柿の木の秘密
この物語はフィクションであり、登場する人物、場面、設定等はすべて作者の創作であります。ご了承願います。
また、時代的には現代でありますが、昔のお話と混同するかも知れませんが、それも作者の意図だとお考え下さい。
隣の老人
齢二十五歳になる須藤武明青年は、数年前に大学を卒業し、一度証券会社へ就職したが、一年で辞めてしまった。再就職のための活動に費やした期間は三か月程度、すぐに就職活動をやめてしまった。
「もう疲れた」
というのが、彼の言い分で、何に疲れたのか本人の口から語られることはなかった。
ただ、世の中に失望したから、何もしたくないと言って生きられるほど、この世は甘くないのは分かっている。本人も分かっているのだろう。
「やりたくないのを無理強いしても、すぐに挫折するのは分かっている。だから冷却期間が必要なんだ」
と、もっともらしい言い訳をしながら、徒然に日々を過ごしてきた。
無為に過ごすという日々が彼には新鮮で、それまで毎日、
「何かの成果を残さなければいけない」
と考えていた日々がまるで夢のようだった。
その頃であれば、残すはずのものが何もなかった一日があれば、自己嫌悪に苛まれ、数日間、せっかくの日々を棒に振ってしまうほどだった。
たった一日の後悔が、数日間に及んでしまうような性格を、自分で呪いながら、後戻りするようなことがあれば、それは自分の致命傷になりかねないことも分かっていたつもりだった。
大学卒業までは、何とか自分の気持ちを維持できた。趣味で書いていた詩があったおかげで、その日一日何も成果がない日であっても、詩を一篇でも書き上げることで、その成果を満たしていた。だから、気持ちを維持することができたのだ。
しかし、就職してしまうと、自分が考えていたほど、世の中が甘くないことを思い知らされた。社会に出ることが、自分を理不尽に追い込むことになるなどとまさか思ってもいなかったので。毎日がこのまま後戻りすることになるのではないかと思い、不安に苛まれていた。
それを、会社の上司は他の人が罹る「五月病」と同じようなものだと思い、
「まだ、お前は学生気分が抜けていないんじゃないんか?」
と言って、諫める言い方をする。
「そんなことはありません」
とい言い訳をする気は、武明にはサラサラなかった。言い訳をしても自分が不利になるだけなのは分かっていた詩、言い訳をすること自体、自己嫌悪への第一歩だということが分かっていたからだ。
誰にも何も口答えをしないようになると、仕事以外で誰とも交流のない自分が、次第に孤立してくるのが分かった。
――孤立は、後戻りだ――
ということに気づいてくると、もう仕事の話ですら、話をする気が失せてきた。
そうなってしまうと、孤立を通り越して、仕事がうまくいくはずもない。問題が発生すると、上司は皆、
「須藤が悪いんだ。あいつが大切なことの報告を怠るからこんなことになるんだ」
武明だけが悪いわけではないのに、
「奴なら言い訳をしないだろう。もししたとすれば、こっちにはいくらでも奴への文句はあるんだ」
と思っている相手の前で、わざわざ飛んで火にいる夏の虫になる必要もなかった。要するに武明は四面楚歌の状態だったのだ。
しかし、それも武明が自分で蒔いた種であることに違いはない。どんな言い訳も通用しないことは分かっていた。後はいつ会社を辞めるかということだけになっていた。
「奴が辞める気配を見せなければ、こっちにも考えがある」
と、彼の上司連中が相談していたちょうどその頃、
「これをお納めください」
と、辞表を片手に、部長の前に武明は歩み出ていた。
部長は、武明と直属上司とのわだかまりは、ある程度は知っているつもりだったので、武明を敢えて引き留めることはしなかった。
「分かった。正式には少し待ってくれ」
としか言えなかったのだ。
しかし、部長が辞表を受け取った時点で、武明の退職は確定したと言っても過言ではないだろう。少しでも引き留めがあったのであれば、少しは違ったかも知れないが、武明が辞めることで会社のすべてがうまく回転するのだから、引き留める理由は、会社側には存在しない。
「それにしても、よく一年もったものだな」
辞表を部長が受け取ったのを確認した直属の上司は、皆そう思ったことだろう。こちらから動くことをしなくてよかったという思いと、気に入らない奴を追い出すという行為に、普段の自分たちが抱えているストレスを解消させることができると思っていただけに、残念な気もしていた。そんな複雑な心境を抱きながら、表向きにはホッとした表情をする彼らは、まわりから見れば、異様な雰囲気に見えたに違いない。
