ミチシルベ
18起床
岸場は目を覚ました。午前6時半。隣のベッドには誰もいない。いつもの日常が帰ってきた。行く前と帰ってから現実の世界には何の変化もない。
いや、一つだけ変わったことがある。
岸場は大きく伸びをして一階に下りテレビの前にあるソファに座った。
「おはよう――」
「おはようございます」台所の方から恵の返事が聞こえた「昨日はよくお休みでしたね」
「そうか……」
帰国して以来あの夢を見ることがなくなったのだ。まさに夢から覚めたように、彼女は岸場の頭の中を訪ねて来ることはなくなった。
岸場はカップに手を伸ばした。
「おはよー」
元気よくおはようを言ったのは娘の美由希だ。小さい身体でピョンと跳んで岸場の膝の上に着地した。
「私は、生きている――」
どこからとなく頭の中でそんな言葉が聞こえた。誰が言ったのか分からない。声とか、文字とかではない。脳裏にただそう刻印されたかのような感覚が頭に残った。
「これで、良かったのだろうか?」
岸場はカップを手にとり口に当てた。
「何を言っているのですか。それは誰もが望んだことではありませんか」
恵は当たり前のことを言うようにいつもの調子でゆっくりと答えた。そうだ、誰もが望んだことだったのだ。岸場は今、あの場所へ僅かに残していた自分の分身がまさに戻って来た感覚を覚えた。自分は今を生きている、これで良かったのだ。そう言いながら膝に座っている娘のからだを高く持ち上げて立ち上がった――。