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もやもや病 11

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105 患者会の思うこと

患者会のことなど、難病に無縁の人にはわからない集まりだと思う
患者会と言っても、難病は色々あって、決して、病気比べとか、軽い重いをとらえるということではないのだけれど

患者会も出来るようになっての歴史は浅いと思う
医学の進歩はこの2,30年で大きく変わったと思う

夫の妹が寝たきりになったとき、病名は付かなかった、そんな病名は無い時代だった

なんだかわからないけれど、5歳で歩いて病院に入院したのに、あれよあれよと歩けない状態になり失語で全介助で退院したのだから

医学機器が発達して、診断が出来るようになり、この病気は難病なのだという認識が出来るようになって
そこからが患者会の集まりだったのではないかと思う

もやもや病も
患者さんを多く診た医師が、この病気は治らない、これからどうなっていくのか、個人だけでは無く、他のご家族とも力を合わせて情報交換していく方が良い、と進言頂いて
患者会が発足したのだと聞いている

子どもの患者から始まったので
最初は、もやもや病の病気を持つ親の会と言うところからだったと
そしてそれが、もやもや病の患者と家族の会という名前に変わった

病気、難病というのは数がわからないほど多くある
患者数も、数人から何万人というところまで様々

次男の病気としては登録患者がだいたい1万5千人ぐらい、制度が変わって軽快者という人たちが、この数字の中に入らずにいる場合もありそう
そして患者会に入る人はどこの患者会でもだいたい1割程度では無いかと聞いている

うちの会も1,000人ちょっとという会員だ

子どもだった患者達も30数年が過ぎて、大人になった
大人になるまで生きられないとわざわざ本人に言った医師が居るらしい、20歳になったとき、生きてると見せに行きたかったと言っている人が居た

もやもや病の症状として、頭の太い血管が狭窄を起こしその先に血液がいかなくなったり、脳梗塞を起こしたり、脳内出血を起こす

その梗塞の場所や出血のあるなし、一過性脳虚血発作だけの段階で脳外科手術を受けることが出来た人と
脳梗塞がすでに有る人、脳出血でダメージの有る人、あるいは無症候性の、何も問題は無いけれど、病名が付いた場合の人(これは脳ドックや、交通事故で全身の検査をしたときに、もやもや病だったとわかる場合などがある)
また、家族親戚に居るからと、頭の痛いというようなときに受診してMRIを撮ったときに家族性のこととして見つかる場合もある
そのように、同じ病名が付いていても十人十色の病状、症状、問題なのだ
だから、例えば集会で仲良くなった人と、まるで同じということはなかなか難しい
そこであなたは軽いからとか、私は重いからと言うことが前提に付いてしまうと、交流を図るのは難しいことになってしまう

この病気はつくづく悩ましい病気だ
次男のように、3歳で自家中毒、7歳でてんかんと誤診され
10歳で脳室内出血でもやもや病という診断名にたどり着いたとき
当時、次男は、3歳まで退行した
それは時間と共に少しずつ前に進んだから、いわゆる他の障がいの中にある知的障がいというのとはまた違う

それでも、病気の無い人とは違うところが多くあって
それが、脳血管障害のために起きた高次脳機能障害というくくりの中にあることだったりする

手術はなんとか無事に済んで、これからは病気を意識しながら自分の躰を守って進んでいこうと言うとき、それでもやはり多くの人とは違和感を感じながらということは多い

患者と家族の会の最初の中心は親だった
子どもが学校や地域で生きていくことをどうにかみんなといられるようにということの動きだ
患者会の運営も、親がしていく

そして30年
この病気の性質として、5歳頃からの子ども発症と30代頃からの大人発症の二峰性がある

大人発症の人にも、子どもの時の自分での違和感があって、ただ病院に行かなかったことで診断が無かった場合と

子どもの頃はほんとに何も問題なく、30代になっていきなり発症したという場合がある

5歳という数字は、0歳からも含まれ、大人というのは30代というのではなく、20代から70代まである

とにかく大人発症と子ども発症の差は大きく
ネットにブログを書く時代になって、大人の人のブログの多くは大人発症ではないかと、もちろん全部ではない

子どもの発症のことは親がブログを書く
その違いは、失語であるなしにかかわらず、言葉を作る、文章を書く、思うことを人に伝えるという能力が落ちることが案外多い
ブログを書くことが難しい…

大人発症の人は、学校に行くことも当然出来ていて、大学に行くことも出来、知的レベルは問題ないことが多い

その人達が患者会に関わってくださるという時代になってきた
役員をしている人も多い

誰だって自分の病気のことは辛い、そしてその辛さも、とりあえずは他人のことではなく自分中心に思う

その自分中心に思うことが患者会の本人全員につながるものではない
同じ病気の、同じ患者会の中での区別を感じることはかなり難しい思いだ

有る人は患者会を担っていく次代の中心は患者本人達だと言う

私は、ある程度会を通して学んできた若い患者の親だと思っている
親だからこそ客観的に見ることが出来る立場
親だからこそ、身体的に会の当日の体調をそれほど心配しないですむ、もちろん風邪を引くこともあるだろう、疲れていることも、頭が痛いことだって有る、それでも、難病のその症状かもしれないという本人の思いとは違うことだ

患者会というのは、難病であっても今の生活が普通に出来ていたら本当は離れていたいような集まりだと思う

それでも役員をしているのは、この病気が昔のことではなく、現在進行形の病気であること
私たちがした辛い思いを、なるべく多くの人に同じ道を歩まずにすむようにと願うこと
それにつきると思う

患者会に永く籍を置いたからと言って、特別何か良いことなど無い、有るとすれば、患者会がらみで他の団体の人、素晴らしい講演での出会い、良いドクターと巡り会えること…

私のように、夫の姉に、「あなたははどうして働かないの?患者会ってお金もらえないんでしょ」なんて言われる始末で…

他の患者会で知った、患者ご本人が全介助ではあっても、頭脳明晰なら、こうして自分の気持ちを誰かに伝えることが出来る
成績が良ければ、特別支援学校には行かないという意思表示とその成績で受験も出来る
その行動力にも拍手を送りながら
知的に問題が無いことの病気が次男の病気と重ね合わせてしまう自分が居ることが情けなくもある
作品名:もやもや病 11 作家名:とことん