきたのだ。
 一瞬たじろいだ私を見て、
「おい柏木、どうしたんだい?」
 それまで軽快なペースで歩いてきた私が急に立ち止まった。しかし立ち止まったことよりも同僚の視線が私の顔面にあることから、自分でも判らないほどのおかしな表情をしていたに違いない。
「い、いや。どうもしないけど」
 ごまかしても、声は完全に上ずっている。
 足早に路地に入っていく同僚を追いかけた。
 いつも行く焼き鳥屋の赤提灯が見えた。いつものことだが、赤提灯を見ると落ち着くのだ。
「いらっしゃい」
 店内はいつもより客が多かった。ここのマスターにはなぜか気に入られていて、吉村と二人で行く時は必ずここからと決まっている。
「こんばんは、いつものやつね」
 そう言って奥のカウンターに腰を下ろすと、すぐに生ビールが出てくる。すぐに乾杯ができるところがこの店の有難いところなのだ。
 少し暑いが、店内に所狭しと香ってくる焼き鳥の香ばしさに思わず喉が鳴る。そんな中喉の奥に流し込んだビールの一口目は最高だ。これを味わいたくて呑みに来ると言っても過言ではない。
 とは言ってもあまりアルコールの強くない私は、すぐに顔が真っ赤になるみたいで、いつも一杯で終わりにしている。半分くらいまでは早いペースで呑むのだが、それからはゆっくりペースとなり、吉村が三杯目に差し掛かった頃、一杯目の私がほろ酔い気分になるといった具合である。
 呑む時の話題はいつも決まって、上司の愚痴か、お互い独身の二人なので、女性の話題かのどちらかである。女性の話題と言っても最近きれいな人を見たとかいう程度の他愛もないことに終始している。
 どちらかというと話題性のない私なので、いつも話題を振る吉村に対し相槌を打ったりすることが多かった。本当は自分からも話題を提供したいので、たまに話題がある時は率先して話し始めるのだ。
 話題というとこの間公園で見た女性のことを話題にしたかった。何となく神秘的で、顔をはっきりと見たわけでもないのに自然と浮かんできたのである。今までの私にはそんなことはなかった。
 今、目を瞑ればシルエットとして女性の顔が浮かんでくる。はっきりとしているわけではないが、顔を見ればすぐに分かるはずである。
 女性に限らず顔覚えの悪い私にとっては、信じられないことである。
「今日は天気がよくてよかったな」
 昨日は一日中雨だった。それほど強い雨と言うわけではなかったが、一日中ジメジメして気分も少し滅入っていたかも知れない。
「でも、夏に入って降る雨は集中豪雨も多いから気をつけないとな」
 確かに去年の夕立はひどかった。一気に来て一気に止んでいく。猛暑の続く昼間に溜まった埃を洗い流すかのようにである。
「そういえば、集中豪雨で思い出したんだが」
 吉村は続ける。
「俺も人から聞いた話なので、本当かどうかは分からないんだけどな」
 そういって前置きをして、
「あれはいつだったか、友達が俺にだけは話すって言ったことがあるんだけど、どうも自分の胸だけに抑え込んでおけなくなったらしいんだ」
「穏やかな話じゃなさそうだな」
「ああ、ずっと自分の胸だけに抑えて来たみたいで、本人はそのままずっと自分の胸に閉まっておくつもりだったらしい」
「その友達にそんな素振りはあったのか?」
「いや、元々ポーカーフェイスで、悩みを表に出さないタイプだったんだ。かといって何を考えているか分からない偏屈なやつでもなく、社交性のあるやつだったんだよ。余計なことをベラベラ喋る方でもなく、どちらかというとクールな方だったかな」
作品名:短編集7(過去作品) 作家名:森本晃次