ミチシルベ
13登頂
登頂三日目、天気は不思議なくらい晴れている。山の天気は一日で荒れることは日常茶飯事なのに、今日の日まで大きな荒れもなく目指すポイントには着実に近づいている。
5人はテントで仮眠を取った。毎回酸欠と緊張で眠れないことを知っている岸場は覚悟を決めて寝ようとしたが今回は気持ち悪いくらいに天候が良いので事のほか体力回復が出来た。前回だけでなく高山地域では天候と酸欠で正常な判断が出来ないくらい悩まされることが多いのに、今回はまるで自分のために見えない何かが力を貸してくれたかのように。
隣のテントから出てきた松沼も晋作も元気そうだ。だれもが奇跡的な好天に驚いている。
「いつもこんな天候なんですか?」
「馬鹿言え、これは奇跡みたいなもんだ」晋作の質問に松沼は笑って答えた。
「彼女が、呼んでくれているかもな――」岸場はストックをここからはそう高くない山頂の方に向けた。彼らの目的地は、もうすぐそこまで来ている――。
「行こう、あそこで待っているんだ」
「そうだ、20年も待ってるんだ。行こう!あと少しだ」
岸場は仲間の肩を叩き大丈夫であることを確認し、前へ歩き出した。風の音に混じりアイゼンが雪の上に落ちる音が何も無い白一色の世界に響いた。
* * *
稜線をたどって一行は歩き続け高度8500メートル。目と鼻の先に世界の頂点が見える。風も、雲も岸場たちを避けるようにいずこかへ隠れて現れず、想定外の速さでここまで来れた。そして、白一色しかない山の、稜線の少し下方に見えるその地点に一点だけ赤いものが見える、日の丸の太陽の部分だ。ここは稜線の陰になり、比較的風が吹いてこない位置にある。陽も当たらないので環境が変化しにくくここをアタックのルートとする登山者が多い。ここに国旗があるということは、ここに人が歩いていたことを示す重要な証拠だ。
岸場たちはそれを確認したと同時に、闘牛がマタドールの赤いマントを見たかの如く鼓動が速くなるのを感じた。
「とうとう、来たな――」
岸場は酸素マスクをはずして共に歩いてきた松沼の顔を見た。
「そうですね、ここまで長かったですね」
松沼もマスクをはずした、ここにいる者と同じ空気を味わいたかった。そこに笑顔はない。奇跡的に天候が良いので体力的にはわずかに余裕が残っているが、笑顔がないのはそういう意味ではない。
「そうだな、僕は20年。達っつあんは10年だ」
「あれが……、叔母ですか?」
晋作は白の中に見える一点の赤いところを指差した。
「ああ、そうだ。彼女はずっと我々との再会を待っていたんだよ――」
岸場たちは少ない空気を大量に取り込みながら恐る恐る近づき、雪の上に盛り上がった国旗のそばにたどり着き、そこで片ひざをついた。