⑥残念王子と闇のマル
カレンの両瞳から、涙がポタポタと落ちた。
「…様子がおかしいとは思っていたんです…。今更、任務の後始末なんて…。それに」
大粒の涙を流しながら、カレンが探るような目付きで父上を見る。
「マルが…お腹を庇っていたんです…。」
(!!)
けれど、さすがに父上も母上も全く顔色を変えない。
カレンは暫く二人を交互に見つめた後、天井を仰ぐ。
天井に視線を巡らせた後、今度もしっかりと私の居場所をとらえた。
「もしかしてマル、あか」
「俺や聖華を憎んでくれていい。それで気持ちの整理をつけて麻流を諦めてくれるなら、この国すべてを憎んで呪ってくれていい。」
父上はカレンの言葉を遮ると、頭をポンポンと軽く叩いて立ち上がる。
母上も玉座から立ち上がり、そのまま部屋を出ていく。
「ここで別れたのがお互いの幸せのためだった、と時間が経てばきっとわかるよ。」
そして、そのまま姿を消した。
次の瞬間、私の目の前に父上が現れる。
父上は無言で私と視線を交わした後、小刻みに震えている私の手を優しく握って立ち上がらせた。
謁見室にひとり取り残されたカレンが気になってふり返ると、理巧がカレンの傍へ屈み、背中に手を添えているのが見える。
これからは、理巧がカレンを支えてくれるんだ。
理巧がきちんとカレンの傍にいてくれることに安堵しつつ、もう自分の居場所はないんだと改めて認識して、何か大きな穴が心にぽっかり空いたような気がした。
だんだん考える力がなくなっていく私の手をひいて、父上は天井裏を進む。
そして降り立ったのは、紗那の私室だった。
「明日、カレンが出立するまで、ここにいな。」
私に近づいてきた紗那を父上は一瞥すると、その頭を小突きながらマスクをつける。
「紗那、もう余計なことすんなよ。」
(カレンは、きっと私の妊娠を確信したはず。)
先程の謁見室でのカレンの言葉や姿が、ずっと頭の中をぐるぐる巡る。
もう、それ以外なにも考えられなかった。
そんな私の頭を父上は撫でると、その胸に包み込むように抱きしめた。
「麻流、俺たちがいるからな。」
しばらくぎゅっと抱きしめていた父上は、何かにピクリと反応し、風のように消える。
私はその場にペタリと座り込み、人形のようにぼんやりとしていた。
(これで、カレンとは完全に縁が切れた。)
心の中のカレンがいた場所に大きな穴が開いて、そこから喜怒哀楽すべての感情が流れ出たようだ。
私はもう人形のように…そう、まるで一人前の忍になった時の私に戻ったかのように心を失った。
脱け殻のように床に座り込んでいると、紗那に手を取られ、ベッドへ連れていかれる。
チクリとした痛みにそちらを見ると、注射を打たれていた。
「今は、眠りましょうお姉様。眠って起きるごとに、元気になりますから。」
紗那の言葉と同時に、目の奥がぐらりと揺れる感覚がし、あっという間に意識が遠退く。
夢を見ないほど、深く深く眠りに落ちた。
(眩しい…。)
瞼の裏が眩くて、意識が覚醒する。
目を開けると、寝室に明るい陽射しが差し込んでいた。
「おはようございますぅ、お姉様。食事、摂れそうですかぁ?」
声のほうをふり返ると、紗那が枕元のカーテンを開けているところだった。
紗那が、笑顔でコップを差し出してきた。
それを一口飲むと、レモン水の爽やかな香りが口の中に広がり、胸の重苦しさと口の中の不快感が和らぐ。
けれど、食事をする気力がわかない…。
「…いらない…。」
私は答えながら、天井を見上げた。
理巧も、父上の気配もない。
私はそっとお腹に手を添え、罪のない命を受け入れようと目を瞑る。
(カレンは…もう…。)
カレンがいつ発つのかわからない。
けれど、せめて見送りだけでもしたかった。
そう思うといてもたってもいられず、気がつくと紗那の部屋のバルコニーから飛び降りていた。
その頃、カレンはひとりで厩舎へ来ていた。
厩舎には、リンちゃんと星が並んで繋がれている。
カレンは硬い表情のまま、リンちゃんをそっと撫でた。
そんなカレンに、星が鼻をこすりつけてくる。
カレンは星の鼻を抱き寄せると、無言で頬を合わせた。
二頭の馬を抱きしめながら、カレンは何かを考えこむ。
そんな様子を、理巧と空は遠くから見守っていた。
「何、考えてるんでしょう。」
理巧がポツリとこぼす。
空はそんな理巧をちらりと見ると、カレンを黙って見下ろした。
感情の読めない冷ややかな黒水晶が、カレンの心の中まで見透かすように、その姿を鋭く射抜く。
そんな二人の視線を知ってか知らずか、カレンはリンちゃんにようやく声をかけた。
「リンちゃん。僕の願いを聞いてくれる?」
美しい優雅な白馬は、答えるように小さく嘶く。
「…リンちゃん。必ず迎えに来るから、しばらくここでお留守番してほしいんだ。」
リンちゃんはその言葉に、不安そうにカレンを見つめた。
「必ず、迎えに来るから。というか、キミがお留守番してくれてたら、またここに来れるから…。」
遠いところで、四つの黒水晶の瞳が互いに視線を交わす。
「マルを、守ってやってほしい。」
その言葉に、リンちゃんは先程より少し大きく嘶いた。
カレンはそんなリンちゃんと視線を交わすと、再びその鼻を胸に抱きしめ、頬を寄せる。
「ありがと。」
そしてリンちゃんをひと撫ですると、手を離した。
「じゃ、いってきます。」
カレンは星の手綱を掴むと、笑顔を向ける。
「星。よろしくね。」
星はリンちゃんと視線を交わすと、力強く嘶いた。
そんな星に輝く笑顔を向けたカレンは、星に鞍を乗せ、厩舎から共に出る。
そして、女王の待つ広場へ向かった。
空はそんなカレンから視線を逸らすと、理巧を横目でとらえる。
「あいつを…救ってやって。」
理巧は、その言葉の真意をはかろうと空をジッと見つめた。
「あいつが、麻流がいなくても真っ直ぐに生きていけるように。」
流し目で理巧を見つめていた空は、その視線をカレンへ移す。
「幸せになれるように、守ってやりな。」
そこまで言うと、空は理巧の前から姿を消した。
「…。」
理巧は、空の言葉を心の中で反芻する。
今回の破局と妊娠に関して重大な責任を感じていた理巧は、口を固く結ぶと小さく頷いた。
「姉上…必ず…。」
その頃、空は聖華の隣へ降り立ち、カレンを出迎える。
「お世話になりました。」
カレンは女王と空の前に跪くと、深々と頭を下げた。
けれどその表情は硬く、纏うオーラもくすんでいる。
輝きのないカレンを初めて見た聖華は、さすがに息をのんだ。
「カレン王子…なぜ星を…。」
聖華は動揺を見せないように、声のトーンを少し下げて訊ねる。
「は…勝手に連れ出し、申し訳ありません。」
カレンは顔をあげると、鋭い目付きで女王と空を真っ直ぐに見つめた。
「白馬が目立ち、余計な危機を招いたことがあります。勝手な都合で申し訳ありませんが、私の愛馬を暫く預かって頂き、この馬をお借りできたら助かるのですが…。」
作品名:⑥残念王子と闇のマル 作家名:しずか