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水のようなあなた

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 強く腕を振り払い、紅葉の滝を薙ぐ。元通りに太陽に照らされた道には、何もいなかった。そこら中を赤のカーペットに染めている落ち葉は、枝にあった時の形を保っていて、何かがその上を蹂躙して走り抜けていったようには見えない

 耳の裏の血管が、脈打っている。両手でぎゅっと目蓋を抑え、深く深く息を吐き出した。意識してゆっくり、肺の隅々まで酸素が行き渡る様に息を吸い、同じように吐く。その動作を二回、三回と繰り返してから、ようやく貴臣は腕を下ろした。
 父の訳がない。何かの聞き間違いだ。胸の内で言い聞かせた言葉を、今度は口にも出して、再確認する。そうでもしなければ、7歳児のように父を呼びながら、今来た道を走り戻ってしまいそうだった。

 わざと荒々しい足音を響かせながら、道を進む。あまりにも山が静かすぎて、まるでこの山という存在自体が、外界との接続を切って穴倉の中にこもり、冬眠しているかのようだ。
 先を進む自分の足音だけが浮いている。山の方でも貴臣を異物と認識しているのか、靴の下で擦れる音は空間に馴染むことなく、形を保ったままいつまでも道の端々に散らかっていた。人の多い都市で昼夜過ごしていると、ここまで音がない空気が酷く耳に痛い。冷えた針を突き刺されている気分になる。

 周囲、特に背後の音に耳を済ませているのか、耳鳴りに支配されているのか違いが分からなくなりそうだ。そんな貴臣の不安を破ったのは、これまた自分以外が発する音だった。
 遠くから、音とも声ともつかない程微かに、何かが聞こえる。音に関心を払わず普通に歩いていたら、きっともっと気付くまで時間がかかっていただろう。

 先程の恐怖がよみがえり、走り出そうかと爪先に力が入る。が、蹴りだそうと足に力を入れたのも、一瞬だった。
 背後から聞こえてきたさっきまでのものとは打って変わり、梢を揺らす風よりも小さなそれは貴臣の進行方向から聞こえてくるような気がするのだ。

 ゆるやかにカーブしている道の先には、白けた砂利と落ち葉だけで、何もない。いよいよもって、不気味でオカルトじみた現象だろうかと身構える。

「おーい」

 スピードを緩めたとはいえ前方に距離を詰めた貴臣の耳が捉えたのは、呼びかけの声だ。
 それも、若い男。さっきの今で、警戒心が湧かない訳ではなかったが、山の怪談話にするには、随分と間の抜けた声だった。ふと、ある可能性が頭を過る。もう一度背後を振り返り、何もないことを確認すると貴臣は歩くスピードを上げた。どんどん声が近くなり、切り切れだった言葉の全容がはっきりしてくる。

「誰かぁ、いませんかぁ? おーい」

 悲痛さが滲んではいるが、なんというか緊迫感に欠ける声だ。雨の日にびしょ濡れになった長毛種の犬なんかが、愚痴をこぼしたら、こんな声をしていそうな気がする。
 道の先と左右に視線を走らせる。相変わらず、誰の影も見当たらない。もう一度、呼びかけに耳を済ませ、進行方向の左、山の頂上とは反対側の斜面へと身を乗り出した。角度自体はそれほど急ではない。
 あちらこちらの空に枝を伸ばす木々が生えた斜面と一定の平地が、麓まで交互に続いている。

「助けてくださぁい、誰かぁ」

 いよいよもって、頭を過った可能性が濃くなってくる。しかし、声はすれども姿が見えず。今までよりも格段に近くなっているのは、明らかなのだが、肝心の声の主が見当たらない。頭を巡らせている合間にも、男の声は続いている。気のせいでなければ、若干泣きが入っている。
 そのあまりの情けなさに、逡巡していた思考の背が押された。落ち葉まみれの斜面を、爪先で探りながら下り始める。でこぼこの砂利道も歩きにくいが、人の痕跡が全くないそのままの素の地面というのは、それ以上に足の進め方に気を使った。

 足を置くと、地面を覆う落ち葉と下の地面ごとずぶずぶと足が沈んでいくような踏み心地がするのだ。テレビで見た田植えを初体験する小学生のように、一歩踏み出しては埋まった足を取り返し、まった一歩踏み出す、の繰り返しだ。
 両足共に沈んでしまわぬように足場を探りながら、声の出所に近付いていく。斜面の中ほどに、周辺の中でも一際幹の太い木がそそり立っている。大人三人が腕を回してようやくという太い幹に、地面からはみ出した根っこは周辺の木々を押しのけそうな勢いだ。
 その大木の足元に、腕が生えている。ついでに、足も。

「だれかぁ」
「……大丈夫ですか?」

 あまりのシュールさに、どんな表情をすればいいのか分からず、そんな普通の呼びかけで貴臣は下を覗き込んだ。
 大量の落ち葉に隠れて上から見た時は気付かなかったが、木の根元には大人一人が入れるぎりぎりの大きさの穴が口を開けているようだった。そこに、人がはまっているのだ。覗き込んだ貴臣の視線と中の要救助人とのそれがぱちりと重なる。

「ああ! 良かった、人だ! 助けて下さい!」

 想像していたとおり、半泣きの状態で貴臣に助けを求めた青年は、後ろ向きの状態で穴にはまりこんでいた。
 大人が立ったままなら頭の先まで入ってしまいそうな深さだが、幅に余裕があるわけではない。倒れ込んだまま下に落ちたのではなく、途中で穴の幅につかえてしまったのだろう。体をくの字に曲げたまま、腰から下を中心にはまってしまい、頭から太ももの途中までが綺麗に穴に隠れている。
 腕先と足先だけは伸ばしたままの姿勢を余儀なくされたため、外にはみ出していたわけだ。

「近付いても大丈夫ですか?」
「あ、足元右の部分だけ地面軟くなってるんで、そこ以外は大丈夫です。下手なとこ乗ると、俺みたいにずり落ちます」

 両手両足版犬神家現象の理由が垣間見えた所で、貴臣は直面した問題に意識を戻した。地面が平坦でない上に、踏ん張りが利かないのに苦労しながらもがいている男の腕を引っ張る。
 背中の荷物が穴の側面に引っ掛かり、自力で起き上がれなくなっていたようだ。一度では上手くいかず、穴の縁に足が滑って行かないよう何度か場所を変えながら、どうにか男を引き起こすことに成功する。
 その間も男の口は止まることを知らず、落下体制のまま自己紹介を済ますという周到ぶりである。口下手な貴臣から見れば、いっそ畏敬の念を抱かざるを得ないレベルだ。
作品名:水のようなあなた 作家名:はっさく