もやもや病 9
87 ネットの功罪
時々、会の人と話をするときネットのことが話題になる
問い合わせの時に、病気のことはネットを見て理解しましたとか、ネットで調べて理解しています、と言われる場合が増えてきたことで
私たち講演会で先生のお話を何回聞いてもこの病気のこと理解するのが難しくて、また新たな情報を聞くこともあって、病気のことを理解しているなどと思っていないのに、まだまだ勉強中なのにと思う
時代の流れで、確かに情報は目に入るようになったけれど、その情報の善し悪しはどうなのかという判断がなければ怖いこともあると思うのだけれど
ネットは、趣味やお遊びという部分での情報収集なら、好きなところ、面白いところ、楽しいところ、気が合うところだけ見ていれば良いことで
でもこと命に関わることだったら、そういうとらえ方ではないものが必要になるだろう
まだ、ネットに病気のことがそれほど無かった時代から、HPがあった
けれど、ネットに病気のことが説明してあっても、それではこの治療はという時、そのネットの所で手術が出来るとかいうものでは無かったように思う
趣味のことなら、間違ったとらえ方をしても、楽しかったから良かったですむこと
けれど、病気の関係のことは、そういう訳にはいかない
病気になってからネットをはじめたという方も多いように聞いている
ネットとはどういうものかということを認識した上での情報収集なら良いけれど、目の前にあるものを丸ごと鵜呑みにすることの危険なことを思う
HPはどなたが作っても作れるもので、その内容がましてや難病という、原因も治療法もはっきり解明されていないという病気ならば、どの方法も間違いではなく、又どの方法も正しくないのかもしれない
ある脳外科の先生は、この手術の術式が良かったということがわかるのは私たち今の脳外科医がみんな死んだ後かもしれない、とおっしゃっていた
それなら、何をしても、しなくても良いのか、手をこまねいていても良いのか、というところは、患者会という情報の集まったところから知ることだと思うのだけれど
カチャカチャとキーボードを打つことで得られる情報は気楽で便利なものだろう、でもそれ以上の情報を求めようとすることも必要なことではないだろうか
私はどの先生にお会いしても、人間性の素晴らしい先生方とお話しできて幸せなことだと思っている
でも、どの先生に手術をして頂くかと言うこと、私は、相談を受けた患者さんのことを一番に考えたいと思う
そういう意味で我が儘でいたいと思っている
私だったら、私の子どもだったら近くても遠くてもここに行きたい、行って欲しい、そう思うことがあるから
どんなに素晴らしい先生でも、症例の多い先生に診ていただきたい、色々な症例の怖いことを経験された先生に手術をして欲しい、そう思うことが大きいから
ネットでの情報がとても豊富なHPに巡り合い、遠い関東から入院するという連絡が来て、私の思っていたところではない病院にたどり着いたというのを聞いた時、驚きも、とまどいも感じる
こんなジレンマを何回思ってきたことか
ネットの功罪という気がする
色々な所を見て、知って、確認して欲しいと思う
情報は待っていても届いてはこない、自分で動き出さないと得ることが出来ないこともある
患者会は必要ないほど正しい情報があふれ、患者会に聞くことなど無くなった時こそ、相談の電話が鳴らない日が来るのだと
必要なことを聞くべき時に聞かずに、その後の困った時に掛かる電話の重いことを、患者さんと共に残念なことだと思っている