魂の記憶
第一章 捨てられない
世の中には、整理整頓がなかなかうまくできずに悩んでいる人も多い。整理整頓のできない人は、
――なぜ、整理整頓ができないのか?
ということを自覚していないだろう。
自覚しようという気持ちはあっても、その理由が様々考えられることで、どれが真相に一番近いのかということに辿り着くには、かなりの時間と労力が必要であろう。そんな苦労を重ねてまで理由を探ろうとは思わない。そこまで思えるくらいなら、子供の頃に、もう少し考えていたことだろう。
――整理整頓ができない理由は、意外と想像を遥かに超える何かが存在しているからなのかも知れない――
そう思うことで必要以上の苦労をすることを否定する理由にしていたのだ。
坂本由紀子は、整理整頓ができない。だが、悩んでいたのは、整理整頓ができないということよりも、その理由に対しての方が強いのだ。
――私は、モノが捨てられない――
という理由だった。
モノが捨てられないから、必要なものであっても、不要なものであっても、たまってしまうのだ。
「分別がつかないことが、整理整頓できないということで、その結果、モノが捨てられないという理屈も成り立つのだから、整理整頓ができない理由に、モノを捨てられないという理屈を持ってくるのは、おかしいのではないか?」
と考えることもできる。
「それこそ、頭の中が整理できていない証拠だ」
とも言えることで、整理整頓できない人の理由に、
――モノを捨てられない――
と思っている人は多いことだろう。それ以外の理由がある人には、整理整頓ができないことと、その理由の因果関係を結びつけることが難しいのかも知れない。
今年、短大を卒業し、商社のOLとなった由紀子は、モノを捨てられないという意識をなるべく持たないようにしようと思っていた。過剰に意識してしまうと、他の仕事にまで影響すると思ったからで、その認識が功を奏したのか、上司からの評価も悪いものではなかった。
由紀子は短大時代からなぜか男性にモテた。理由についてあまり考えたことはなかったが、付き合っている人と別れることになっても、すぐに違う人から求愛されて、また新しい彼氏ができていた。
「由紀子は、いつも違う彼氏を連れている」
という目で見られることで、
「男を手玉に取っている」
と思われていたのだが、実際はその逆だった。
由紀子の方から男性を振ることはなく、主導縁は絶えず男性側にあった。男性としては扱いやすい女性であるはずなのに、急に男性の方から別れを切り出されるのが、今までのパターンだった。
――どうしてなのかしら?
急に襲ってくるものだから、予想はしていたはずなのに、疑問に感じることはいつも同じだった。
――一度、自分の方から男性を振ってみたい――
などというう発想は生まれてこない。
――そんなもったいないこと、できるはずがない――
と思っているからだ。いつも控えめで、一歩下がったところから男性を見ているはずなのに、どこが不満なのか分からない。
「どうして別れなければいけないの?」
と、自分を振った男性に聞いても、相手はハッキリと答えてくれない。皆、どこか漠然としたところで、由紀子に対して不満が募っていたのかも知れない。
――あんまりたくさんありすぎるのかしら?
と感じたが、最初に疑問に感じたことが枝葉をつけて広がっていったという発想も生まれてきた。その証拠に、相手が別れを感じ始めた時期を、別れを告げられて振り返った時に感じることができるからだ。本当はもっと前に気づいていたら、別れを止められたわけではないが、少なくとも同じパターンを繰り返すことはないだろうと感じていた。
だが、それよりも不思議なことは、付き合っていた男性と別れてからすぐに、いつも他の男性が告白してくる。まるで別れるのを待っていたかのようだが、男性はそんなに簡単に、失恋した相手に告白などできるものなのだろうか?
――少なくとも、私が男性の立場なら、そんなことはできない――
と感じるに違いなかった。
由紀子に言い寄ってくる男性は、本当は由紀子の好みのタイプの男性ではない。どちらかというと、敬遠したいと思っている相手なのだが、
――せっかく勇気をもって告白してくれたんだから、失礼なことはできない――
と戸惑いながら、告白してきた男性に対し受け答えをしていたが、それが相手には、謙虚な姿勢に見えたのだろう。いつも相手は喜んでいた。
しかし実際には、相手のことをそれほど好きになっているわけではなく、戸惑いは、
――好きな相手に告白されたわけではなく、複雑な心境だ――
と思ったことからのリアクションだった。
喜んでいるわけではないのに、相手からは謙虚な姿勢だと思われて、余計に相手に好感を与えてしまった。好きな人に与える好感ならいいのだが、そうでないのだから、相手の勘違いに油を注ぐようなものだ。
お付き合いもぎこちないものだった。それでも一生懸命に尽くしてくれようとしている相手に対し、次第に心を開いてくる。遅ればせながら、相手の誠意を感じることができるようになると、
――だんだん、この人のことを好きになれるような気がするわ――
と感じてくる。
そうなると、女性独特の本能からか、相手をいとおしく感じられるようになってくる。この思いが、相手に対して自分が心を開いたことになり、やっと、二人は恋愛のスタートラインに立つことができるようになったのだ。
しかし、やっと由紀子が彼に追いついたかと思うと、今度は男性の方が冷めてくる。
いきなりの別れ話は青天の霹靂で、
「えっ、どうしてなの?」
という言葉しか出てこない。
相手が先に梯子を使って屋上に昇り、
「上がっておいで」
と、優しく手を差し伸べてくれて、戸惑いながらも、彼と同じ屋上に立つことができたと満足していると、いつの間にか相手は下に降りていて、梯子も外され、別れを告げられる。
最初、上から見下ろしてくれた彼の優しそうな顔が、下から見上げる時は、笑みを浮かべてはいるが、その表情に優しさは感じられない。どこか戸惑いのあるような表情なのだが、一番感じられるのは、
――何を考えているのか分からない――
という思いだった。
その思いが一番怖いのだと気が付いた時、今と同じような表情を、告白されてすぐの由紀子はしていたのかも知れないと感じた。相手が好きでいてくれたから、相手に恐怖を直で与えることはなかったのだろうが、しばらくの間同じような表情をしていると、さすがに相手には、恐怖の二文字が蓄積されていたのだろう。
由紀子が相手に気持ちが追いついたタイミングで、ちょうど相手に蓄積した恐怖が表に出てきたのかも知れない。タイミングの問題なのか、それとも、蓄積と由紀子の心境の変化が共存しえないことで生まれた悲劇なのか、ハッキリと分からない。由紀子が当事者である以上、由紀子にはずっと分からないものなのかも知れない。
――こういうのも失恋っていうのかしら?