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ミチシルベ

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14再会

「20年ぶりだな……」
 岸場はひざをついたまま目を瞑り胸で十字を切った。目を開けると横には松沼も同じようにひざをついて祈っていた。
「晋作君――」
「はい……」
 岸場は松沼やシェルパたちの顔を一度見て頷き、ゆっくりとそこにある国旗に手をかけた。すると、今までそこに隠されていたものが静かに顔を現した――。
「これが、君の叔母さん――、市島 静だ」
 そこに立ち尽くしていた晋作もひざをついた。そこに横たわっているのは20年前に岸場たちとともにここへ来て世界の頂点に立ち、そして岸場たちがここへ置き去りにした一人、市島 静その人だ。
「岳さん」
「ああ」
 岸場はその頬に手を伸ばしてそっと触れた。ここの空気と変わらない、冷たい肌。しかし、あれから20年も経っているのに彼女は時が止まったようにあのときのままの美しい顔をしている。
 標高8500メートルのこの場所では氷が溶ける温度になることはない、そして、粘菌でさえ生きていける環境にないので自然の姿に還ることもない。だからそのままなのだ、彼女はここで本当に眠っているようにここにいるのだ。
「これが、事実なんだ――」
 あの時の報告では彼女は下山途中に滑落して行方不明になったままということになっている。
 しかし彼女は今目の前に、いるのだ。滑落したのではなく、ここで力尽きたのだ。
「晋作君、聞いてくれ……」
 岸場は晋作の目を見た。あの時の、そうだ、20年前に題目のないあの会で見たあの目をしている。岸場はその奥にある引っ掛かったものを見て、今までずっと抱えていた思いを言うべき時だと判断した。
「これは、彼女が望んだことなんだ」
 岸場に代わって松沼が代弁する。静はここで生き続けるために最後を看取られるのを拒んだのだ。この世界は死と隣り合わせで有ることは晋作もよく知っているから何も答えなかった。
 確かに静はここで眠っているようにそのままだ。あの時から時間が止まっているかのように。ここは、時間さえも動かない世界なのだ。
「叔母は、自ら『ミチシルベ』に……?」
「そうだ。置き去りにするつもりなどなかった。それは……」
「それは?」
「無事に帰ったら私たちは一緒になるつもりだったんだ。だがら私は、私は……、彼女の最後を見ることはできなかったのだ」
 松沼が晋作の肩に手を置いた。
「そして10年後、私が彼女がまだここにいるのを確認した。ここで、この場所で」
「彼女は十分役割を示した。だから、それを晒ける必要はないと判断したのだ」岸場が話を継いだ「国旗を掛けたのは私の判断だ。そして、会ってさよならとゴメンを言いたかったんだ――」
 岸場はその次の年に結婚を決めた。それまで、岸場は妻をとることは自分の中で許されなかった。
「私が未熟だった故にこうなったのだ。君には私を非難する権利がある――」
 岸場は晋作の目を真っ直ぐに見た。その視線に晋作は何も答えられず時間が過ぎ、冷たい風がこの場所を吹き抜けた。
「それで……良かったと思います。岸場さんの判断は、間違っていません」
 晋作の中ではここに来るまで自分の叔母を、将来を約束したその人を置き去りにして帰ってきたことについて、岸場に対して一点の曇りが残っていた。場合によってはここでしてはならないことや聞いてはいけなかったことを聞こうと腹に決めてここまで20年かけて上ってきた。しかし、岸場の表情とその言葉、そして目の前にいるここへ来る者をじっと見届け続ける肉親の姿と顔を見ると、その曇りは今日の空のようにスーッと消えていった。
「そう信じたい。そう言ってくれると嬉しいよ」
 岸場は感覚のない右手で晋作の肩をとった。彼もここで手の一部を失っているのだ。
「今まで、すいませんでした」   
「なにがだ?」岸場は笑顔を見せた。体力も限界に近いこの場所で見るその顔に晋作は返す言葉はなかった「こっちこそ許せ……、許してくれ」
 薄い酸素、残っているわずかな体力。そんな現状も気にせず岸場は声を出して泣き始めた。ここにいる誰もが止めることはなかった、そうすることが鎮魂であり、懺悔でもあり、そして解脱だと信じていた。

   * * *

作品名:ミチシルベ 作家名:八馬八朔