軍師
またこれを拒めばそれこそ敵兵うんかのごとく押し寄せ、城下は焼かれ領民は逃げまどい、籠城いたしても三日と持ちますまい」立花宗重「ここは、多少の矢銭を渡すとも京極家の御金蔵(おかねくら)にはいかほどの事もないものかと存じまするが」京極花楓「そうは申してもこう度々ではのう、じゃが領民の難渋を思えば致しかた有りますまいな」立花宗重「しかしながら、相手の意のままに矢銭を渡すだけでは、当方にも面目が立たぬということを先方に伝え、御帯料という結納の形を取りたいと申し出るのでござりまする」京極花楓「御帯料とな、金銀の他に姫も渡せと申されるのか・・・しかし、わらわには、世継ぎもなく、ましてやふさわしい姫子などはおりませぬが」立花宗重「そこは、都から五摂家に連なる姫様をご養女にお迎えなされませ、そして意を含ませ、まずは先方の家臣の嫡子と結ばせるのです」京極花楓「縁を結べともうされるか」と、戸惑いの色を見せながらも、花楓は宗重の含むところに思い至り、立花宗重「父君ゆかりし頃からの大商人達に、隣国の内情をつぶさに調べあげさせ、今の領主に不満を持つ分家すじあたりから、縁組をつぎつぎと結ばせてまいるのでござりまする」京極花楓「そのようにうまく事が運びましょうか」立花宗重「運ばせるのです、これは戦でござりまするぞお館様、戦場(いくさば)での華々しい槍働きだけが戦ではござりもうさん、古来兵法の書にも柔能く剛を制すの言葉もありまするように」京極花楓「かしこまりましたお任せいたしまする立花殿、しかしわらわにもひとつだけ所望がありまする」立花宗重「はっ、なんなりとお申し付けくださりませ」と、平伏したのち、京極花楓「では、先ほどのお館様と言う呼び名は誠にかたぐるしいばかり、・・・花楓とお呼び下され」立花宗重「それは、・・・家臣としては不遜極まりなきこと、ご勘弁願い奉り申し上げまする」京極花楓「何を申される立花殿、奥書院での接見を済ませたからにはもうそなたは身内も同然じゃ、誰にはばかること有りましょうぞ、これに控えおる侍女頭が証人(あかし)じゃ、よろしいな」立花宗重「は、承知つかまつりましてございます」と宗重は、深々と平伏したのち、奥書院を後にした。
やがて、大商人や密偵達に調べ上げさせた東国の家臣達の嫡子に、意を含めた都より迎えし姫君を京極花楓の養女としたのち、次々に縁組を結ばせていったのである。
東国の武士達はいくさばでは実に勇猛果敢で恐れを知らぬ無骨者達ではあったが、やはり都の成熟した文化、権威、儀式、儀礼などを遠く聞き及ぶにつれ、槍や刀では到底太刀打ちの出来ぬ、恐れと畏敬の念を覚えひれ伏すばかりであったが、迎えし妻が何事につけ、けいめいして立ち振る舞い、そのつつましやかなる仕草や言葉遣いなどがなにやら都びて愛おしく感じるようになり、また閨などにも貴き香り漂うむきにしつらえてあり、これがやがて家臣達の間での噂となり、当方から金銀を差し出してでも都びた香しい姫君を嫡子の妻に迎えたいとの書状が届くようになったのである。
京極花楓「策とは面白きものでござりまするな立花殿、わらわの姫を所望との、それこのような矢のような催促の書状がまいっておりまするぞ、それもみずから金銀をだしてもよいとな」立花宗重「それは、意を含めた都より迎えし方々が、花楓様と京極家の為に心底尽くされているのだと思いまする、ここは正念場でござりまするぞ、事がなるかならぬかはこの一時にかかっておりまする」京極花楓「わかりました、さらに縁組を続けよと申されるのじゃな」立花宗重「は、御意にござりまする」やがて縁組は重代の嫡子にまで連なるようになり、その京極家の秘められたもの柔らかなる勢力はその国に僅かずつではあるが、砂地に水が染みこむが如く溶け込んでいったのであった。
それからのち数年の時が経ち、名のある武将たちは度重なる戦陣において、不覚にも打ち取られたり、刀傷による古傷がもとでその後病没したりと様々な移り変わりを経て、やがて跡継ぎをなした京極家より嫁いだ姫君たちは、表舞台である国のまつりごとにも隠然たる力を及ぼし始めていたのである。
その頃、・・・京極家の城内奥書院にて立花宗重と京極花楓が内密に言葉を交わしていた。
立花宗重「花楓様、時は今でござりまする。
姫君様たちの内密のふみによれば、打ち続く戦により、疲弊した家臣や領民達の辛苦をこころみぬ領主のまつりごとに対し、悪し様に異を唱えるもの達が、あらわれているそうでございます。ここはかねてよりの手筈通りご決断を」京極花楓「承知いたしました、あとはそなたにお任せいたしまする、頼みましたぞ」やがて、密偵達が文を携え四方に飛び、城内や城下の旗本屋敷に住まいし姫君たちの手元にその日の内に行き至ったのであった。
行動はすばやかった、直ぐに前々から内応の承諾を取り付けていた重代の家臣たちと、京極家の縁に連なる家臣たちの連名により、10ヵ条の意見状を差し出したのであった。それには主に国主の座明け渡しの事が書かれており、これを不服と致さば、城内座敷牢にて終生お籠りいたせし候事、また、他国の縁者をたよっての落ち延びとあらば、それ相応の財貨を持ち出しいたる事苦しからずと書かれていたのである。
重代の家臣達にも背かれここに至ってやっと己の浅はかさを悟った領主は自身を恥じ、やがて一族と共に落ち延びていったのである。
彼らの後につづく金銀や米俵などを積んだ荷駄が、哀感を伴いながら蛇のうねりのごとく延々と連なっていたそうである。
これを京極家の使者として最後まで見届けた宗重は、春の到来をつげる春雷を思わせるかのような上首尾に満足し、新たに呼び寄せた京極家からの奉行衆に、様々な掟を改めさせ、新たな法を作るとともに、風通しの良い国造りを目指したのであった。
やがて国静まりたるを見届けた宗重は、事のあらましを書き記した書状を持ち京極家へ注進の為この国を後にした。
・・・ここは京極家奥書院の間、時折りのししおどしが時の流れに合いの手を打つかのように響いていた。
花楓は宗重のしたためた書に目を通しながらも、度々驚きの色を隠せなかった。
京極花楓「なんと、城の御(お)金蔵(かねぐら)すべてを与えたと申されるのでござりまするか」立花宗重「御意にござりまする、御(お)金蔵(かねぐら)もお米蔵も空にして与え申してござりまする」京極花楓「なんと、これでは国を一つ与えたに等しきことではござりませぬか」立花宗重「いえ、血の一滴も流さぬ事を思えば、安きにつきましてござります。