カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅸ
「何を望んではいけないのか、分かっていました。でも、日垣さんがどこまで許してくれるのか、それしか、考えられなくて……」
美紗は両手で顔を覆った。篠野征を名乗るバーテンダーに、記憶の中のバーテンダーの姿が重なる。二人分の藍色の目が、責め立てるように見つめてくる。
望んではならないものは、共通の未来。
望んではならぬものさえ望まなければ、誰も悲しませずに済むと思っていた。
あの人が許す範囲のものを望んでいれば、限りある時間を大切に過ごせると思っていた。
できることなら、どこまでも、許してほしいと願いながら……。
「許す? 日垣さんのほうが許すのですか?」
わずかに首をかしげる藍色の目のバーテンダーに、美紗はうなだれるように頷いた。
二人で会い続けることを
腕の中に私を抱くことを
共に夜を過ごすことを
あの人は、許してくれた――。
「でも、誕生日に貴女が傍にいることを、許さなかった」
「それで、いいんです」
美紗は目の縁に溢れる涙を何度もぬぐった。バーテンダーは、「そうですか……」と呟くと、目を閉じて椅子の背に身を預けた。黒いベストに付けられた金色の名札が照明の光を鋭く反射し、一瞬だけ「SASANO」と書かれた黒い文字がくっきりと浮かび上がった。美紗は思わず「あ」と声を上げた。
「やっぱり、篠野さん、ですよね。すみません。私、今、変なこと言って……」
「そんなことありませんよ」
征は柔らかい笑顔を向けた。しかし、それはやはり、少年の域を出たばかりの初々しい笑みとは違っていた。つい先ほどまで見せていたはずの子供っぽい丸い目は、夜景を映す窓ガラスの中に見た幻影だったのか。自分より年下だと言っていた彼の人懐っこい言葉遣いは、静かな音楽の中に紛れた幻聴だったのか……。
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅸ 作家名:弦巻 耀