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水のようなあなた

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 ざりっ、ざりっ、がさ、ざりっ。
 ざりっ、ざりっ、がさ、ざ――

 ついさっき怪我のことが頭を掠めたはずなのに、また思考に沈みこんでいた貴臣は、心配していた通り窪みに足を取られ、規則的だった足取りを乱された。
 すぐに、反対の足を前に突き出し、両腕を振り回す滑稽な動きでバランスを整えたので、無様に転げることはなかったが、随分とみっともない動きだった。
 誰も見ていなかったとはいえ、気恥ずかしさに空咳を一つ零した、その時だ。

 じゃり。

 背後から、明らかに葉が地面に落ちた物とは違う音が響いた。
 吐き出した分の酸素を吸いこもうとしていた動きが止まる。呼吸だけではなく、指先一つ、曲げていた背骨の角度一つ、ぴたりと固まってしまった。

 貴臣の足音ではない。それよりも重く、地面に足裏をこすりつけるような、そんな砂の鳴り方だった。息を殺して背後の気配を探る。他の登山客だろうか。ガイドブックに記載も、注意喚起の看板もなかったが、よもや、熊か。
 息を潜めて耳に全神経を集中するが、背後からは風の音一つ、葉の音一つ、聞こえてこない。自分の浅く早い呼吸ばかりが、耳につく。心臓が、胸の皮を突き破りそうなくらいはっきりと脈打っている。
 五つ数えても、十数えても、変化はない。乾いた唇を引き結び、恐る恐る一歩踏み出す。

 ざりっ。
 足の裏で、砂が鳴く。それだけだ。それ以外に、何もない。
 気のせいだったのか?

 視界の端に映るのは、むき出しの山肌と色付いた、あるいは寒々しい木々の姿ばかりだ。貴臣以外の登山客の姿も、黒い毛むくじゃらの何かも見当たらない。それでも、先程までとは何かが違うことを肌が訴えている。
 総毛だった感触が中々治まってくれない。肺と鼻の奥に染みていた冷たく、澄んだ山の空気が今やみっしりと重く肩にのしかかってくようだった。

 ざりっ、ざりっ。
 ざりっ、がさ、ざりっ。
 ざりっ、ざりっ、じゃり。

 一歩一歩踏みしめるように動かしていた足がまた止まる。唾を飲み込んだ音が、いやに大きく鼓膜に響いた。
 偶然自然が発した音ではない。一定の重みのある何かが動いたて、それによって砂が摩擦して出たものだ。唇の端が震える。自然と前に足を動かすスピードが上がり、鳴る砂の感覚も短くなっていく。

 ざりっ、ざりっ、がさ、ざりっ。
 じゃり、じゃり、じゃり。

 歩みが早くなればなるほど、最初は聞き間違いかのようだった足音の存在がはっきりとしてくる。今では、貴臣が地面に足を付けるのと同じタイミングで背後から音が追ってくる。
 浅い息ばかりで、肺に上手く酸素が回らず酷く息苦しい。全身に汗をかいているのに、暑さからは程遠かった。

 あの日の再現フィルムでも撮っているかのようだ。バランスを崩しながらもスピードを下げることなく悪路を進んだ負担が、徐々に膝に蓄積していたのか。引きつれるようにそこが痛くなってくる。
 いくら山登りが初めてとはいえ、この程度でと貴臣自身不自然に思えたが、熱を放つ痛みは徐々に無視できない強さにまでなってきていた。

 ふいに、背後の気配が濃くなる。思わず、足の動きを止まる。雷鳴のように、恐ろしい考えが閃く。
 この足音の主は、自分を知っているのではないか。ずっと、ここで貴臣のことを待っていたのではないか。馬鹿馬鹿しいと即座に否定したかった。だが、心臓と同じ速さで熱を発する膝の存在に、疑念がどんどん強くなっていく。

 まさか、そんな。無理やりに言葉に息を吹き込んで、笑い飛ばしてしまいたかったが、それをするには、唇も舌の動きも固すぎた。否定を何度も繰り返し。その度に疑いの渦が何重にも大きくなっていく。
 貴臣の内心の葛藤を嘲笑うように、真後ろから足音以外の響きが鼓膜を打った。

「たかおみ」

 低く、最後の“み”が掠れた呼び方。まぎれもなく、父の、声だった。
 何かを考える前に、後ろを振り返っていた。一瞬、頭上の太陽が雲に隠れたのか、周囲が暗くなる。風も吹いていないのに、一斉に葉が舞い降り、視界を赤が埋め尽くす。はらはらと目の前を落ちていく葉の向こう側に、何かを見た気がした。

作品名:水のようなあなた 作家名:はっさく