辞表を出してしまうと、すでに他人事に思える武明にとって、今まで当事者だったことで見えなかった上司連中のいやらしい部分を垣間見ると、
「俺には、こんなところは似合わない」
と思ったに違いない。
だが、この時まだ武明には、自分が似合わないのはこの会社なのか、それとも、この会社を含んだ会社組織というものなのかというのが分かっていなかったのだ。当然のごとく会社を辞めることで今までの自分の生活が変わってしまうことによりストレスが溜まってしまうことは分かっていた。それを解消するには、また新たに働ける場所を探すのが急務であったのだ。
最初に就職した会社は、大学時代、最悪の成績だった武明にしては、それなりに名の通った一流企業と言われるような証券会社に就職できたこともあって、辞めたとしても、再就職に困ることはないとタカをくくっていた。
実際に選り好みをしなければ、就職もわりかし早く決まったに違いなかった。しかし、
「一度退職しているので、今度は間違いのないところに」
という思いが強すぎて、どうしても慎重になっていた。
それも無理のないことなのだろうが、就職活動というもの、タイミングとチャンスを逃すと、致命傷になってしまう。
一か月、二か月と選り好みをしている間は自分にも自信があった。しかし。次第に条件が悪くなってくるのを身に染みて感じると、それまでの就職活動に対しての熱意が一気に冷めてしまった。それは本当に急激に冷めたものであって、たった一日で、
「もう、就職なんかしたくない」
と言い出したのだ。
それを武明は、自分の中にある自己嫌悪が影響していると思った。実は武明には躁鬱症の気があるのだが、その時武明は、躁鬱症の自覚がなかったのである。
自己嫌悪に苛まれている思いは強かった。その思いが強いせいで、躁鬱症の感覚が隠れてしまっていたのだ。自己嫌悪と躁鬱症は、背中合わせでありながら、紙一重でもある。まるで長所と短所のようだということに気づくのは、それからかなりしてからのことだった。
武明は、その頃両親が交通事故で亡くなった。家族とは大学進学とともに離れて暮らしていたのだが、急な事故だったので、遺書のようなものも存在せず、法定相続により、武明がその遺産をそのまま相続することになった。しかも、保険金もかなりの額があり、お金には当分困ることはなかった。
また、時代的には現代でありますが、昔のお話と混同するかも知れませんが、それも作者の意図だとお考え下さい。
隣の老人
齢二十五歳になる須藤武明青年は、数年前に大学を卒業し、一度証券会社へ就職したが、一年で辞めてしまった。再就職のための活動に費やした期間は三か月程度、すぐに就職活動をやめてしまった。
「もう疲れた」
というのが、彼の言い分で、何に疲れたのか本人の口から語られることはなかった。
ただ、世の中に失望したから、何もしたくないと言って生きられるほど、この世は甘くないのは分かっている。本人も分かっているのだろう。
「やりたくないのを無理強いしても、すぐに挫折するのは分かっている。だから冷却期間が必要なんだ」
と、もっともらしい言い訳をしながら、徒然に日々を過ごしてきた。
無為に過ごすという日々が彼には新鮮で、それまで毎日、
「何かの成果を残さなければいけない」
と考えていた日々がまるで夢のようだった。
その頃であれば、残すはずのものが何もなかった一日があれば、自己嫌悪に苛まれ、数日間、せっかくの日々を棒に振ってしまうほどだった。
たった一日の後悔が、数日間に及んでしまうような性格を、自分で呪いながら、後戻りするようなことがあれば、それは自分の致命傷になりかねないことも分かっていたつもりだった。
大学卒業までは、何とか自分の気持ちを維持できた。趣味で書いていた詩があったおかげで、その日一日何も成果がない日であっても、詩を一篇でも書き上げることで、その成果を満たしていた。だから、気持ちを維持することができたのだ。
しかし、就職してしまうと、自分が考えていたほど、世の中が甘くないことを思い知らされた。社会に出ることが、自分を理不尽に追い込むことになるなどとまさか思ってもいなかったので。毎日がこのまま後戻りすることになるのではないかと思い、不安に苛まれていた。
それを、会社の上司は他の人が罹る「五月病」と同じようなものだと思い、
「まだ、お前は学生気分が抜けていないんじゃないんか?」
と言って、諫める言い方をする。
「そんなことはありません」
とい言い訳をする気は、武明にはサラサラなかった。言い訳をしても自分が不利になるだけなのは分かっていた詩、言い訳をすること自体、自己嫌悪への第一歩だということが分かっていたからだ。
