ミチシルベ
17公演
「えー、というわけで世界最高峰の景色というのはこんな感じです。地球上の誰よりも高いところにいるんですね」
会場に写し出されたスライドを示しながら、岸場は説明する。
帰国した後も岸場は精力的に津々浦々を講演してまわり、登山を通じて自然環境や健康づくりまであらゆることに関心を深めてもらおうと思っている。先月にエベレストから帰ってきたという実績は講演前に紹介されると講演の反応がやっぱり違う。それだけあそこは世界中で認知され、そしてすべての登山家が目標としているところであるのがわかる。
「何か、質問はありますか――」
岸場が会場の方に向かって言葉を投げかけると次々に手が上がった。
「期間にしてどれくらい掛かかりましたか?」
「体力的にどれくらいの準備期間が必要ですか?」
「それはですね……」
今回は20年前ではない、現在の状況について回答をする。
「他に――、ありますか」
しばらくの沈黙のあと会場の前方の列で右手が上がった。岸場は彼を指名すると、スックとその場で立ち上がり真っ直ぐに岸場の目を見ていた。
「どうぞ」
「先生の著書では山頂を『beyond(あの世)』と説明していますが、世界の頂点は本当にあの世なんでしょうか?」
「そうですね、皆さんにはこの世界の過酷さがいかなるものか知っていただきいたいところが、あります」岸場は水を飲み、大きく深呼吸をした。「これから、お見せしたくないスライドを見せようかと思います。見たくないと思われる方はどうぞ、目を伏せておいてください」
岸場はマウスをクリックした。映し出された映像は、山頂ではなく8500メートル地点のまさにあの場所。そこへ行った者なら誰でもわかる、いわゆる「日の丸ポイント」だ。
見ている聴衆の中に、目を伏せた者が多くいるのが岸場の目に見えた。それでも、岸場は話を続けることを決めた。
「この世界では、いかなる生物も生存することは出来ないのです。動物も、植物も、そしてそれらを分解する菌類もです。ですから、そこにあるものは、そのままなのです」
「これは、私が救うことが出来なかった人なのです。先に説明したとおり、20年経ってもそのままなのです」
会場は静まり返った。だが、岸場に耳を傾けない者は誰もいなかった。
「ただ、彼女は――、ここでミチシルベとしてこの世界に入ってきた者に注意と勇気を喚起させる役割を果たしているのです」間を嫌って咳払いをした「これが『あの世』であると言う所以です。20年前、彼女を救えなかったことは今でも悔いています、これがあの世界の現実なのです」
質問者が席につくと沈黙が会場を包む――。
「他に質問は、ありますか?」岸場はもう一度水を口に含んだ。会場は静かで手は一つも上がらなかった「以上で講演を終了したいと思います。ありがとうございました」
岸場が壇上から降りると、一人が手を叩く音が聞こえ、それが二つ、四つ、八つとなり会場は大きな拍手の音で包まれた。岸場はこの話題を出すことが良いのかどうか、講演の最中でも考えていた。しかし、言って良かった。何かが前に進んだ、そう思った岸場は会場を出る最後で深々と礼をした。それはもう今生では行けることのない『あの世』との決別だった。