もやもや病 7
69 親の性格
子どもが病気になってから笑ったことがないというお母さんがいた
あなたはどうしてそんなに明るい声でお話しできるの?
どうやって気持ちを入れ替えることが出来たの?と聞かれた
きっと私の性格がこんな今の私ってこと
次男が10歳の時、頭に大きなガーゼを貼り付けて入院病棟にいてエレベーターに乗ったら
頭どうしたの?と見知らぬおばあちゃんに聞かれる
脳内出血なんですよ、と答えると
まだ子どもなのにねえ、大変だったねと言ってくれる
入院して父親しか見舞いに来ない次男にとっては他人様の関わりであっても、人と関わることが私にはありがたかった
けれど、ずっと時間が経って、あるお母さんが言う
病院にいると、子どもの頭をじろじろ見ながら、丸坊主になったその頭の傷を見てどうしたの?と聞かれたり
聞かなくてもその頭を見られることが苦痛だった・・・と
病棟にいるとき余所の大学病院は患者の親同士が廊下で話をすることをいやがるところがあると聞いた・・・昔だけど
医師の話題や、看護の話し、病気の内容で、へたに情報交換して欲しくないというのがあったようだ
次男の病気の手術をさかんにしていた患者会では有名だった病院の先生は、入院してくると、同じくらいの年の患者さんが入院しているから話をすると良いよと
わざわざ教えてくれたりして孤独な病棟での時間にどれだけ思いを語り合うことが出来たかと感謝している人も居た
退院して脳外科の前の待合室で呼ばれるのを待つとき、入院中に会ったことがある人が声をかけてくれることがある
お年寄りが多い脳外科でリハビリで、10才の子どもがいれば、こちらの記憶になくても、覚えていてくれる人がいて、久しぶりだねと声をかけてくれたりする
お宅も、○○先生け?・・・なんて声をかけてくれたり
2時間ぐらいは待たなけりゃなんねえべね・・・
黙って待つと長いですよね、なんて言いながら話をすると、次男はお母さんは誰とでもしゃべってる、なんて後で言ったりする
今、新しい大きな病院は個人情報の扱いのためなのか
例えば、数字だけで、脳外科というような科名を掲げないところも多い
その外来の前で待っている人が、あらこの人たちは、○○科に掛かる人たちなのだわと、知られることがイヤな場合もあるのかもしれない
また受付の時にPHSの電話を持つようになって居て、その電話に表示があるまでは院内のどこに居ても良いような、その受診する科の前に縛られるようなこともなくなった病院も多い
だから、例えば子どもの病気でも、同じ先生に掛かるとか、同じ様な病気のお友だちとかと巡り会うチャンスはほとんどない
大きな病院に夫婦で受診するようなときには、もう夫婦単位での会話しか無く
余所の人と話をする場は無い
それがプライバシーが守られていて良いと思う人が多いのかどうかは知らないけれど
今の病院はそういうことがキチンとされているのだと思う
でも、お母さんは知らない人とでもおしゃべりすると次男が言ったような光景はなくなってしまうのだろうと
人と人との会話は、良いことばかりでは無く、聞きたくないこと聞かなければ良かったこともある・・・懲りてしまう人も居るだろう
でも、もしかしたら何かの勇気につながることもあったり、少し先輩の人を見て頑張ろうと思える場合も有るんじゃないかと
子どもが病気になって笑えなくなったお母さんと患者会の電話相談で明るい声と言われているその違いは、こんな経験という中にももしかしたらあるのかもしれない
あなたはどうして明るい声なの?と言われた人が、イヤな感じで言ったのではなく、そのとき、私は今日初めて電話して、あなたの明るい声に励まされましたと言ってくれたことが何より良かったと思ったけれど
そして、大きな病院の時間の中に何を相談したいと言うことでもなく、ちょっとおしゃべりしてから帰ろうかと思ってくれるような、日頃の孤独感などを
ピアサポートの部屋に立ち寄ってくれたなら良いのになあと思うわけで
主治医とのお話だけではなく、病気の子どもを育てた経験のあるお母さんが同じ様な思いを分かち合ってお話しできる場所があるということ活用して欲しいなあと思っている