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短編集5

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 しかしこの安川小次郎という作家の本に関しては、そういう節目のようなところがまったくないのだ。一気に読み込んでしまえるということは、自分が本の世界に入らないとできないことであって、確かに読み終わったあとに内容を忘れてしまっていたが、少なくとも読み終わった瞬間だけ、しっかり繋がったストーリーに感動し、自分の中で納得もしていた。
 読み終わったあとに表紙を上にして、表紙のデザインを見ながら『ミラー・コネクション』というタイトルを静かに見つめていると、まるで本の世界から帰ってきたような錯覚に一瞬襲われもした。
 緊張からか、汗を掻いていて気持ち悪い。
 尿意を感じたのはその時だった。
 ごく自然に席を立ち、店の奥にあるトイレへと向かった。途中いくつか客席を通っていくが、またしても自分の噂をされているような気がしてならない。
 いつの間にか客が増えていて、それだけでも時間の経過を私に納得させてくれる。
 トイレに入ると思ったより暗かった。
 店内が明るすぎるのには違いないが、そのわりにトイレの明かりが暗すぎる。
 何となくボケて見えるのは気のせいだろうか? 用を足し、鏡の前に立ってみると、自分の顔がはっきり写っていない。
――まるで若返ったようだ――
 そういえば、最近学生時代のことをよく思い出す。それも高校時代の少し暗かった頃のことだ。いつも下を向いて歩いていて、どちらかというと鏡を見ることなどほとんどなかった方である。
 鏡の中の私は、ほとんど忘れかけていたはずの高校時代の私であるという自覚がある。きっとかすかにしか覚えていないと思っていたのは、忘れてしまいたいという意識が働くのか、却って鮮明に覚えているものなのかも知れない。
「あれ?」
 最初、気がつかなかったが、よく考えれば鏡の中に写った自分は私から見て左側の腕を使っていたのではないか?
「そんなばかな」
 思わず顔を洗い、頭を冷やそうと試みる。
 しかし、ハンカチを持つ手はやはり左手だった。
 鏡の中の私が微笑みかけているように見えるのは錯覚だろうか?
 じっと見つめていると目の奥が見えてくるようであった。
「うわっ、見てはいけない」
 叫んだが、もう遅かった、しっかりと見つめられた目はこちらを捉え離さない。もちろん、写っているのは自分なので、金縛りにあったかのように自分の視線も相手を捕らえて離さないのだ。
「ススキの穂が見える」
 それはこの間常連の人の目の奥に見えたものと同じものである。
――それはきっと私の目の奥を見つめているのだ――
 相手が誰であれ、目の前にいる人の目の奥を覗くということは、自分の目の奥を覗くことになるのだ。
――鏡?
 相手を通して鏡を見ているように自分の目の奥を覗いているのだ。じゃあ、自分が自分を写している鏡とはいったい……?
 ひょっとして鏡の奥に写っている自分、これこそが本当の自分ではないのだろうか? それは正真正銘、目の奥にススキの穂を持っているようなおおらかな自分であり、そんな理想とするような自分を鏡の中に押し込める私は何なのだろう?
――『ミラー・コネクション』の世界?
 一瞬、本の表紙が頭に浮かんできた。
 噂話が好きな人があまりにも人の裏話を知っていて、それは相手が自分を見る時に、鏡を見ている感覚で気を許すために、無意識に私に向かって愚痴や本音を心から漏らすようになる。鏡にはどうやらそういう魔力があるようで、人に隠そうとすればするほど、鏡に写る相手に語りかけるもののようである。それが人間としての本能なのだろう。
 それを知ってしまった私も黙っていられるほどの聖人君子でもなく、一度人に話してしまうと、病みつきになるのも私の人間としての本能なのかも知れない。
 どうやら鏡の中の私はそれを許さなかったようだ。
 しかし、このことを知っているのは、他には誰もいないはずである……。

「おい、こんなところに本が置いてあるぞ」
 店が閉まって店員がトイレの掃除に来たようだ。
「ああ、安川小次郎の『ミラー・コネクション』だな。この作家は謎なんだってな」
「うん、どこにも姿を現すこともないらしい」
「ここに写真があるだろう?」
「うん、なぜか写真だけあるんだよな」
「この写真なんだけど、どこかで見たことあるんだよね。常連さんかな?」
「どれどれ? 確かに言われてみれば。でも、常連にはいない気がするよ」
「そうだね」
 そう言って、本は閉じられた。
 安川小次郎が果たして誰なのか?
 それは鏡の中の私しか知らないことだ……。

                (  完  )


作品名:短編集5 作家名:森本晃次