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もやもや病 11

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104 小児発症と成人発症

患者会の歴史のある多くは
患者を持つ親の会・・・という所から始まっているのだと思う
もちろんそうじゃない所もあると思う

難病の子どもを持つ親の会
というのは、先天的後天的どちらも、子どもが難病になって困った親たちが情報を求めて動き出した所から始まったのではないかと

子どもが情報を欲しいと思うことは当然のように無いことで、親が一生懸命情報を求めた

途中、子どもは少しずつ大きくなり
思春期にもなり
親は患者本人の思いをわかっていないと思うことがあったにしても、患者会という枠は親が中心になっている

けれど、次男の患者会のように30年を超す歴史が出来た所は
3才の子も36才になったり
10才の子も43才になったり
そして親も年を取ってくる
30才の親も63才・・・

会が続けて運営できたことが良いことだったり、患者会がいつまでも必要な状況だったりすることは思いも色々あるけれど

他の患者会でも、これからは患者本人の主導の集まりも考えなくてはいけないかもしれないという所に来ている

そういう考え方が必要なことはよくわかっている
そんな中で今から書く、こういう問題もあると言うこと

うちの次男の患者会の場合
患者の発症は子どもの時と、30代ぐらいの二峰性があるという
病気が子どもで見つかった場合
もちろん十人十色の病気の症状ということが一番多い問題なのだけれど
病気があったことで、経験値が少なかったり、親に守られてくるばかりで自分で動くことが少ないということもある

血流の場所によっては、知的にレベルが落ちている場合もある

二峰性のもう1つ

病気の発症が30代という場合、中には子どもの頃に小さい症状があったけれど見逃されてしまっていた場合と、子どもの時にはなんともなかったのにいきなり症状が出たという30代というか大人発症も多い

大人発症の軽度な場合は知的にレベルも問題ないことも多いし、今までの経験があって、それを応用することが出来ることもある

簡単に見える大きな違いが
例えばブログを書くとか、パソコンを扱うと言うとき
子ども発症の場合はとても数が少ない・・・代わりに親がブログを書いていたりする

大人発症の場合は、親を頼るより先に自分で情報を求めるし、ブログを書くことも出来る

このとき、大人運営の患者会に疑問を持ったり、自分たちでしたいと思うこともあるようだ

じゃあ、患者会の運営を本人達に任せるというのがどうなのか

思うことがはっきり言えない、誰かの指示に流されてきたような子ども発症と
大人発症の間に思いの違いが出る

親が運営しているときに、これはイヤだとか、親はちっともわかってくれないと思うことが出来ても

患者本人の、その運営が出来る人が中心になると、同じ患者なのにわかっていない、私たちのことを見ていない
と思うような違いが出てくる
患者本人が、子ども発症の辛い学校生活を過ごしてきた気持ちの理解が持てないこともある
自分の周りのことが中心で病気本人の中の違いに思いを致すことが出来る人と出来ない人が居る

大人発症でもいきなり重度という場合は、又患者会は何も頼りにならないことが多く、会員でいるだけということにもなる、これは又問題が違う

患者会を運営するというのは結構なストレスのはずで
ストレスが症状に良くないというときに、これは問題も大きい

親が運営するときの役員に、患者本人が参加することも増えてきている
体力的なこととか、その日の体調で、集まりに欠席する場合があるのも、難病というとき当然のことだったりもする
親に欠席ですと言えばすむことを、中心になって動いているときにそれが出来るかと、大きなストレスになるのではないかと思う

ましてや私たちも手に余るような大きな問題、高次脳機能障害が有る
言葉が見つからなかったり、記憶が曖昧だったり、状況判断が難しい、等々

先日の親の会の情報交換の場で、患者本人の主導のことを考えないといけないかという発言があって
なかなか難しいと思っていた

作品名:もやもや病 11 作家名:とことん