短編集5
ここから先は言葉などいらない。泰子は私をベッドルームへと導き、自分から服を脱ごうとしていたが、私はそれを制して抱きしめる。服を脱がせるのは男の役目と勝手に決めていたからだ。
逆らうこともなく私の言いなりになっている泰子に女性を感じながら、私の男としての部分が最高潮に達し、そこから先はほとんど覚えていない。
気が付けば、心地よい気だるさの元、身体にあたるシーツのザラザラを全身に感じながら、目を覚ました。なぜ肝心な部分を覚えていないのか忌々しさを感じたが、感触だけでも覚えている身体を動かすことがしばらくもったいなかった。
部屋は真っ暗である。
しばらくすれば目が慣れてきて、まわりの状態が分かってくるだろうと思ったが、なぜか目が慣れてこない。どこまで行っても続く闇の中に紛れ込んでしまったようで、ベッドから出るに出られない。
一歩でも足を踏み出せば谷底に転落するような断崖絶壁であっても、この暗闇では分からない。絶対にそうではないと言い切れない気持ちのどこかに、今いる場所が泰子の部屋ではないのでは? と感じているのかも知れない。
目を瞑っても開けていてもまったく変わらない。しかし目を瞑れば瞼に残った残像が浮かんでくるのが分かる。
エレガンスホテル屋上のビアガーデンの光景、山を見つめている一人の女性、それが泰子であることはかすかに残っている記憶が自分に言い聞かせる。
今日は一体いつなんだろう?
エレベーターを降りると想像した提灯行列はなく、真っ暗なビアガーデン。そこに佇む一人に女性。彼女の表情を垣間見るが、黒い影が顔面を覆いハッキリとしない。
それもハッキリと記憶の中にあるのだが、あまり鮮明ではないのは、女性の顔が浮かんでこないからだ。
泰子には間違いない。
心の中で言い聞かせても、その根拠はどこにもない。本人が名乗ったわけでもなければ私が確認したわけではない。それこそ夢の中の出来事のようだ。
では、今の私は一体どこにいるのだろう?
真っ暗なビアガーデンが夢であるなら、今ここでこうしている私の身体にクッキリと残った女体の滑らかな感覚は何なのだろう。それこそ一歩踏み出せば断崖絶壁、そんな感じを受けても仕方がない気させしてきた。
身体にあたるシーツのザラザラ感が次第に薄れてくる。
考えることすら億劫になるほど、身体に残った気だるい心地よさが感覚を麻痺させる。
――またしても夢心地に誘われているようだ――
今度こそ深い眠りに落ちていく自分を感じることができる。私は本当に目が覚めるのだろうか? 雪山で遭難した時など、よく「眠ってはいかん」と言われる。今までに感じたことのないような心地よい睡魔に襲われている今、かすかに残った自分の意識が同じことを叫んでいる。
しかし深い眠りに落ちていく自分を止めることはできない。自分で選んだ眠りだったからだ。
意識が次第に遠のいていく。
身体を目いっぱい大きく開いてみた。指先が痺れてくる前にベッドの中で大きく開くとそこに当たるもの、それはすでに冷たくなっていた。
冷たく硬いもの、さっきまで火照っていた快感を思い出させるものなのだが、もう二度と私にその快感を与えてくれることはない。
一瞬で事足りた。声を立てる暇すら与えなかったのは私がうまかったというよりも、彼女自身がすべての覚悟をしていたからなのかも知れない。人間、覚悟さえ固まれば怖いものはないというが、まさしくその通りだ。
「君を一人で逝かせはしない」
痺れが全身を駆け巡り思考能力が低下し始めた。
私たちは出会うべくして出会ったのだ。まさか自分のような人間がいるとは思わなかった。しかもこんなに近くに。同じように悩み、それでもどうすることもできなかった。
出会ったことを後悔などしない。このあたりが潮時なのだ。これで鬱状態から解放される。最高の鬱状態から……。
苦しみもないまま意識だけが遠のいていった……。
「この二人が知り合いだったとはね」
「吉田晴彦。この間まで付き合っていた女性が行方不明になっている。事情を聞こうとしていた矢先だったんだが」
「こっちは森脇泰子。彼女にしても同じだな。付き合っていた男性が失踪している」
「付き合っていた男にもう一人彼女がいたことを知っていたかい?」
「いや、じゃあ、三角関係だったのかな?」
「それが不思議なんだ。近くの喫茶店でアルバイトをしている女性なんだが、彼女は何度か森脇泰子の部屋を訪れているらしい。近所で聞き込んだんだけどね」
「それで?」
「どうも怪しい仲じゃないかって話もあったらしいよ。それでどうも、泰子が怖くなって泰子の男になびいたんじゃないかって噂もあるくらいだから」
二人の男の会話はもちろん私には分からない。しかし意識が遠のく中で分かっていたことだった。
二人が発見された場所、そこはエレガントホテルのツインルームだったのだ……。
( 完 )