もやもや病 6
56 知り合いからの電話
たまに、私は患者の友人ですという電話が掛かることがある
こんな時、私は少し身構えてお話を聞いている
この方が本当に患者さんの友人なのか、好意を持ってのことなのか、もしも、もしも、興味本位であったら困る場合もある
それとなくお話を伺いながら、この時点では大丈夫かと思いながら話を続ける事になる
少し前には、私は職場の上司ですという方の電話があった
独身の従業員さんが、病気と診断されたけれど、自分では問い合わせをしないので私が電話をしました…と言う電話
職場の上司という方が情報を得ることで、患者さんの職を追うようなことになっても困る
情報が欲しい、力になりたいとお話しされる方に、本人にしかお話ししませんということも又難しいこともあると思う
集中力、判断力が今の時点で病気に負けていたら、その方が欲しい情報も入らないことにもなるかもしれない
ある日の電話も又、友人という方で
定年になったというお年で、大学の同窓会をした後の2次会で、元気がない友人に、娘さんが難病でと話を聞かされたそうで
家に帰って、患者会があることを調べて連絡したのですが、そういう人から電話はなかったでしょうか?ということだった
最初は病気のことをいろいろ聞いていましたが、個人差という壁がありますから、その方が納得したかどうか、私もお父さんにお話しするような言い方ではなかったと思う
元気がなかったそのお父さんに、患者会に問い合わせをしたかどうかを尋ねるよりも、病気のことを忘れたように、元気かい?と呑み会にでも誘って下さることの方が私は良いのではないかと思う
お父さんも辛い・・・
20歳を過ぎての突然の発症で、半身にマヒが残った娘さんと毎日生活しながら、お父さんの孤独を思う
だいじな娘さんのことを心配することと同時に、こんなはずではなかったと、この先は、孫を見るのを楽しみにする普通のおじいさんになるはずだったのにという、そんな思いが聞こえるような気がする
奥さんはきっと、娘さんに気がいっているでしょう、男親は、ましてやこの年代は、メソメソ泣くことも出来ない
そんな中で、自分の男同士の友だちの連絡が、患者会の話になるのも辛いものかもしれない
こんな時にはその日ぐらいは忘れて楽しむことだって必要なのだと思うから
私はよく姉からこの本が面白いと本を貰うことがあるが、それでも長いこと積ん読になるのはよくあることで
自分で読もうと思うきっかけがなかったら目の前に本があっても読むことにつながらないことあるもので・・・
もっと早く患者会があることを知っていたらと思うようなことが有るか無いか、それほどの情報を差し上げることが出来るかどうかわからない
友人のお気持ちとしては、ここに患者会があるから、というその情報を教えてあげられただけで良いのではないかと思っている
患者さんも、お父さんもお母さんも、そのご兄弟も、結構寂しい思いをしているものだろう、そんな時、遠巻きに友人が自分を心配していることがつながっていたら、きっとその友人の優しい気持ちも何かのパワーになるのではないかと思う
人はひとりぽっちでは生きていきにくいのだから