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短編集5

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 そう、長かったという思いは疑問としてでしか記憶に残っていないのだ。
 清水とはそれから別の話になった。
 本当にさっきしていた話が本当なのかと思うほど明るく、まるで別人に見える清水に対し、ターニングポイントの話はもはやタブーであるかのように思われた。たぶんその時の私の表情も清水同様、先ほどとはまったく違っているに違いない。
 話が終わる頃、コーヒーは完全に冷え切っていた。これが当たり前といえば当たり前なのだが、却って違和感を覚えるのはなぜだろう? タブーだと思っていながら、頭から離れようとしないターニングポイントの話が影響しているからかも知れない。
「今日は楽しかったよ。またゆっくり話そう」
 そう言ってくれた清水の顔は晴々としていた。
「目からうろこが落ちた」とでも言うべきか、つっかえていたものが取れたような表情に見える。
 私はというと、
――今日という日が、なぜか特別な日のような気がする――
 という思いが強く、踵を返して歩いていく清水の姿を見ながら、そのだんだん小さくなっていく後ろ姿をずっと目で追っていた。
 夕方の喧騒とした雰囲気から聞こえてくるざわついた音を最初こそ感じていたが、目で追っていくうちに喧騒とした音が、耳鳴りのようなキーンという音に集約され、そのうち気にならなくなっていった。
 それだからであろうか?
 歩き去っていく清水の靴音が乾いた空気に反響しているのか、遠ざかっているはずなのに、次第に大きく聞こえてくるのである。
 錯覚には違いなかった。その日の私がどうかしているのである。
 清水がビルの角を右に曲がるまで、じっと見つめていたが、その間まったく振り向くことのなかった清水だった。
――もし振り向いていたらどんなリアクションを取っていただろう?
 そんな思いが頭にあった。きっと笑って手を振っていたに違いない。
 しかし……。
 その時の自分の表情を想像することは、どうしてもできなかった。目を瞑っても思い浮かばないのである。
 振り向かないで行ってくれてホッとしている。
 これが本音だろう。
 清水が曲がった角を左に曲がることになる。曲がってそのまま少し行けば駅があるからだ。
 ゆっくりと歩き始めた。
 自分の靴音を耳の奥で感じていた。その音は乾いた音で、さっきの清水の靴音に似ているが、明らかに違うものだ。
――今までに感じたことなかったな――
 革靴の音など、今まではどれもこれも同じだと思っていた。それをはっきりとした違いと感じるのは、まわりの喧騒としている音が、耳鳴りとして集約されたからかも知れないと感じるからだ。
「おや?」
 思わず声になって出てしまったのは、靴音に変化を感じたからであろうか?
 最初に感じた「明らかに違う音」と思っていた靴音、清水のそれとは違っていたはずと思っていたことが嘘のようだ。
 まわりのビルの壁に反響して、音が次第に大きくなっていく。下手をすれば二重にも聞こえてきそうな靴音に足元を見る。その足元から伸びている数本の細長い影、薄暗くであるが、適当な距離に点在している街灯がもたらしたものである。
 歩くたびに揺らめくような細長い影、照らし出すほどの明るさがないため、とても不気味な感じがする。
 歩きながら揺らめいているのを見ていたが、思い立ったように立ち止まってみた。
 すると、聞こえていた靴音が、最後の一回こだまを残し、遠くへと消えていく。次第にトーンが高くなり、乾いた空気を貫いているかのようだ。
 だが先ほどまで揺れていた影が、歩みの止まった今でも同じように揺れて見えるのは不思議だった。錯覚だろうと、目を閉じたり擦ってみたが、状況は変わらなかった。
 ビルの谷間に吹きすさぶ風を先ほどまで感じていたが、今はなぜかそれも止んでいる。
それにすぐに気付いた自分は不思議なくらいに落ち着いていた。
 薄気味悪さは感じている。却っていろいろ考えている方が、気が紛れて薄気味悪さも感じないのかも知れない。
「おや?」
 もう一度、声に出してしまった。声が出たというよりも、出してしまったと言った方が正解かも知れない。
 さっきまで目の前に近づいてきていたはずの、曲がろうとしている角のあるあたりが、さっきより遠く感じられるのかなぜなのだろう?
 真っ暗な中に差し込んできた角の明かりが、今度はさらに明るく見える。それだけ今いるところの街灯を薄暗く感じる証拠なのかも知れない。
――明るいからなのかな?
 遠く感じるのは明るいからではと思い込ませようとしたが、それでは説明がつかない。それは自分でも分かっているつもりだ。
 角の方をじっと見つめている。
 見れば見るほど遠くに感じられ、瞬きをする合間にさえどんどん遠くなっていく。
 もうすでに充血しているであろう目は、その一点を捉えて放さないのだ。
 金縛りに遭っていたのかも知れない。固まってしまっていた身体が急に軽くなり、首や肩に入っていた余分な力が抜けていくのを感じた。ゆっくり後ろを振り返る。
――おや?
 今度は声になりそうでならなかった。
 軽くなった足が勝手に動いている。振り返った後ろを見ていたはずなのに、まだ前を向いているような気になってしまうのは、今まで歩いてきた場所が目的までのちょうど中間に位置しているからに思えてくるからだ。
 思わずその場で一回転してしまった。そのためであろうか、今自分がどこから来て、どっちに行こうとしているのか、分からなくなってしまった。錯覚がもたらしたものに違いないが、必要以上に不気味な思いが私を襲う。先ほどまで感じなかったビル風を急に感じるようになったのは皮肉なことだった。
――私はどっちから来てどっちに行こうとしたのだろう?
 そんな思いが頭を掠めた。それが昔感じたターニングポイントのようなものだと気付くまでにしばらく時間が掛かったのは、その時の光景とあまりにも違いがあったからかも知れない。
 かたやビルの谷間の閉鎖的な空間、かたや田んぼのあぜ道のようなまわりに遮るものの何もない解放された空間……。しかし、環境の違いこそあれ、遭遇した感覚にほとんど相違ない。何よりも頬を打つ風の冷たさだけは同じもののように感じられる。最初に感じたターニングポイントで感覚として覚えているのは、風の冷たさだけだったからである。
――そういえば、子供の頃、あの後どうしたっけ?
 前も後ろも分からなくなり、どっちに行けばいいか迷ってしまい、一歩踏み出すのがこれほど怖いものだと思わなかったところまでは記憶にある。しかし、そこから肝心なところの記憶がはっきりとしない。はっきり覚えているのが、その後に何度か同じような夢を見て、その時にそれ以降がどうなったかというのを「怖い夢」として覚えているのは皮肉なことだった。
 夢での続き……、それはすぐに終わるものだった。
 とりあえず、どちらかに足を踏み出す。恐ろしい運命が待ち構えていそうなのを感じながら、たぶんどっちに行っても同じではないかという思いを抱きながら、どちらかに足を踏み出す。
作品名:短編集5 作家名:森本晃次