宿命
俊三は、今執事に話しかけられたことで、せっかく何かを思い出そうとしていたのに、煙に巻かれたような気がした。しかも、それと同時に感じたのが、佳苗に感じた臭いだったのは、死期が近いと思っている佳苗に対して、本当はそうではないことを感じさせる何かを、執事が想像させたように思えてならなかった。
俊三には、確かに思い出してはいけない何かがあることを悟っていた。
――一体何なんだろう?
そう思えば思うほど、交通事故で亡くなった執事の場面が思い起される。
「俊三くん、あれは、本当は私ではないんだよ」
「あれというのは?」
「君は、今目を瞑れば、きっと交通事故の場面を思い浮かべていると思うんだ。それは、私がこの世からいなくなることになった忌わしい事故だったのだが、今ではもう一人の新しい執事になって、今を生きている。生まれ変わったことになるんだよ。でも、あの時の私は完全に即死だったんだ。君が想像しているその人は、本当に即死だったのかい?」
言われてみれば、確かに断末魔の表情があまりにも印象が深すぎて、即死のイメージが強いが、言われてから思い返すと、何が気持ち悪いと言って、その人が虚空を睨みながら、まだ生があったことを示していたのが気持ち悪かった。それよりも死んでしまった後の断末魔の表情の方が幾分か気が楽だ。永遠に同じ表情から変わらないからだ。
「確かに即死ではなかった。微妙に手が動いていたし、表情も変わったように思えたような気がする」
「君はそろそろ、自分のことを理解する時期が来たということだよ」
「自分のことを理解する?」
「ああ、そうだ。生き直していると思っている人は、必ずどこかで自分のことを思い出し、そして、元の自分に戻っていくんだよ。それが辛いことであったとしても、戻らなければいけないんだ」
「それは、どういうことなんですか?」
「君は、人の死に立ち合ったことがあるかい?」
言われてみれば、誰かの死に立ち合ったということはなかったような気がする。いつも寸前のところで間に合わなかったりした思いが強かった。
「あったような気がしますが、曖昧なんですよ。でも、交通事故に遭った人を目撃した記憶が鮮明にあって、それが邪魔しているような気がするんです」
「そうだろうね。交通事故に遭ったシーンを見るというのは、かなりショッキングなことだからね。でも、自分が人の死に立ち合ったことがあったのかどうかすら忘れてしまうほどのショックなことだというのは、少しおかしいとは思わないかい?」
「確かにそうですね。でも、今までそんなことを考えたこともありませんでした」
「君が交通事故の記憶を思い浮かべたのは、本当は今が初めてのはすなんだよ。だから、僕が、『おかしくないかい?』と言った時、君の中で違和感があったはずだ。僕にはそのことが分かっていて、敢えて君にそのことを聞いたんだ」
「一体、どういうことなのか分かりません」
「普通、他の人の身体の中に入るというのは、生まれ変わるということなんだ。それは、入りこむ人間は死んでしまって、そして、これから生まれる人の中に入りこむ。僕がさっき言ったように、生まれ変わる相手には時系列は関係ない。まったく違う人になって生まれ変わるのだから、過去であっても問題ない。だが、君が違和感を感じているのは、きっと、元々死ぬ前の自分と同じ時代を生きていることに対してではないかと思うんだが、それも生まれ変わった相手の中で、過去の記憶が消えていれば、問題ない。たとえ意識が残っていたとしても、人間は時系列に沿ってしか考えられないので、いわゆる前世の自分と同じ時間を生きていても問題ないわけさ」
「……」
「君も確かに時系列に関係なく、かなり過去に遡って生き直している。しかも、君は生まれ変わったわけではなく、生き直していると思っているわけでしょう? つまりは、意識と一緒に記憶まで一緒に持ってきたことになる」
もう、俊三には言い返す力は残っていない。
「君は、異臭を放つ佳苗に対して、死の意識を持っている。そして、その佳苗の中で晃が生きていることも分かっている。晃は生まれ変わったんだ。生まれ変わるためには、自分は死ななければいけないんだけど、ちょうど、そこに君が生き直すということで、晃少年の身体に入りこんだ。時系列に惑わされることはないので、お互いに、生まれ変わることと、生き直すことはスムーズのうちに行われ、静かに意識は乗り移ることができたんだと思う」
「そこまで分かっているんですね……」
「僕は何でも分かっていて、敢えて君に話をしているんだ。君に対しては誰かが話をしなければいけない。それが執事としての僕の役目であり、そのために生まれ変わったのかも知れないとも思っている。いや、君が元に戻れば、晃少年も戻ってくる」
「佳苗はどうなるんですか?」
「佳苗は、本当はもう死んでいるんだよ。君が感じた臭いは、嘘ではない。いや、もっと厳密に言えば、君だからこそ感じることができたんだ。僕も理屈は分かっているつもりなんだが、臭いを感じることはできない。この意味が君にももうすぐ分かることになるんだよ」
「僕は、一体どうすればいいんだ?」
「君は、自分のことを思い出そうとすればいいのさ。今、君は自分のことを必至に否定しようとしている。否定する気持ちを少しでも現実を見つめるという気持ちに変えれば、君は、元の自分に戻ることができるんだ」
執事の話を聞いているうちに、今まで確かに自分を否定し続けてきたことを感じた。だが、それは、
――生き直す――
ということが前提だったので、否定し続けるのも当たり前のことだと思っていたのだ。
――生き直すというのは、自分を否定することだと勘違いしていたんだ――
と思うと、少しずつ自分を思い出してきた気がした。
異臭がまたしても鼻をつく。そして、記憶は交通事故に遡っていた。
その交通事故の現場は、今まで意識していた執事の事故の現場とは違っていた。もっとリアルで。身体が動かなくなるという危機感があった。
――交通事故に遭ったのは、この俺なのか?
それを思い出すと、随分と長い間眠っていたような意識が芽生えてきた。眠っていたというよりも、生かされていた。病院のベッドで、口には酸素マスク、腕には点滴が施されていて、静かで機械の音しか聞こえない。
「ピーピーピー」
定期的に刻んだその音は、永遠に続いているようだった。いつも誰かが寄り添ってくれているが、見たことはあった気がしたが、覚えていない。それほど、僕は今まで生きていた時代に別れを告げたかった。
――だけど、死んだわけではないんだ。いっそのこと死んでくれれば――
という意識が頭を過ぎった。
――どうせ、ここにいる連中も僕が死ねば楽になれる――
と思っているんだ。
だが、それは当たり前のこと、それも気づかずに、まわりの人に対して恨みばかりを抱いていた。そして、そのまま眠り続けているところに、神父が現れた……。
――俺は一体何をしていたんだ――
そう思うと、もう一度自分の身体に帰ることを願った。
――今度こそ、運命よりも強いものを掴むんだ――
という思いを抱いていた。
――植物人間からの復活――