かけがえのないものがほしい
福島から来た人はこの藤島さんだけじゃない。柳沢さんという利用者だが、デイサービスで毎日来ている。毎日だ。デイサービスが休みの日の日曜日は、他の施設でショートステイに行っている。やはり八十五の高齢だが、川崎の親戚の家に引き取られた。家族はみんな亡くなったそうだ。その親戚の家の家族は、
「なるべく遅くに送り迎えしてください。うちが一番最後でいいから。行の迎えは一番最初にして下さい」
柳沢さんの口癖は、
「本当申し訳ないねえ。でもこればっかりは仕方ないものね」
今の親戚の家族からのけ者にされているのがよく分かる。送り迎えで家族と挨拶するとき、家族の人は、
「ありがとうございます」
と愛想よくするが、ドアが閉まった途端、怒鳴り声がドアの壁を突き抜けて聴こえる。
排泄介助中にちょっと電話に出ただけで、泣きながら便だらけの手で壁中汚す人もいるが、僕達の介護も嫌なことだけではない。デイサービスに通っている九十九歳のおじいちゃんで面白い人がいる。排泄のパットを包むために用意した新聞紙を取って新聞を読んでる。
財布を持っていないと不安になるので、家族の人が財布におもちゃの五千円札を入れて持たせている。本人はおもちゃのお札と気づいていない。
あるとき外出レクの散歩で公民館に行ったとき、そのおじいちゃんが公民館の喫茶店のオープンテラスに座って、僕に、「ビールでも飲むか?」
そうおもちゃの五千円札を出して言った。そのときは僕も笑ってしまい、しばらくは笑いが止まらなかった。
僕の施設にもう一人気になる利用者がいた。
先天性の障がいで、五十五歳という若さで、僕の施設に入居している。笠原さんという。笠原さんは両手両足が不自由でいつも車椅子で移動している。笠原さんは天涯孤独で物心がついた頃から、親と離れて施設で育ったそうだ。
体操レクも終え、今日はデイサービスが休みだから、ゆっくり入居者と遊ぼうとした。
笠原さんに「将棋をしましょう」
そう言っても、
「いい。テレビ観てる」
そう笠原さんは言う。
「テレビなんていつでも観れるでしょ?将棋しましょう」
そう言っても、
「将棋飽きた」そう言うのだ。
「将棋なんて飽きるもんじゃないでしょ?」
そう僕が言うと、先輩が僕をとめた。先輩は笠原さんに聞こえないように僕にこっそり、
「笠原さん小さい頃から施設で将棋ばっかりやっていたのよ。将棋が嫌いみたい」
そう耳打ちした。
しかし笠原さんはナイフを樽に刺して人形が飛び出すおもちゃでレクリエーションをするときは必ず参加する。
あんな子供だましで認知症の重い人以外は、それこそ飽きてしまうと思ったが、笠原さんは樽から人形が飛び出すと、人格が変わったように大声で笑う。
「ケラケラ、ケラケラ」
本当に何だろうと思うほど、奇怪に笑う。
職員の先輩は、
「ああいうおもちゃで遊んだことなかったのよ。施設だから」
そう僕に耳打ちした。
施設病という言葉があるが、乳幼児期に何らかの事情により、親から離され、施設で育った子供がなりうる病だ。いろいろなとらえ方をされる言葉だが、
子供たちは優等生のような育ちをすることもよくあるが、その感情は何か創造性にとぼしく、意見を言わせれば、画一的なものになりやすいというとらえ方もある。
僕が笠原さんに一緒について詩を作ろうと促したが、笠原さんは、
「いい」
といって、はじめ断った。
それでも僕は笠原さんに働きかけ、短い詩を書くことにした。
お題はお正月だ。
笠原さんは、「お正月は……」と書いたまま筆がストップしてしまった。
僕が、「なんでもいいんです。笠原さん。自由に書けばいいんです」
ずいぶん長いこと二人で考えた。
一時間ぐらい考えた挙げ句、笠原さんの書いた詩は、
「お正月はみんなで餅を食べると楽しいのです」
そんな詩だった。
僕はそれに、「凧揚げとか、羽子板とかのことも書きませんか」
そう働きかけても、
「もういい。疲れた」
笠原さんはそう言った。
「笠原さん詩を書くのどうでしょう。結構おもしろかったでしょう?」
「でも、いい。疲れる。テレビ観てるほうがいい」
ある日僕は笠原さんの入浴介助の当番だった。笠原さんが僕に言った。
「健一さん乱暴だから任せられない」
そう言うので、
「じゃあ高城さんに代わってもらいましょうか?」
「高城さんも乱暴だから」
「じゃあ今井さん?」
「今井さんも乱暴だから」
「じゃあ、誰ならいいんですか?」
「真美さんに洗ってほしい」
真美とは僕の嫁のことだ。
そのことを施設長に伝えるため事務所に行くと、高城さんも今井さんも、怒り口調だった。
「笠原さん女性の私達に陰部を丁寧に洗わせるのよ。何度も何度も。まだ洗えてないって。認知症なんかになって何も分からなくなってるおじいちゃんならともかく、笠原さん若いし、クリアだし、あれじゃセクハラよ。私ちょっと言ってくるわ」
高城さんはそう言って、笠原さんの所へ行った。
「笠原さん。そう人を選ぶともう何もしてあげませんよ」
「介護員でしょ?介護してよ」
「女性が水商売みたいなことをするのは介護と違うんですよ」
「エッチなことしなくていい。ほんのささいな女性のぬくもりが欲しい。そんなことも駄目なの?五体満足に育ってるくせに」
高城さんは事務所に戻ってきて、
「どうする?」そう言った。
今井さんも、
「あれじゃ虐待だっていいかねないよね。都合のいいときだけ弱者になって、なにかとクリアで介護員の落ち度をついてくる。笠原さん真美ちゃんのこと好きだから」
高城さんは、「でも健一君が可哀想よ」
今井さんは「真美ちゃん優しいから。私達なんか、それは介護員の仕事じゃありませんて一喝するけどね」
「施設長どうします?」
「真美ちゃん入浴介助入って」
「えっ?真美ちゃんにやらせるんですか?」と高城さんは言った。
「しょうがないでしょ?」
「じゃあ健一君はお風呂の外で見張ってて。何かあったら中に入っていいからね」
真美が中で入浴介助をして、僕は外で中の様子をうかがっていた。中から声が聴こえる。
「ここ洗いますね」
「次は脇の下」
「お股洗いますね」
「これでいいですか?」
「もっと。まだちゃんと洗えてない」
「これでいいですか?」
「もっと、まだちゃんと洗えてない」
僕はドア越しで思った。
クソッ何てザマだ。絵にも芸術にもなりゃあしねえよ。僕達介護員の現実は。本当絵にも芸術にもなりゃあしねえよ。
僕はついこの間、笠原さんと詩を書くときのことを思い出した。
「笠原さんの思い出の中で、一番記憶に残っているものって何ですか?」
「思い出……ない」
僕は天井を仰ぎ見ながら、心の中で語りかけた。
“神様本当に我々は平等に生を授かっているのですか?僕達は平等につくられたのですか?”
真美の声がする。
「じゃあ、もう洗えたと思いますので流しますね」
「うん。分かった」
ようやく洗身は終わったようだ。
うちの施設で五十三歳の若さで亡くなった人がいる。この間亡くなった米山孝一さんは発達障がいだった。だと思っていた。
作品名:かけがえのないものがほしい 作家名:松橋健一