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カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅸ

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 私を帰さないで
 今夜だけでいいから、一緒にいて――

 息が詰まって、声が出なかった。気を失いそうなほど、苦しかった。
 日垣は一瞬、切れ長の目に悲痛な色を浮かべた。そして、大きな手で美紗の頭をそっと撫で、小さな体を静かに寄せた。

       ******

「鈴置さん?」
 日垣貴仁とは違う声に、美紗ははっと目を見開いた。青一色のガーデンスペースの幻影が消え、薄暗い「いつもの席」の光景が浮き上がってきた。ついさっきまで感じていた冷たい夜風に代わり、懐かしさを感じさせる何かが、ふわりと身体を包む……。
 それが静かな旋律の音楽であることに気付いた美紗は、マホガニー調に統一されたバーの店内をゆっくりと見回した。そして、正面に座る人影に恐る恐る視線を移した。青年と少年の間のような顔をしたバーテンダーが、藍色の目で心配そうに美紗を覗き込んでいた。
「あ……」
 一年半ほど前の追憶から醒めた美紗は、力が抜けたように大きく息をついた。あの後、何があったのか、あまりよく覚えていない。あの人の腕に支えられ、青い海を抜けた。自分を失う寸前に、彼に許しを求めた。

 ずっと好きでいて、いいですか
 ご迷惑はかけません……

 あの人が何と答えたのかは、思い出せない。思い出せるのは、大きな骨ばった手のぬくもりと、下の名前をささやく耳に心地よい低い声。身体に触れる唇と厚い胸板。そして――。しばしの空白の後、何かに深く満たされた心地で目覚めた時には、清らかな陽の光が射し込む、見知らぬ部屋にいた……。