ミチシルベ
八 承諾
思わぬところで協力を求められた。
晋作は新進気鋭の登山家だ。そして、岸場たちがあの世界に置いてきた忘れ物の存在を知っている。確かに、彼にはそこへ行く権利もある。求められた岸場たちに拒否をするという選択肢はなかった。
「わかった、ゴーサインがでたら共に行こう、期待してるよ」
岸場は晋作に手を差し伸べると彼はそっと差し伸べた手に添えて取った。
「ありがとうございます。こちらこそ勉強になります」
そういってグラスをもったまま人が群がっている演台の方に紛れて消えて行った。
* * *
「いいんですか?」
松沼は心配そうに岸場に問いかけた。
「ああ――」岸場はグラスに口を付けた「見たろ、達っつあん。晋作君の握手のしかた」
「あ……」
松沼はさっきの動作を思い返した。確かに晋作は岸場の手にそっと手を添えた。
「そうだ」
岸場の右手にはほとんど感覚がない部分があるのだ。これは20年前のあの日あの場所、命と引き換えに凍傷で指の感覚を失ったのだ。切断する必要までは無かったが、現在も後遺症で指が満足に動かない。晋作はそれを知ってあのような手の取り方をしたのだ。
「彼も、越えたいんだ」岸場は右手を目の前に挙げて見つめた「俺たちもいつまでも、このままじゃダメだ。これはお互いに利のあることだと私は思うのだが」
「そうですな……」松沼はグラスに残ったワインを飲み干した「いつまでも、ひっかかっていては前に進めないですからね」
「来年は行こう、必ず」
「そうこないと!」
二人は空のグラスを重ねて、長い期間を掛けて準備にとりかかる決意を固めた。
二人には晋作と共にあの場所へ行く義務があるのだ。彼が山の道に入ったきっかけは岸場たちの登頂そして事故だったことであるのは間違いが無い。彼はいまだそこにあるものを確かめるためにこの世界にいるのだ。しかし前回はチベットルートで登頂をし、それを確認するには至らなかった。あの場所を知る岸場たちにしてみれば、彼の道はまだゴールに達していない、そう思えてならなかった。彼にしてみれば世界の頂点よりも目指すべき場所があるのだ。
それはあの時以来帰還していない一人の人間が彼に大きく関係がある。晋作は登山家一族の代表でどうしてもそこへ行かなければならない理由がある。なぜなら、その人物は、
市島晋作の叔母にあたる人物であるからだ――。