誰にも何も口答えをしないようになると、仕事以外で誰とも交流のない自分が、次第に孤立してくるのが分かった。
――孤立は、後戻りだ――
ということに気づいてくると、もう仕事の話ですら、話をする気が失せてきた。
そうなってしまうと、孤立を通り越して、仕事がうまくいくはずもない。問題が発生すると、上司は皆、
「須藤が悪いんだ。あいつが大切なことの報告を怠るからこんなことになるんだ」
武明だけが悪いわけではないのに、
「奴なら言い訳をしないだろう。もししたとすれば、こっちにはいくらでも奴への文句はあるんだ」
と思っている相手の前で、わざわざ飛んで火にいる夏の虫になる必要もなかった。要するに武明は四面楚歌の状態だったのだ。
しかし、それも武明が自分で蒔いた種であることに違いはない。どんな言い訳も通用しないことは分かっていた。後はいつ会社を辞めるかということだけになっていた。
「奴が辞める気配を見せなければ、こっちにも考えがある」
と、彼の上司連中が相談していたちょうどその頃、
「これをお納めください」
と、辞表を片手に、部長の前に武明は歩み出ていた。
部長は、武明と直属上司とのわだかまりは、ある程度は知っているつもりだったので、武明を敢えて引き留めることはしなかった。
「分かった。正式には少し待ってくれ」
としか言えなかったのだ。
しかし、部長が辞表を受け取った時点で、武明の退職は確定したと言っても過言ではないだろう。少しでも引き留めがあったのであれば、少しは違ったかも知れないが、武明が辞めることで会社のすべてがうまく回転するのだから、引き留める理由は、会社側には存在しない。
「それにしても、よく一年もったものだな」
辞表を部長が受け取ったのを確認した直属の上司は、皆そう思ったことだろう。こちらから動くことをしなくてよかったという思いと、気に入らない奴を追い出すという行為に、普段の自分たちが抱えているストレスを解消させることができると思っていただけに、残念な気もしていた。そんな複雑な心境を抱きながら、表向きにはホッとした表情をする彼らは、まわりから見れば、異様な雰囲気に見えたに違いない。
辞表を出してしまうと、すでに他人事に思える武明にとって、今まで当事者だったことで見えなかった上司連中のいやらしい部分を垣間見ると、
「俺には、こんなところは似合わない」
と思ったに違いない。
だが、この時まだ武明には、自分が似合わないのはこの会社なのか、それとも、この会社を含んだ会社組織というものなのかというのが分かっていなかったのだ。当然のごとく会社を辞めることで今までの自分の生活が変わってしまうことによりストレスが溜まってしまうことは分かっていた。それを解消するには、また新たに働ける場所を探すのが急務であったのだ。
最初に就職した会社は、大学時代、最悪の成績だった武明にしては、それなりに名の通った一流企業と言われるような証券会社に就職できたこともあって、辞めたとしても、再就職に困ることはないとタカをくくっていた。
実際に選り好みをしなければ、就職もわりかし早く決まったに違いなかった。しかし、
「一度退職しているので、今度は間違いのないところに」
という思いが強すぎて、どうしても慎重になっていた。
それも無理のないことなのだろうが、就職活動というもの、タイミングとチャンスを逃すと、致命傷になってしまう。
一か月、二か月と選り好みをしている間は自分にも自信があった。しかし。次第に条件が悪くなってくるのを身に染みて感じると、それまでの就職活動に対しての熱意が一気に冷めてしまった。それは本当に急激に冷めたものであって、たった一日で、
「もう、就職なんかしたくない」
と言い出したのだ。
それを武明は、自分の中にある自己嫌悪が影響していると思った。実は武明には躁鬱症の気があるのだが、その時武明は、躁鬱症の自覚がなかったのである。
自己嫌悪に苛まれている思いは強かった。その思いが強いせいで、躁鬱症の感覚が隠れてしまっていたのだ。自己嫌悪と躁鬱症は、背中合わせでありながら、紙一重でもある。まるで長所と短所のようだということに気づくのは、それからかなりしてからのことだった。
武明は、その頃両親が交通事故で亡くなった。家族とは大学進学とともに離れて暮らしていたのだが、急な事故だったので、遺書のようなものも存在せず、法定相続により、武明がその遺産をそのまま相続することになった。しかも、保険金もかなりの額があり、お金には当分困ることはなかった。