ミチシルベ
十 家族
また夢を見た。20年前のあの時の記憶がありありと甦った。
「私はここで『ミチシルベ』になる――」
「ダメだ。もう少し希望を持とうじゃないか!」
「それこそ共倒れになります。雪を、雪を――」
そこで目を覚ました。あそこにいたように体が凍り付くように寒い。だけど背中は汗でじっとりと濡れている。先日の講義で思い出したくないことを思い出したからだ。あれから20年が経つというのに頭から離れない。
岸場は時計を見た、午前7時。横のベッドには誰もいない。岸場は汗で濡れた服を着替え、何もなかったように装い、大きく深呼吸をしながら階下に下りた。
自分が背負った十字架は、
離れることはないのだろうか――。
* * *
「おはよう――」
「あなた、またうなされてましたよ」
岸場は妻に一言「ああ」とだけ言ってソファに座り新聞を広げた。どれだけ悟られまいと装っても妻はお見通しだということか。岸場はもう一度深呼吸をして大きく伸びをした。ソファの前には娘の美由希がテレビのこども番組を見ながらお歌を歌っている。
「みーちゃん、おはよう」
「おはよー、パパ」
美由希は屈託のない笑顔を見せ父のひざに飛び乗った。50過ぎの父に5歳の娘、傍から見れば親子というよりも祖父と孫のような感じである。結婚をあきらめていた岸場にとって娘はかわいくてしかたがない。彼女が天から降りて来て以来岸場は危険を顧みない冒険に恐怖というものを初めて感じるようになっていた。
テレビのこども番組が終わり、岸葉はニュースチャンネルに変えた。すると夏山での遭難事故が報道されている、岸葉もよく知る山だけに報道の内容に耳を立て、装備の少なさで事故になったと聞き残念なことだとつぶやいた。
「あなた――」
テレビへの視線を移させたのは妻の恵だ。いつもと変わらない表情でこちらを見ている。
「行かれるんですよね?」
「何がだ?」
岸場はとぼけて見せた。妻が手にしているのは病院の領収書だ。勘のいい妻はそれだけで意味するものが分かるようだ。
「志織ちゃんから大体の事は聞きましたよ」
そう言って恵みはクスクス笑いながら袖机に入れたてのコーヒーを置いた。
「『忘れもの』を、取りに行くのでしょう?」
「そこまで話は聞いているのだな」岸場は参りましたの表情でカップに手を伸ばした「しかし、あの時と違って僕には家族がある。もし帰れなくなったりしたら美由希は……」
岸場は娘の頭を撫でながら答えた。
「私は、構いませんわ。ただ……」
「ただ……?」
「生きて帰ってきてください。それだけ約束していただければ」
たった一つ、それも一見して出来そうであるが出来る補償がない約束を提示された。
「もちろん、帰って来るさ」岸場はコーヒーを飲み干して恵に手渡して娘を抱いて立ち上がった。
「僕からも一つ約束しよう。今回がおそらく最後のトライになるだろう――。次は、ない。もちろん、行ったきりと言うことじゃあ、ないよ」
岸場は抱きかかえた娘を高々と上に挙げ、妻の顔を見て大きく一度、しっかりとうなづいた。恵は夫の静かなその表情に強い気持ちを感じ、何も言い返すことはなかったーー。
後編へつづく