短編集6(過去作品)
だが、何となく分かっていたような気がするのはなぜだろう。初めて聞かされた衝撃の事実のはずなのに、それほどの驚きがない。むしろ、それならそれでなぜもっと早く言ってくれなかったのだという思いが強かった。
何も結婚しようと考えている今になって言うことはないではないか。
私は無言の視線を姉に浴びせる。それは姉にも分かっていたことだろう。視線を逸らすこともなく私を見つめ返す。私の視線は覚悟の上だったはずである。
「姉さん……」
私はそこまで言うのがやっとだった。
「あなたの気持ちは分かっていたわ。私も辛かったの。本当は言いたかった。でも心の中には二人の私がいるの。弟としてしかあなたを見れない私と、それから……」
そこまで言うと言葉を途切った。わざとそこで止めたようだ。それ以上言うに忍びないという気持ちは、表情に表れている。
「気持ちは一緒だったんだね」
私も同じである。血が繋がっていると思い込んでいたので、姉としてしか見ることのできない自分が強かったのかも知れないが、それでも心のどこかで、姉から今のような話を聞かされることを予測していたのかも知れない。
「まるで夢を見ているみたいでしょ?」
「うん」
確かに夢を見ているようだ。そして夢なら覚めてほしくない。姉の表情は明らかに私をオトコとして見ているようだからだ。
気がつけば姉は私の知らない顔になっていた。
――これが本当の姉の顔なのだろうか?
年上で頼もしい限りの表情を私に浴びせていた今までの姉とはまったく違う。男に身を任せる時の潤んだ目であり、私を求める鋭い視線といった見たことのない顔である。
「人生がリセットできれば……」
小さな声であったが、私にははっきりと聞こえた。
わざとその言葉について私は触れなかったが、それはそれでよかったと思う。私も同じことを考えていたが、きっと口に出してはいけない言葉だと思ったからだ。
その時から、私の頭には「人生のリセット」という言葉が付きまとっている。義兄に対して嫉妬しなかったと言えば嘘になるが、義兄とは仲もいいし、結構みんなうまくいっているのだ。
もちろん、姉と会ってもあの時のことは何もなかったかのように振舞っている。姉の顔があの一夜のような表情になることはなかったし、私も頭の中奥深くに封印して、意識して思い出そうとすることはなかった。
あれから私は義兄がくれたゲームに嵌まってしまっている。
よくできたゲームで、ロールプレイングゲームというのか、キチンと一日一日をカウントしていって、それから経験値が増えていくようになっている。しっかり学習能力もあるようで、実によくできた恋愛シュミレーションになっている。
「おもしろくなかったら、リセットボタンを押せば元に戻るよ」
義兄が教えてくれた。
――リセットボタン?
その言葉を聞いた時ドキッとしたが、なぜドキッとしたのか自分でも分からなかった。
リセットという言葉にどういう意味があるのか、忘れてしまっていたのだ。とにかくリセットボタンを押すことは最終手段だという思いだけが頭の中にあり、何か危険なものだという認識でいた。
私はリセットボタンを押したのだろうか?
私が今いるこの世界、義兄がくれたゲームの世界に似ている。確かに一日一日がこの世界にはあり、私はその中にいるのかも知れない。
いくら血が繋がっていないとはいえ、確かに最初は姉とのことに罪悪感があった。姉と結婚する義兄に対してもあったはずである。
姉との楽しかったことを思い出していた。よく親が遊園地に連れて行ってくれたものだった。どこの遊園地だったかあまり記憶にないが、楽しかったことだけは覚えている。この世界での遊園地、何となく思い出に耽ってしまうと思ったのは姉と行った記憶を紐解いていたからなのかも知れない。
「由紀子」
思わず呟いた。
目の前にいる由紀子が私に微笑む。明らかに姉の微笑みだ。
「由紀子」
もう一度呟くと、由紀子の顔が次第に姉の顔へと変わっていく。
私と姉はこのゲームの世界で再会したのだ。私は由紀子の顔が完全に姉の顔に変わったことを確認した時点で、リセットボタンを押したことをはっきり思い出した。押した瞬間何が起こったかは分からないが、気がつけばこの世界にいたのだ。そして目の前にいたのが由紀子だった。
「和江」
私の心からの叫びだった。
「やっとそう呼んでくれたわね。嬉しいわ」
私は和江を抱きしめる。もちろん姉としてではなく一人のオンナとして……。
リセットボタンはきっと姉も押したのだろう。
「もう罪悪感なんてないわね」
「ああ、そんなものはないさ」
姉の言葉を聞いて私は確信した。リセットボタンを押すことで私たちの心が一つになったのだ。きっと同じタイミングで押したに違いない。私は少なくともそう思っている。二人とも承知の上で押したのだ。何事も罪悪感をなくし、新しい世界を作る。
抱き合っている私たちがいるこの世界を覗いている者がいる。私には分かっているが、たぶん姉も分かっているだろう。
暗い部屋で電気もつけず、ただモニターの明かりだけで画面をひたすら見ている二人、もちろん違うモニターを見ているのだが、まったく同じシチュエーションであろう。
そこにはリセットボタンを押した瞬間から理性と言葉を失い、ニヤけながらモニターを食い入るように見つめている自分たちがいることを……。
( 完 )
作品名:短編集6(過去作品) 作家名:森本晃次